391話 侵入者です
窓の外を確認すると、ラーラはバタンと音を立てて窓を閉めた。
彼女の目に入って来たのは白い霧の闇、そして耳で聞いたのは争う喧騒。
尋常ではない事が起きているのだ。
そうしてしばらく目を伏せてから、何かを決意した様に剣に手をかける。
「濃霧に乗じて、外庭に落ち子が出現したようです」
確かに騒がしいとは思っていたけれど、今度こそやって来たのだ。
今夜が山場なのだ。
「兵士の皆さんは、大丈夫そうですか?」
ここから把握出来る事などそこほどないのはわかっているが、聞かずにはいれなかった。
ラーラは幼い主への返事に逡巡したのか、直接的な表現を使わなかった。
「ここからだと良く見えませんが、アリッサが付いていてくれるのですから、あちらは任せていいでしょう」
ラーラは、ちゃんとアリッサを信頼しているようだ。
何かとギクシャクしている2人だから心配していたけれど、それは杞憂だったようで少し私はうれしくなった。
「ルドルフ様も抜刀の準備を、念の為にして下さい。窓には近づかないように。アインホルン殿の意見では落ち子が屋敷内に入る事は無いと思われますが、『噛みつき男』はそうでなさそうですからね」
そう、現にあの夜チェルノフ卿はなんの抵抗もなくというか、扉を開いて転がり込んできたものね。
ラーラは仔山羊と小鳥にかがんで、悪意が無くとも万が一があるので警戒するように言い含めていた。
2匹はふんふんと鼻息を荒くする。
この子達が人の言葉をわかる事を知っている私からみたら自然だが、はたからみたらどうかしていると思われてしまう行動だ。
まあ、この屋敷にそんな人はいないからいいのだけれど。
「ギル様とザム様もこちらの部屋へ合流してもらった方がいいわね」
「そうですね、すぐに……」
そこまで言うとラーラは口をつぐんだ。
それは、足音がしたから。
遠くから、絨毯でも吸収出来ない重い足音が聞こえる。
ゆっくりと、重苦しくその足音は近づいて来ていた。
2階への階段を上った先から、こちらへ向かってきているのだ。
1階も2階も何人か護衛がついていたはずだが、何の叫び声も、争う音もしない。
不自然な程、静まり返っている。
既に無力化されているとしか考えられない。
見通しが甘かったのか。
神話の生き物の前に、ただの人である兵士が歯がたつわけがなかったのだ。
私は妙に冷静にそんな事を考えた。
かちゃり
ぎぃ
ばたん
そうして足音が止まるたびに、重く扉を開く音がする。
足音の主は、端から客間を1部屋ずつ開けて確認しているのだ。
そこに標的がいるかどうかを。
別館の客間を使っているのは、私達とギルベルトとザームエル、そして何かあった時の為に兵士達にもこの階の客間を解放している。
ここと隣以外、どの部屋も今は警備の為に無人であるか待機中の者は仮眠をとっているはずだ。
それにしても、館内の警備についていた兵士達はどうしたというのだろう。
皆、殺されてしまったのか、それとも眠らされでもしたのか。
歩いて、扉を開けて、中を確認する。
それを繰り返しながら、それはゆっくりと近付いてきていた。
ラーラは手振りで、扉から反対側の寝台の方へ移動ようにと私達に指示を出す。
段々と、足音が大きくなる。
幸いな事は、この部屋がギルベルト達の部屋よりも手前にあることだ。
彼らに被害は及ばない……、はずだ。
この部屋で、あの侵入者を止める事が出来ればだが。
私達はこの扉が開くのを待つしか術はなかった。
待つといってもその先どうなるかは、何もわからない。
ラーラが右手の人差し指と中指を揃えて、抜き身の剣の刃を撫でる。
「我が信仰を、地母神黒山羊へ捧ぐ」
低くそう呟くと、ただの鉄であった刀身は淡く輝くように光を纏った。
ラーラが授かった、刀身を清める術だ。
この世のものでは無いものを斬る術。
私達は、それに掛けるしかない。
がちゃり
ドアノブを回す音がする。
ぎぃ
扉が開かれる。
その部屋は無人のようで、他に音は出なかった。
ばたん
そのまま扉は閉められた。
そうしてゆっくりと足音が、この部屋の前までくる。
かちゃり
ドアノブが回されるが、他の部屋と違って鍵がかかっているので開かない。
何度か、弄ぶようにそれは回された。
がちゃがちゃがちゃ
それは加速し、扉を殴りながらドアノブを回している。
どんどんどんどん
がたがたがたがた
がちゃがちゃがちゃがちゃ
狂ったように、扉が音を立てている。
バキリっと何かが割れる音がして、扉が壊れた。
そうして大きな白い手が、扉の隙間から差し出される。
その手の平には、裂け目のような口がついていた。
ゆっくりと、その裂け目が声を出す。
「るるるうぅぅぅどおおおぉぉるうふうううぅぅぅ」
それは兄の名を呼んだ。