390話 成長です
わあわあと兵士達が騒がしい中、弾んだ女性の声が聞こえていた。
「ひとおつ、ふたあつ」
それはまるで路地裏で童戯でもしているかのように無邪気な声。
黒衣の女性が庭で舞踊をしているかのように、飛び跳ねている。
着地の度に足の下では、ぐちゃりぐちゃりと音を立てて、ひしゃげて地に伏す落ち子達。
愉し気に子供を足蹴にするその様は、嗜虐心の強い女性が欲望を解放している様にも見えたかもしれない。
しかし、誰もそれを目にする者はいなかった。
彼女にとっては、この霧は大いなる味方だった。
この霧に守られたのは白い落ち子達だけではないのだ。
誰の目を気にする事もない。
どれだけアクロバティックな動きをしても、人で無い行いをしても、咎める者はいないのだから。
自然発生か、人為的なものはわからないけれど、この霧にアリッサは感謝していた。
彼女は非常に退屈していたのだ。
連日空振りに終わる庭の見張り、昨夜はやっと落ち子が来たと喜び勇んで駆け付けてみれば、全て消え去った後であった。
彼女はこの退屈を埋め合わしてくれるものを、切望していた。
アリッサにとっては烏合の衆のような落ち子であるが、数がいるだけ暴れがいがある。
これは、自分の人でない部分が求める暴力性を満たしてくれるご馳走なのだ。
肩透かしを食らった分、この時間を大いに楽しむ事にした。
伸び伸びと軽やかに、そして笑顔で彼女は死の舞踏に興じた。
この濃霧の中で異形の子供達に襲われる兵士は、素早く動く黒衣の貞女に助けられたこともわからなかっただろう。
それほどに視界は悪く、そして彼女は素早かった。
あちこちで襲われる兵士達から落ち子を剥がしながら、決して目につかないように動く。
「シャルロッテ様は、大丈夫かしら?」
白い子供を容赦なく踏み潰し、締め上げ、打ち捨てながらも霧で見えない主の使っている客間の方角へと視線を向けた。
仔山羊と小鳥は信頼している。
だけれど、あの2匹はここでどれだけ戦えるだろうか?
自分とは違い別の次元から来た生き物であるあの2匹は、この世界で手に触れられる存在となったためにいろいろと制限がついている。
その大きさもだけれど、その能力も魂だけの世界のように思うまま振るうことは敵わないだろう。
それでも、主を守るには事足りるとアリッサは判断した。
だからこそ自分はこうして離れていられるのだ。
だけど、あの女騎士はどうだろうか?
あの遠い夜を思い返す。
全てが変わった蜘蛛の家の夜。
女神が降臨したあの夜を。
なんの手立てもなく、たかが人間だというのにドリスに怯む事なく吠えていたラーラ。
薬で体の自由を奪われているのに、決して諦めなかった強い女だ。
人であった時の自分なら、とうに命乞いをしていただろう。
いや、人間で無くなっていても、命乞いをしたかもしれない。
黒山羊の使徒となった今でも、ラーラがアリッサの事をあまり好ましく思っていないことはなんとなくアリッサ本人もわかっていた。
そもそも異形とは、歓迎されるような存在ではないのだ。
ドリス本人にその気はなかったしても、人の目から見てシャルロッテに酷い事をしようとしていたのは明白であったし、自分はその仲間だったのだ。
あの場で斬られなかったのが、奇跡のようだ。
よくもあのような性格で、我慢出来たものだと感心する。
アリッサは、ラーラのシャルロッテへの忠義を信頼していた。
誇り高き女騎士。
あの女騎士は、命を投げうっても主を守り切るだろう。
そして、命を投げる必要の無いぐらい、力をつけてもらわなければならない。
人の身でそうなるには長い時間がかかるかもしれないが、きっとラーラはそうなるだろう。
「出来る限り皆を守って」
それがシャルロッテが、アリッサに対して願った事だった。
だから数を誇る落ち子の方へ、自分が配置されたのだ。
異を唱えれば、室内で警備に当たることも許可されただろう。
だけれど、それではいけないのだ。
自分が一緒でもラーラは使命を全うするだろうが、それよりも先に自分が手を下してしまうだろう。
人は成長する。
戦力的に見れば仔山羊と小鳥もいるのだから、余程の事が無い限りは大丈夫のはずだ。
アリッサはラーラの成長を期待し、信じていた。
だからこそ黒山羊は、ラーラに異形と戦う術を授けたのだ。
いざとなれば、すぐに飛び込める距離でもある。
「箱庭に虫が入り込んでるようだから、駆除の人手が欲しいの」
あの夜、地母神黒山羊が言った言葉を反芻する。
人手がいるのだ。
神は虫が何匹か言わなかった。
庭を荒らす害虫。
きっと今回も、その虫どもが関わっているに違いない。
ラーラには、虫退治が出来る人間の1人になってもらわなければ。
元が人間のせいか人のままで不可思議に立ち向かうラーラが、アリッサには眩しく見えていた。
むーし むしむしむーしたいじー
一切合切 根絶やしにー
むーし むしむしむーしたいじー
私は かわいい掃除屋さん
「ラーラは『かわいい』という言葉は、嫌がりそうだけど」
くすりと笑う。
興が乗ったのか黒衣の女性は、踊りながらそれは機嫌よく歌っていた。