388話 鳴き声です
「へけいい、でしょ?」
「てけいり、じゃないかしら?」
廊下を歩いていると、使用人達が何か耳をすませて何事か言い合ってあるのに出くわした。
普段は主人達の目につかないように気を付けている彼女達だからこそ、目につく場所でのそれが気にかかった。
「何の話をしているの?」
私が声をかけると、使用人達は驚いたようで軽い悲鳴を上げる。
「シャルロッテ様! 申し訳ありません。お見苦しいところを……」
私は小さいし、視界に入らなくても仕方ないわよね。
咄嗟に私から隠れるなんて出来ないだろうし、何を夢中で話していたのかしら。
そもそも使用人が会話していても、気にならないけれど、一切を目にいれたくない貴族も存在するそうだ。
その為に、使用人だけが使う通路や貴族の目から身を隠す物置のようなものがこういう館にはあちこちにある。
ちょっとからくり屋敷みたいで面白いけれど、そういう複雑な作りなので不審者が入り込んだら身を潜める場所には事欠かないだろう。
そういう意味では、無駄に警備の人間が必要になるのだ。
「ええと、何か鳴き声がするんです。鳥か何かが迷い込んだんじゃないかって話で、とても綺麗な鳴き声なんですよ」
「初耳だわ! なんて鳴くの?」
私は聞いていないけれど、そんな動物が迷い込むなんてなんだろう。
綺麗な鳴き声なら、捕まえてペットにするのも悪くはないのでは?
でもだめかしら、少し興味を引いたけどきっとクロちゃんとビーちゃんが嫉妬して追い出してしまうかも。
「てへいい? とか、てけりり? って聞こえるんですが、そんな鳴き声の動物はいますかね。鈴を転がしたような声で」
生憎、学が無いものでと使用人は頭を搔く。
変な鳴き声ね。
オウムとかが、何かを間違えて覚えてしまったとか?
うーん、他にそんな鳴き声を出す動物っているかしら?
使用人達は本当に不思議な声なのよねと、お互いに顔を見合わせて頷いている。
何かが齧られたり、動物の糞が落ちているという話は出ていない様だから屋敷の外にいるのかもしれない。
夢の中でしか聞いた事ないけれど、まさか落ち子の鳴き声ではあるまい。
あれはたしか、わかりにくくてもくぐもった声で人の言葉を話していたはずだ。
そのうち私も、その綺麗な声とやらを聞く機会があるといいのだけれど。
「変わった鳴き声なのね」
私の同意を得て、一層お喋りに花が咲いたようだ。
昨夜の件で沈んでいたはずが、思わぬ珍しい鳥か何かのお陰で気持ちが紛れているらしくいい事だ。
それとも物証が無い事件だから、彼らは本気にしてはいないのかしら?
雲を掴むような話といわれたらそれまでだもの。
それなら、眉唾ものと思っている方が幸せというものだ。
当事者ではないのだから、あまり不思議な話に心を裂いても健康に悪いもの。
不思議な話を鵜呑みにする方が、生きにくいのは確かだ。
まったく、変な話ばかりね。
消えた子供達や不思議な鳴き声。
悪徳の神のお陰で、迷路にでも迷い込んだような気分になってしまう。
部屋に入ると、ベッドサイドの煙水晶の色がどんどんとくすんで、不透明になってきているのが目に入った。
力を使い切ると、割れたりするのかしら?
それともこうやって、危険を知らせてくれているのかしら?
油断をしてはいけないとでも言っているようだ。
昼間が平和過ぎて、夜も普通であると思い込んでしまうような、騙されそうなそんな感じがする。
24時間警戒しなくてもいいのは助かるけれど、こうも昼夜の差が激しいのは精神的にも疲れるものだ。
兄も何か思うところがあるのか、今日は訓練に使っている剣を帯刀しているし、ベッドの脇へ置けるように台を用意していた。
兄は兄なりに出来る事をしようとしているのだ。
「用心するに越したことはないからね」
殺伐としないように気を付けているのか、笑いながらそう言っていたけれど表情も言葉も固かった。
用心というが、その剣はきっと兄本人の為ではなく私や他の人を守るものなのだ。
人を守るのが騎士なのだよと、小さい頃兄が良く口にしていたもの。
幼い頃から兄が目指してきたもの。
彼はその騎士道精神で幼いながらも剣をとったのだ。
どうか、何事もありませんように。
今更、何事もないなんてありえない。
そうわかっていても私は、祈らずにはいられなかった。
早くこの状況から抜け出したいけれど、それにはきっと何かの犠牲が必要になるだろう。
ここまで人が死んでいるのだもの。
平和的解決など、想像もできなかった。
ラーラやルドルフ、ギルベルトや他の人達、皆がそれぞれ人の事を思いやりながら、悪徳の神に挑もうとしている。
私に何が出来るだろう。
こんな小さな手では何も出来そうにないけれど、取り乱したり喚いたりしてみんなの邪魔にならないようにしようと心構えだけはしておこう。
そうして、夜が訪れた。