376話 なりふりです
「号外を読みましたわ。これは『噛みつき男』の仕業ということですが、本当なのですか?」
「ああ、ちゃんと噛み跡も一致したからね。今回のような派手な手法に出るとは、考えもしなかったよ」
ギルベルトは、ヤレヤレと両手を上にして肩をすくめてみせた。
それは死体の凄惨さや、被害者への同情とかではなく、純粋に夜中に叩き起された事への不満のようにみえる。
この学者も大概である。
「うん、いやまあ可能性はあったかな?何より落ち子を倒しまくったから、わかりやすい恐怖を人に与えて力を集めようというのは、わからないでもない」
ああ、私が漠然と感じていた不安はそれだったのだ。
こちらが悪徳の神の力を削ぐならば、向こうは増強しようとするのは当然の事だもの。
私達はやり過ぎたのだ。
それにしても、次は兄の番ではなかったの?
今までの共通点を全て無視している。
「もう美学も何もない感じで、必死さが伝わってくる現場だったよ」
「必死ですか?」
「大好きな若い娘でなく、死体をただ杜撰に壊して恐怖の作品に仕立てあげただけというね。壁にメッセージなんて、もう神秘も不可思議も感じないし、単なる俗物に成り下がったようだ」
確かに現場の状況を聞くに、冷静さも何も感じられないし、半ばヤケになった感じまでする。
ギルベルトはギルベルトで、「噛みつき男」にある種の敬意でもあったのだろうか?
今回の犯行の雑さを、とても残念がっているようだ。
「そういえば今回は、子供と赤子と思われる噛みつき跡は無かったんだよ。どうやら落ち子を作るのが間に合わなかったらしい」
パンみたいに捏ねて作る訳ではないだろうけど、今まで作った子供達は皆消えたということか。
「新しく落ち子を作る為に、わかりやすくて恐ろしい死体を作って、王都に恐怖を振りまこうとしたのですね」
ひとりの人間の命を犠牲にして成すことがコレだなんてあんまりではないか。
「噛みつき男」にとって、他人の命は消耗品と変わらないのであろう。
学者が、現場のスケッチを見せてくれる。
号外とは段違いの上手さだ。
バラバラにされた気の毒な男が、どれだけ酷い状態だったのかそこから伝わってくる。
「俺を見ろ……、ですか」
号外に使ったイラストを描いた人間は、きっと文字の読み書きが苦手だったのだろう。
あちらでは判別つかなかった壁の落書きは、ちゃんとした文字だったのだ。
ギルベルトのイラストには、壁の文字まで鮮明に描かれていた。
「自分に注目して、恐怖して、力を与えろというとこかな。まさかの自己顕示とはね。こうまで目立とうとするなんて、なりふり構わないという感じだ」
「他に新しくわかった事はありますか?」
「そうだね、後は足跡くらいか。平均的な成人男性のものだけれど靴底から買った店くらいは割り出せるかもしれない。まあ、いつもの如く調べても顔を覚えてはいないだろうが」
意外な事に、犯罪調査で現代日本よりも優れている事のひとつがそれだ。
靴や服は職人が作るので、特徴があれば誰の作品か判明するのだという。
工場で量産されたもので溢れた世界とは、まったく事情が違うのだ。
巨漢という事しかわかってはいないけれど、体の大きな人って足のサイズも大きいのではないのかしら?
それとも身長と足の大きさは関係ない?
足の大きな仔犬は大きくなるというけど、それは犬に限った事なのかしら?
実は「噛みつき男」が、普通のサイズの人間だったりしたら、容疑者が増えてしまうわね。
その後もタウンハウスでは、落ち子の襲撃は無かった。
その代わりと言ってはなんだが、日を置かずして立て続けに「噛みつき男」の無差別な猟奇事件が起きたのだ。
人気のない貧民街の下水道や、廃墟等で見つかる浮浪者のバラバラ死体。
そのどれも己を証明する署名のように、噛み跡と同じ血文字のメッセージが添えられていた。
見つかりにくい場所の時は、ご丁寧にも目立つ所に血文字で矢印まで描かれて道案内が出されているというのだから親切な事である。
なりふり構わない。
ギルベルトの言葉を思い返す。
それは的を得ていた。
死体が見つからなければ、人々は怖がらないのだから。
夜中に落ち子は襲って来ないし、兄も悪夢から解放された。
一見、普通の生活が戻ったようだが、それは嵐の前の静けさというものだろう。
王都の住民は今まで以上に「噛みつき男」に恐怖し、夜に店を開けるものもいなくなってしまった。
若い娘が噛み殺されるという、どこか謎めいた物語じみた話は、誰彼構わずバラバラにされて殺される三文小説へと形を変えたのだ。
「俺を見ろ」
壁に残された文字通り、誰もがその死体の背景に「噛みつき男」を見ていた。
王都中が、震え上がったのだ。
だが、まだ兄は襲われない。
「噛みつき男」は、温存しているのだ。
今までのようなやり方では、返り討ちにあうと学習したのだろう。
メインディッシュの兄を襲う為に、力を溜めているようにしか私には思えなかった。