366話 レモンケーキです
「シャルロッテは午後は出掛けていたのだっけ? 王宮から帰ったと思ったら忙しい事だね」
兄の目の下の隈はまだ少し残っているが、憂いも晴れたようで気にならない。
「ええ、少し寄るところがありましたので貴族街の大通りへ足をのばしたのです。今夜のデザートはきっとお気に召しますわ」
私の言葉が終わると共に、デザートが運ばれてきた。
涼し気なクリーム色のレモンパイ。
「やあ、レモンパイじゃないか。早速買って来たんだね」
「すごーくお店が込んでいたので、私は店内に入れませんでしたが、ソフィアが代わりに買いに行ってくれたの」
「そうなんだね。おや? こちらは初めてみるね」
レモンパイと共に、小ぶりの檸檬型の菓子が並べられている。
「これは?」
「ソフィアが選んだもののようですね。どういうお菓子なのかしら?」
私の問いかけにソフィアが答えた。
不敵な笑いを浮かべている。
選んだ菓子に、相当自信があるのだろう。
「こちらは新製品のレモンケーキだそうです。檸檬の汁と皮を入れた生地を檸檬の形に焼き上げて、同じく檸檬を使った砂糖衣を掛けてあるそうですよ」
なんだか前世でも食べた事があるかも?
こんなところで再会出来るなんて嬉しい出会いだ。
遠慮なくレモンケーキから頂こう。
砂糖衣には檸檬の皮とピスタチオが細かく刻んでトッピングされている。
はむっと口に入れると、柔らかい爽やかな酸味のある生地とケーキを包む甘い砂糖衣のパリっとした歯触りがたまらない。
「とっても美味しいですわ。ソフィアのお手柄ですね」
レモンケーキを食べたので、レモンパイは薄く切ってもらう。
こればかりはいくらお腹がいっぱいでも、食べないという選択肢はないのだ。
ふわふわなレモンケーキと違い、こちらはしっとり芳醇なクリームとサクサクなパイ生地で、どちらも甲乙付け難い。
相も変わらずのおいしさでほっぺがきゅーっとなってしまう。
「どちらも檸檬を使っているのに、まったく違うお菓子なんですね」
ザームエルがしっかりと味わいながら、感心している。
きっと味を覚えて、感想を他の人へ披露するのではないかしら?
この人はそういう情報を発信するのが好きそうな感じだもの。
新製品といっていたけれど、きっとこちらも大人気になることだろう。
「ザム様はサロンやお茶会への出入りをされているのですか?」
元々はそういう貴族付き合いが好きそうな感じであったし、実際そうして後援者を捕まえて研究者をしていたのだろう。
ギルベルトの助手に収まった今、彼に付き合って研究三昧なのかと疑問だったのだ。
「ええ、ギルの助手になってからの方がサロンへ顔を出す回数も増えたのですよ。なんと言ってもギルはそういう事が苦手なので、得意な私が頑張らないとね。私にとってはうれしい限りですが」
意外な答えが返ってきた。
なるほど、ここでも上手い具合に噛み合っているのか。
私もどちらかというと家にこもって本を読んでいたいタイプなので、大勢の場に出るのが得意といえるザームエルを少し尊敬してしまう。
爵位がどうだこうだ、誰それの息子や娘やと色々と面倒くさいのだもの。
大半はソフィアを始め侍女達が記録してくれているけれど、悠然とそれを捌く人達のすごいこと。
到底私には真似出来ないのだ。
「色々な場面で、ギル様を支えているのですね。新居にはザム様の意見も取り入れるのですか?」
思い出したので聞いてみたが、私の質問にギルベルトもザームエルも怪訝な顔をしている。
「あら? ギル様が新しく居を構えるのでは?」
「わあ! お嬢さん。あれは僕の話じゃないと言ったじゃないか!」
焦っているギルベルトは珍しい。
「え? 熱心でしたし、てっきりご自分のことでお相手がいるのかと……」
私の中ではギルの結婚まで決まったような感じだったのだけど、本当に他の人の事だったの?
成婚祝いを何にするか聞こうと話を振ったのに。
「ああ、もう! だから、こういう話は嫌だと言ったのに……」
何やら小声でぶつぶつ言っているが、断れない筋からの新居相談だったのかしら?
「僕自身は関係のない話だから、絶対に母さんに言ったりしないでくれよ。万一そんなことになったら大騒ぎになってしまう」
物凄く真剣に念を押されてしまった。
どうやら私の早合点だったようだ。
うっかりヨゼフィーネ夫人への手紙に書かなくて良かったけど、残念だわ。
ギルベルトの結婚式なら招待して貰えると思って、内心ワクワクしていたのに。
仕方が無いので話題を変える。
「そうそう、悪夢避けの石ですが、ロンメル商会から煙水晶が届きましたわ」
「おお! やはりそういう効果のものがありましたか。なるほど、煙水晶とはまた渋いですね」
ザームエルが言うように、確かに渋いといえばそうかもしれない。
赤や青やピンクとは違って、とても落ち着いた茶色だもの。
私はそこが気に入っているのだけれど。
「邪気避けにもなるそうですから、期待出来るといいのですが」
そこまで言ってはたと気が付いた。