365話 小包です
チェルノフ卿は、いつ頃最北の国へ帰るのだろう。
出来るなら、1日でも早くこの国を出て欲しい。
彼が国を出てから「噛みつき男」の事件が起きれば、彼の身の潔白となるのだもの。
いいや、駄目だ。
兄が狙われているのだから、事件が起きるとしたら兄に関わる事ではないか。
それもあるが、被害がこれ以上出て欲しくない。
そんな事を考えてしまうのが、申し訳なくなってくる。
何だか疑心暗鬼になってしまう。
人を疑うのは辛い事だ。
私達は、事件を止める事が出来るのだろうか。
今までは狙ったと思われる人間をひとりずつ殺していたけれど、それが代わる可能性だってある。
相手は生きている人間なのだもの、今回女性から兄へ標的を変えたように何が起こるかわからない。
早く解決して、心に平穏を取り戻したいと私は溜め息をついた。
家に着くと、ロンメル商会から返事が届けられていた。
仕事が早いにも程があるというものだ。
私の連絡を受けて、すぐに返事を書いてくれたのかしら?
堅実な男である。
同封の手紙には、石に詳しい部下に聞いたとされる悪夢避けの石についての説明がかかれている。
邪気を払うという黒曜石や紫水晶もいいが、寝室に置くなら煙水晶はどうかという内容であった。
煙水晶というのは見た事がないけれどどんなものかしら?
タウンハウスの画廊か美術室には山ほど美術品や石があるのだから、家令に聞けばひとつくらい出てくるだろう。
ロンメルの手紙には小包がついてきていた。
「何か重い物のようですね」
小包をソフィアが持ち上げて、私の方へ寄越してくれる。
こちらは割れないように、丁寧に梱包されていた。
手紙の途中であったが包装を解くと、中からは大ぶりの六角柱の水晶が出てきた。
透き通った茶色の水晶。
これが煙水晶?
とても落ち着きがあって綺麗なものだ。
まさか、石まで届くとは思わなかった。
探す手間が省けて助かったが、ここまで至れり尽くせりなロンメルの仕事に驚いてしまう。
水晶を横に手紙の続きを読んでいると、気になる内容が書いてあった。
こうして迅速に返事が書けたのも、丁度よいサイズの煙水晶を送ることが出来たのも、他で同じ問い合わせがあったからだという。
ある人物に頼まれて悪夢避けの煙水晶を融通して欲しいと言われて、用意したうちのひとつなのだそうだ。
貴族の間では、悪夢除けが流行っているのですか?との問いが投げ掛けられていた。
他にも悪夢で悩む人がいたということ?
どう返事をしたものか。
悪徳の神とは関係なく悪夢を見る人間はいるだろう。
確か、寝る前にスティルトンとかいうチーズを食べたり、イギリスのチーズソースをトーストに掛けたウェルシュ・ラビットという料理を食べると悪夢を見るという話を前世で聞いたことがある。
チーズが悪夢を呼ぶのかとその時は笑い飛ばしたけれど、不可思議なことを知った今、世の中には悪夢を招くなにかがあってもおかしくはないと思ってしまう。
よく眠れない人や不眠に悩んでる信心深い人が、たまたま悪夢除けをロンメル商会へ問い合わせたのかしら?
悪徳の神は、兄を狙っているのだから無関係よね?
一体、誰なのだろうか?
うーん、変に悩んでも時間の無駄だし、駄目元で答えを知っているロンメルに尋ねるのが早いかもしれない。
手紙の解説に書いてあったが、煙水晶という名は焚火の煙を通して見た太陽の色に似ているから付いたのだという。
名前を付けた人はとてもセンスがあるのではないかしら。
深くけぶる褐色の石。
陽にかざしてみると、水晶に含まれる内包物がキラキラと光って、しばしうっとりと見入ってしまう。
重厚で落ち着いていて、心を穏やかにしてくれる印象を持つ石だ。
「これは、ベッドサイドに置いてもらえる?」
きっと、悪夢を防いでくれると信じよう。
別館の私が使っている客間で、しばらく兄と一緒に眠る事にした。
仔山羊達もいるので、大きなベッドだけれど大所帯である。
それ用にシーツや枕を設えてもらっていると、開けた窓から本館の方で馬車が止まる音がした。
誰かが来客する予定はなかったと思うのだけど?
気になったので窓から身を乗り出してみたけれど、ここからは何も見えない。
警備しやすいよう庭に面した部屋だし、正面玄関が見えないのは仕方がない事だった。
使用人が私を呼びに来る訳でもなし、両親は留守にしているし兄への来訪者かしら?
縄張りの話を聞いたせいか、客に敏感になってしまっている。
夕食時には、昨日とは見違えて元気そうな顔の兄に会えた。
栄養を取って仮眠を取ったお陰だろう。
子供の体調は、悪くなるのも良くなるのも早い。
元気になってくれて本当によかった。
昨夜よりも口数も多く、なごやかな夕餉が過ぎる。
料理長が気をきかせて、消化の良いものを並べてくれてその心遣いが嬉しかった。
このまま平穏が続けばいいのに。