362話 砂糖漬けです
「まるで花畑のようですわ」
私が部屋の感想を言うと、店主は誇らしげに銀細工の砂糖菓子入れを、まるで宝石箱のように扱いながら私の目の前で蓋をあけた。
「それでは、最上の花のお菓子をどうぞ」
そこには鮮やかな紫色の花に、白い結晶をまぶしたものが詰められていた。
「これは?」
「菫の砂糖漬けです。どうぞお好きなだけご賞味下さい」
「まあ! 貴重なものですね」
話には聞いた事があるが、初めて口にする。
桜の塩漬けは和菓子で食べたことがあるし、桜餅に巻いてある桜の葉の塩漬けも馴染みがあるがスミレとなると少し抵抗がある。
可憐なスミレを砂糖につけるなんて、誰が考えたのだろう。
食べちゃいたいくらい、かわいい花ということかしら?
おずおずと手を伸ばして、ひとついただくことにしよう。
シャリッと砂糖の結晶が崩れるのと同時に、口いっぱいにスミレの香りが広がる。
まさに香りを食べているという風だ。
霞を食べるという仙人もこんな感じなのかしら?
「とても甘くておいしいものですね。夢の食べ物のようですわ」
「そのような言葉をいただけて光栄です」
「こちらで作っていらっしゃるの?」
「ええ、作業場で厳選した匂菫を使ってひとつずつ刷毛を使って丁寧に仕上げております。味と見栄えを重視しておりますので量産は中々難しいのですが、かえってそれが希少価値に繋がるようで」
手間を掛けているだけあって菫の花弁は欠けたり縮むことも無く美しく咲き誇るままの姿だ。
なんて綺麗なんだろう。
なかなかこの花屋は商売上手なようだ。
「知る人ぞ知るお菓子と言う訳ですね」
「ええ、元々は薬用で咳止めや頭痛、不眠などに効果があるので民間でも作られますが、ここまで形と味に拘ったものは他にはないでしょう。1輪でひと部屋香ると言われる程香り高い花ですが、如何せん野に咲く花で小さく背も無いのでネルケのように特別な花ではありませんけれどね」
「でも、特別なお菓子ですわ」
私がそういうと、何度もええ、ええ、と店主は頷いてみせた。
高級な花ばかり扱う貴族街の花屋で供されたお菓子が、野の花であるのが何だか面白い。
路傍の花をこんな宝石のように仕立てるなんて、きっと根っからの花好きなのだと思わせてくれた。
「あら?そういえば不眠に効くとおっしゃいました?」
「ええ、心を落ち着ける効果がありまして安眠へ導きますよ」
なんて素敵なの!
少し分けて貰おうかしら?
匂いがあるものだけれど、ネルケではないのだから大丈夫よね。
「そういえば、ネルケの花を贈って下さる方へお礼を伝えたくてこちらに足を運びましたの」
私の言葉に店主はゆっくりと首を縦に振った。
家令の話では相手についてわからないとの事だったけれど、本当のところはどうかしら?
「お気持ちは良く分かります。あの素晴らしい花を贈られたら、誰でも贈り主が気になることでしょう。ですが、当店では何もわからないと言うしかないのです」
店主の話では、顔もわからないし名前も残さない人であるという。
「でも何か目に止まるものはありませんでしたか?服装や紋章入の何かとか」
店主はひとしきり唸ってみるが、何も思い浮かばないらしい。
「紳士……、なのは確かです。仕立てのいい服装で、礼儀もちゃんとしていらっしゃいました。ただ顔はなんと言っていいか印象に残らない方ですね。普通?悪くもよくもなく?うーん、言葉にするのは難しいですね。こちらで言えます事は、大層金払いが良い方であることくらいです。注文に来られる紳士が贈り主本人なのか、代理人かもわかりません」
そんなことってあるのかしら?
そんなに印象に残らないなんておかしいわ。
目付きがどうとか、髪型がどうとかも話に出ないなんて、単に地味な男という言葉で片付けられない気がした。
やはり魔術が介在しているとしか思えない。
「ああ! そうそう! 少しお待ち下さい」
店主は急に思い立ったように、部屋を出ていくと程なくして戻ってきた。
その手には、一通の手紙を握っている。
「うっかりしておりました。エーベルハルト侯爵家から人が来るような事があれば、これをお渡しするよう言われていたのです」
そう言いながら、店主は花模様の封筒を差し出した。
「確か侯爵家の方だけが開けるようにと、念を押されていましたよ」
そういう割には、宛名も差出人の名前も表書きは全くない。
筆跡で身元がバレるのを避けたのかしら?
開けなくてもわかる気がした。
きっと中にはカードが1枚入っていて、悪徳の神の名前が書かれているのだろう。
もし、先に『Yの手』の事を知らなかったら名も知らぬ花の贈り主を考えながら、そのままその名を目にしてしまったことだろう。
表書きがないという事は、エーベルハルトの誰が目にしても目的は達せられるということだ。
封筒の中身には悪意も一緒に封されているかのようであった。