356話 私の罪です
「一体何が?」
とりあえず恐怖におののいてはいるが、朝よりは睡眠がとれている様で肌つやは良くしっかりとしているように見えた。
「やはり悪夢を見たのですか?」
慎重に聞くと、兄はゆっくりと頷いた。
なんてこと、クロちゃんとビーちゃんは役に立たなかったというのか。
でも、眠れてそうだからその分は2匹のお陰かもしれない。
「夢を……、そう、胸の悪くなる夢を見ていたんだけれどそこに……」
兄は説明しようとするが、いささか混乱しているようだった。
「……。いつもの夢だった。いや、私は助かったといえば助かったんだろうか?」
要領を得ない言葉が続くが、じっと落ち着くのを待つ。
すると寝台上の乱れたベッドシーツの山だと思っていたものが、もそっと動いた。
なんだ、2匹ともそこにいたのね。
なんでシーツに隠れているのかしら?
隠れん坊?
「それで、目が覚めて、そしたら夢の中のあれが……」
兄の話に相槌を打ちながら、クロちゃん達の元に近寄る。
兄を守れなかったと思って、しょんぼりして隠れてるのね。
ばかね、そんな事で叱ったりしないのに。
そもそも、私の注文が過ぎたものだったのは自覚している。
無理をさせてしまったのかしら?
2匹とも頑張ってくれたのだろうから、そこは褒めてあげないとね。
皆が兄に集中している中、そっとシーツを開けた。
ほーら、みつけた。
隠れん坊は終わりよ。
私は絶句した。
シーツの中には蔦の塊のような多くの目がついたぐるぐると、蝙蝠の羽で長い首と尻尾、爬虫類の様な頭を持つ生き物がじっと息を殺していたのだ。
私はシーツを上げたままの姿勢で固まってしまった。
どうしよう、元に戻ってしまっている。
ここには兄だけでなく、デニスとギルベルトとザームエルもいる。
皆の目に付いたら、大騒ぎになってしまう。
早くこの部屋から皆を追い出さないと……。
どこか2匹とも涙目のようになっている。
クロちゃんは目がいっぱいあるので涙目々というか、なんというか。
驚きのあまりどうでもいいことを考えてしまった。
「……。あ、あの、せっかく起きたのだし、兄の気分が落ち着くまで、明るいサロンへ移ってはどうでしょうか?」
きっと、私の目は泳いでいることだろう。
声はひっくり返ってないかしら?
不自然な発言ではない?
この2匹は隠さないと。
見られたらどうなるかしら?
気絶されたり、大声でわめかれたり、もしかしたら危険だと思われてその辺の物を投げつけてくるかもしれない。
何より2匹にそんな目にあって欲しくない。
ギルベルトならそんな事はないだろうけど、それこそスケッチや観察だと言って、元に戻させてくれない可能性がある。
早くどこかへ行ってしまって。
「確かにそうだね。ついでに温かいお茶も入れてもらえば、ゆっくりと落ち着いて話せるだろうし」
学者は私の方を少し怪訝な顔で見たけれど、兄の悪夢がどういうものだったのかの興味の方が勝ったらしい。
デニスは私の言葉にうなずくと、兄に手を貸して部屋を出ていった。
「お嬢様?」
皆が退室してもベッドの前から動かない私に、ソフィアが声を掛けた。
「あの、ちょっとクロちゃんとビーちゃんがシーツで隠れん坊をしているから、私は少しここで相手をしておくわ。皆さんにお茶を出してあげてね」
ニッコリ笑ってそう言いつける。
そうですかと言って、ソフィアも素直に下がってくれた。
部屋の中には2匹と1人。
「もう大丈夫よ。皆出ていったから」
そう優しくシーツの上から声を上げると、2匹が私に飛び掛かった。
ベッドの上で、目玉だらけの蔦の塊と、羽の生えた人型爬虫類を抱きかかえる姿は、きっと第三者からみたら尋常ではないだろう。
少女が異形に襲われてるようにも見えるかもしれない。
また、魔女だなんていわれちゃうかしら?
ああ、クロちゃんもビーちゃんも、いつものふかふかもふもふはどこへやら。
すっかりその表面は堅くてゴワゴワしてしまった。
「いいのよ、いいの。大丈夫よ」
2匹とも声にならない声を上げている。
泣いているのだ。
私があげた姿を失って、悲しんでいるのだ。
前にもクロちゃんが、元に戻った時があった。
あの時もこんな感じに申し訳なさそうにしていたけれど、兄に見られたせいでその嘆きはより深そうだ。
全力で兄を守ってくれたのね。
私の無茶ないいつけを守って、なんて可愛い子達。
「大丈夫よ。どんな姿でもあなた達が大好きよ」
その言葉を聞くと、より一層彼らは体を押し付けてくる。
また、仔山羊と小鳥に戻りたいのね。
悲しい事に2匹とも、この姿が人に怖がられ避けられることを知っているのだ。
異形のままであったら、人に怖がられてもそれも畏怖のひとつとして疑問なく受け入れていたのだろう。
でも彼らは知ってしまった。
姿を装う事で、人から好意を向けられ無条件に受け入れられる事を。
知る事はある意味、罪のようなものだ。
知識は罪を伴う。
楽園の林檎のように。
アダムとイブのように。
知らなければ、幸せなことは山とある。
それらを彼らに与えてしまった私は罪深い。
それが罪でも彼らをそばに置くのをやめられないのは、もっと罪なのかもしれなかった。