36話 見舞い客です
「じゃっるろっでさまああああぁ!」
王子の退出後、しばらくして入って来たのは泣きじゃくったコリンナと父親のクルツ伯爵である。
コリンナは、そのままベッドに駆け寄って私にしがみついた。
クルツ伯爵の止めようと伸ばした手が、虚しく宙で止まっている。
「あ゛だし何も知らなぐって! 後からぎいて! どてもしんばいしたんでぅぅぅ」
「コリンナ落ち着いて。言葉と顔が大変なことになってますわ」
「だってだってっ」
一晩泣き明かしたのか、目も腫れているし鼻も真っ赤である。
こんな少女に心配かけてしまって、申し訳ない気持ちだ。
慰めるようによしよしと頭を撫でておく。
頭を触っても今回は怒られないから、やはり王子にしたのが悪かった様だ。
「この度はシャルロッテ様のご献身、心から敬意を表します」
恭しく礼をとってくれたのはクルツ伯爵である。
歳は30程で人の良さげな紳士だ。
「やあクルツ伯爵、この度は騒がせたね。見舞いありがとう。コリンナ嬢もわざわざすまないね」
「コ……、コリンナでございます。ぐすっ。茶会ではシャルロッテ様に良くしていただいたことだけでなく、ハイデマリー様まで助けられて倒れたと伺いました。ひっく。お見舞い申し上げます、うっ」
父の言葉を受けて、コリンナは慌ててベッドの横に立ち上がりハンカチでチーンと鼻をかんでから一息ついて挨拶とお辞儀をした。
まだ落ち着いていない様なのにそれでも挨拶出来て偉いわ。
「クルツ伯爵様、この様な格好で申し訳ありません。まだ立ち上がるのは難しいので臥せったまま失礼いたします。親子でのお見舞いありがとうございます」
伯爵にお礼を言い、コリンナにも目を向けてニコっとしておく。
「あの有名な桜姫にこうやってお目にかかれる日が来るとは思ってもみませんでした。今後は王宮でもお目にかかることが出来ますね? 元気になったら是非我が家へもご招待したい」
「王宮で? いえ、私はまだ学院にも入れませんし、社交界へのデビューも先ですので今後も領地でのんびりしている予定なのですが……」
まあ、今までは引きこもりが過ぎていたから、少しは茶会や小さな催しには出る様になるだろう。
だからといって、これから王都に長期滞在する予定もない。
ましてや子供が王宮に出入りするなどありえない。
クルツ伯爵は私の言葉を聞くと少々、困り顔の父と頷きながらなにやら目で会話している風をみせた。
父は一度目をつむり、覚悟を決めた様に口を開く。
「どうやら君が王太子殿下の婚約者に決まりそうなんだよね。そうなると必然的に、王宮に上がる回数が増えるというか……」
私は絶句した後、酸素を求める金魚の様に口をパクパクとさせた。
母は頬を上気させて嬉しそうな顔をしているし、ソフィアとコリンナはキャーッと黄色い声を上げる。
「な……っ、な……っなんて?」
つい淑女らしからぬ言葉が口をついて出そうになる。
一体私が寝ている間になにが起こったのか。
私の反応にまずいと思ったのか、父は突然早口にまくし立てた。
「んん、いやまあ王宮側から打診が来ているというか、君が嫌ならいいんだよ? まあ、うん、まだ正式に決まっていないし、断われるからね? うん、それ相応の理由は必要になるとは思うけれど? ね?」
王宮茶会の招待の話の時も思ったけれど、この父はなんというか領地経営や軍部の事ならいざ知らず、どうも華やかな社交の駆け引きや遣り取りが苦手なのではないかと思われる。
明らかに目が泳いでいて、どうしようという気持ちが前に出ているのだ。
男親らしいといえばそうなのだが。
「目を覚ましたばかりのシャルロッテ嬢に不用意な話をしてしまったようで申し訳ない。先ほどは王太子殿下がいらっしゃったようだし、栄誉な話なのですぐに知らされているとばかり」
父の動揺が移ったのか、クルツ伯爵もしどろもどろに汗を吹いている。
確かに貴族の令嬢ならばこの話は一番大事な話であるはずだろう。
ただ私は元々が庶民のおばさんだったので自分が王妃になろうなどと思ったことがなかったのだ。
侯爵令嬢という身分でさえ夢の様で、私の中の少女趣味の部分はそれで満足してしまっている。
どちらかと言うと王妃になってふんぞり返るよりは、この知らない世界を旅したり魔法に触れたりしてみたい。
「私、シャルロッテ様がお似合いだと思ってました! 王太子殿下もシャルロッテ様とお話してる時はリラックスされてるようでしたし応援します!」
先ほどまで泣いていたのが嘘のように、コリンナが声を弾ませて夢現でそんなことを言い出した。
私も子供だったら同じ様になっていただろうか。
「い……いえ、そんな恐れ多い。私なんてとてもじゃありませんが、務まるとは思えません」
「話には聞いていたが大人顔負けの受け答えも出来ているし、コリンナも見習って欲しいものだ。シャルロッテ嬢ほど王太子殿下に相応しい人材はいないと会って確信したよ」
だから自信を持ちなさい!と言う風にクルツ伯爵が拳を握りしめて励ましてくれる。
しり込みしているように見えたようだ。
さすが親子である。この人いい人だ。
父はこの話題が相当苦手な様で、ふたりを見送ると言ってそそくさと一緒に退出してしまった。
心温まるクルツ伯爵親子の後に控えていたのは、部屋の空気が重くなる訪客であった。
髭を蓄えた銀髪の紳士。
鋭い眼差しは何もかも断罪するような、そんな厳格さを思わせている。
レーヴライン侯爵本人である。
平時ならば気軽に声を掛けるのも出来なそうな感じだ。
西の侯爵は北の侯爵である快活な父と正反対なイメージである。
「この度は……。シャルロッテ嬢を危険な目に合わせてしまい言葉もありません。謝罪と救っていただいた感謝を」
絞り出すように出された声に、疲れが見える。
娘が被害者とは言え、この様な事態の中心である以上各方面に頭を下げて回ったのだろう。
「私は大丈夫ですから、侯爵様こそお身体をおいとい下さい」
労う言葉を掛けると目尻に涙が見える。
長い沈黙の後、やっと口を開いた。
「娘は今、自身の希望もあり教会で保護いただいております。この先修道女として神に身を捧げると言い出してもおかしくない様子で……」
言葉の少なさや、選び方から普段から寡黙なのだなと思わせる。
きっと不器用な人なのだ。
硬い表情の中にも、ハイデマリーへの心配が見て取れた。
「娘とシャルロッテ嬢を呪詛した犯人は調査中だが、きっと報いを受けさせてみせる」
言った後の固く結んだ唇に、その決意が滲んでいる。
本当に真面目そうな人だ。
「レーヴライン様のお気持ちはわかっておりますわ。早馬で駆けてきたと聞いております。さぞかしお疲れでしょう。シャルロッテも病み上がりみたいなものですし、本日はこの辺で」
会話の続かなさに、母が助け船を出した。
レーヴライン侯爵は深々と頭を下げると「失礼する」とだけポツリと言い出ていく。
あんな様子では、誰も話しかけられないだろう。
ソフィアがやっと息が出来るという風に、大きなため息をつく。
「すごく厳しそうな方でしたね。真剣な雰囲気にうっかりお茶を出すのを忘れてしまいました」
「今日は侯爵もそれどころではなかったでしょうから大丈夫よ。次からは気をつけてね。あの方も、もう少し柔らかくなるといいのだけれど、お若い頃からかわらないわ。西と北の侯爵様は土地と性格を交換したらいいと言われているのよ」
どうやら火山があり吹きおろしの大風が吹く厳しい北の土地と温暖で茶葉がとれる西の気候と領主の性格が反対なのを揶揄しているらしい。
「でもあの方が北を治めたらそれこそ冬にはみんな凍えてしまいそうよね。お父様が明るい人で良かったわねシャルロッテ」
母はのんきに笑って言った。




