353話 花の行方です
「ネルケの花の匂いが落ち子を……、悪夢を……、兄の元へ?」
私は真っ青になっていたことだろう。
飾ってある花の事など、一度も関連付けて考えたことさえない。
綺麗でいい匂い。
それしか思わなかった。
それが全てだ。
館を飾る花がもしそうだとしたら、使用人の中に『Yの手』の持ち主がいるということなの?
「まさか……」
否定しようとするが、確かにここまで香りの強い花をふんだんに飾る事は少ない。
強い香りは病人には障るし、人それぞれ好みもあるのだもの。
例外として花の産地であるネルケの街はそこらじゅうに飾っているけれど、あれは広告であり売り出す戦略みたいなものだ。
あの花に溢れた街を知っているからこそ、今の館の様子に違和感を覚えなかった。
ネルケの花は王都で買おうとすれば、安いものでは無い。
飾るとしたら特別な時か、個人の一室くらいじゃないかしら?
それなのに、今、エーベルハルトのタウンハウスの各所に飾られている。
ネルケの花くらいで身代が傾くような家ではないけれど、これは大盤振る舞いには違いないのだ。
もう『Yの手』の持ち主は、『噛みつき男』は、この館にいるとでもいうの?
ギルベルトが言いたがらないはずだ。
誰だって自分の家の者を疑いたくないものだもの。
「家令を呼んで!」
私はすぐさま控えさせていたソフィアに言いつけて、タウンハウスを取り仕切る家令を呼びにいかせた。
ソフィアが急かしたのか、すぐさま家令が駆けつける。
「何か不備がありましたでしょうか?」
「今すぐ、屋敷中のネルケの花を手配したのは誰か突き止めて!」
私の必死な様子に、家令は驚きながらも平静を装って答えた。
「お気に召しませんでしたか? それならば調べるまでもありません。これらは贈り物として届いたものですから」
冷静な受け答えに、私の頭も少し冷えた気がする。
「贈り物?」
「ええ、差出人は大層奥ゆかしい方なようで、名前を出されませんでしたが、こちらは全て贈られた物でございます」
家の者ではなかった?
最悪の事にならなくて、良かった。
自分の早合点を恥じると共に、ほんの少しだけ安堵した。
家令の話はこうだった。
ある日、侯爵家に花屋が注文を受けたといって、荷馬車で大量のネルケの花を届けに来たのだと。
花屋に聞いても贈り主の名前を言わないし、そもそも相手の名前を知らないようだった。
注文をしにきた人間の事も、金払いは良かったが特にこれといって特徴はなく覚えていないと言い張ったそうだ。
花屋がいうには料金は既に貰っているので、花を納めさせて貰わないと困る、匿名で花を贈るのは年頃のお嬢様がいる家にはありがちだから気にするなとの事であったという。
誰からの誰宛の贈り物かわからなくて使用人達も困惑したが、花桶を調べてみても不審な点はなく悪いものでもないのでそのまま受け取ったそうだ。
そうして、花が萎れてくる頃に、また追加の花が届いたらしい。
そんな訳で、タウンハウスにネルケの花が惜しみなく飾られる事になったのだと言う。
家人達は当初、確かに当家にはお嬢様はいるけれど年頃というにはまだ歳若いし、既に婚約者がある身なので受け取るのはどうかと話も出たが、もしかしたら下心ではなく敬虔な地母神教の信徒が信仰の証に聖女様宛に贈ったのではという事で納得したらしい。
寄進の意味があるのなら、匿名である事がしっくりきたからだ。
そこへ私が久しぶりに館へと帰って来たのだから「ああ、やはりお嬢様宛の花であったのか」と皆、腑に落ちたのだという。
「相手がお名前を伏せていらっしゃるので、すぐにはお知らせはしませんでしたが、そういう訳なのです」
私が客人を連れての帰宅であったため、落ち着いてから報告する予定だったのだそうだ。
とりあえず使用人の中に犯人がいる訳でないようで、ほっと胸を撫で下ろす。
「兄様が食欲が無いのは知っているわよね? 食が進まないのは、甘い花の匂いで満足してしまうからかもしれないから、ネルケの花は全部下げて貰っていいかしら?」
私は子供が我がままをいうような感じを装って、有無を言わせない雰囲気を演出した。
「全部ですか?!」
家令の仰天する声で、かなりの量があるのがしれる。
「ええ、1本残らずお願いするわ。そのまま捨てるのは花に罪がある訳でなし、忍びないわよね。そうね、使用人の皆で分けてもらって結構よ。勿論、その花の行方については私は聞かないから心配しないでちょうだい」
ひとり当たり結構な量の花が配られる事になるだろう。
個人的に飾りたければ使用人部屋の私室に持って行くもよし、新しくリボンをかけて意中の人に贈るもよし、小遣い稼ぎに街の花屋に転売するのもいいだろう。
高級な花だもの、臨時の報酬として喜ばれるのは間違いない。
ようは私達の目の前というか、私達の鼻に香りが届かない場所にあればいいのだ。
花に罪はない。
美しいものなのだもの。
喜ばれる人の手にあるべきだ。