343話 書状です
何故、兄が落ち子の夢を見ているの?
被害者は年若い娘ばかりだったはず。
「噛みつき男」は兄を女性と見間違えた?
いや、いや、いや、そんな馬鹿な事はないはずだ。
次は兄が狙われているの?
私がこの館に来たせい?
いいや、違う。
昨日限りの事ではないのだ。
ここのところ悪夢を見ていると言っていた。
今、始まった事ではない。
兄は何をして狙われたのか。
「兄様は噛みつき男の調査をしたり、悪徳の神について興味を持って調べたりしたのですか?」
「いいや、そんな事はしていないよ。ああ、そういえばそれっぽいよね。あの口のついた手で噛み付いたと思えば。確か悪徳の神も手に口があるのだっけ。シャルロッテは突飛もないことを思いつくね」
兄は夢の異形がどこからもたらされたものか判明して気が楽になったのか、くすくすと笑っている。
連日の騒ぎにあてられたのだと、納得でもしたのだろう。
こちらは、笑いごとではないのに!
実は個人的に詳しく事件を追っていましたと言ってくれた方が、まだましだ。
「人の噂や新聞で読んで、どうやら影響されたようだ。私の感受性も満更ではないということかな? 自分がそんなに繊細とは思っていなかったけれど、これだけ世間を騒がせているのだし、こういう事もあるのかもしれないね」
原因らしきものがわかってか、かなり安堵した様子だ。
確かに悪夢の元が判明したのだから、漠然とした不安からは解放されたとしてもおかしくはない。
けれど私は、それどころではない。
悪徳の神に目をつけられたのではないなら、これは「Yの手」の仕業としか思えない。
誰かが、兄の名前を「Yの手」に刻んだのではないか。
誰かではない、それは「噛みつき男」だ。
そう思うのは考えすぎなの?
最近ずっと悪徳の神の事を気に留めてるから、何でも関連付けてしまっているの?
そんな訳がない事を自分は良く知っていたけれど、兄が関わっている事を否定したくて自問自答を繰り返す。
「あの、あの……。『Y』から始まる単語を、どこかで見掛けたりしましたか?」
私の言葉に、ルドルフがきょとんとする。
言葉を習いたての子供じゃあるまいし、単語をみかけたかなんて、どういう聞き方だろう。
そうよね、何言ってるんだって感じだ。
そんな目につくところに、悪徳の神の名前が書いてあったりするわけがない。
「あれはシャルロッテの悪戯だったのかい? どういう意味かわからなかったよ。あれは一体何かな?」
私は目の前が真っ暗になった。
なんてこと。
「私ではないですわ。ただ、今そういう悪戯をする人がいるみたいで……。どんな風でしたの? あまり詳しい話は流れて来ないので、興味が出てしまって」
ごまかしたように聞こえなかったろうか?
とにかく状況を把握しないと。
私は祈るような気持ちで返事を待った。
「そんな変な事が流行っているんだ? 何かの謎かけとかなのかな? でも、知りたがりなシャルロッテらしいね。『Y』から始まる単語に何の意味があるのかわからないけど、確かに私はカードを受け取ったよ」
頭を殴られたような衝撃を感じる。
ああ、なんでこんな事になっているの?
兄の話ではある日、私に会いに王宮へ上がった帰りの回廊で、見知らぬ使用人に呼び止められたらしい。
見知らぬといっても王宮には何百人も使用人がいるし、ほとんどは知らない顔であるのだ。
使用人の顔を覚えている貴族は稀である。
そもそもが使用人は、働いている所を貴族の目につかないよう配慮しているものだもの。
その声を掛けてきた使用人も他の下働きから頼まれたという風な説明で、封をした書状を兄に押し付けて仕事は果たしたというように下がったという。
これでは使用人から差出人を辿ることはかなり困難だろう。
エーベルハルト侯爵家の跡取りなのだから、ルドルフも私と変わらない量の書状を受け取るのは慣れている。
王宮に顔を出せば、それを見かけた貴族がご機嫌伺いの挨拶や家への招待の書状を送ってくるものだし、婚約者のいない令嬢からの恋文やお茶の誘いのカードのやりとりも少なからずあるという。
私の知らないところでそんなにモテていたなんて!
まあ、そういう訳で突然書状を渡されるのは、別段おかしいことではないのだ。
さっさとハイデマリーと婚約していたら、少しはそんなことも減るのに!
いや、そんな話ではなかった。
不用意に手紙を受け取って、中身を見たからといって責められる事ではない。
私のように不精をして人任せで最低限の手紙しか目を通さない人もいるけれど、今回は何でも自分でやろうとする兄の性格が仇となってしまった。
「後、美しいインク瓶が添えられておりましたね」
侍従のデニスが補足するように、口を出した。
兄はすっかり忘れていたようだ。
「ああ、そういえば一緒にもらったね」
悪徳の神の名前と一緒にプレゼントを贈るとはどういうことだろう?
まさか、生贄に選んでごめんねとかの謝罪のつもりなのかしら?