341話 朝食です
ソフィアに頼んで料理の邪魔にならないよう髪は三つ編みにしてもらい、調理室へと足を運ぶ。
調理室はガヤガヤと活気があり、既に料理人達は料理の下拵えを始めている。
仕事中に子供が邪魔をするのは少し申し訳ない気持ちになったが、兄の為に少しでも何かしたいのだもの。
いきなり現れた私に皆は驚いたようだが、ちゃんと話を聞いてくれた。
朝食のメニューを変えろというのは横暴のような気がしたが、時間が早い事もあって変更に支障はないようだ。
だけど当初は兄とラーラの分だけ任せてもらおうと思っていたのが、私の案を面白そうに聞いた料理長が、いっそ全員分作りましょうとやる気を出したせいで、大事になってしまった。
全員分というのは館の客人、使用人に護衛に詰めている騎士達全員を指しているのだもの。
そんな大仕事、私に務まるのかしら?
調理場には大きなすり鉢が出され、私の指示に従って使用人達がテキパキと動いていく。
私の心配をよそに作業は流れるように進んでいる。
これも料理長の采配のお陰だ。
大鍋に沸かしたお湯に皮に切れ目を入れたトマトをいれて、すぐに水にとって湯むきをする。
この作業はつるんと皮がめくれるので何だか好きなのだけど、火傷をしては大変とやらしてはもらえなかった。
実際、皮をめくっている下働きの子は楽しそうにしている。
おしゃべりしながらのその作業は、とても楽しそうだ。
私も参加出来たらいいのに!
胡瓜や黄青椒は丁寧に種をとってざく切りに。
どれも量が多いので、調理場は戦場の様だ。
玉葱や大蒜も刻んで、材料を全部すり鉢に入れてからが本番である。
料理人の中でも特に体の大きな人が何人かで、一生懸命に放り込まれた夏野菜をすり潰していく。
どろりとペースト状になったそれらを濾し器で丁寧に裏ごしするのだが、それも一仕事である。
そこへ本来の朝食用スープであったコンソメスープをゆっくり流し込んで、少しずつ伸ばしていけば栄養たっぷりの私流ガスパチョだ。
仕上げにオリーブオイルとワインビネガーで味を整えれば完成である。
このスープは、蒸し暑い日本の夏の朝にぴったりの火を使わないさっぱりスープとして重宝したものだ。
うだる暑さの中サッと胃に流し込めば、栄養も涼もとれると言うものだ。
寝る前に材料を切っておけば、後はミキサーに入れるだけであっという間に出来上がる。
今回は手作業なので、大変な工程になったけれど、器具さえあれば味噌汁を作るよりも簡単なのだ。
これを冷蔵庫でしっかり冷やして素麺や、水洗いしたご飯を入れてもおいしい。
本当ならパンも一緒にミキサーで混ぜ込んで食べ応えを出すのだが、厨房にあるパンの種類が違うので出来上がりに確信が持てずやめておいた。
その分、パンはバターでこんがりと狐色に炒めてクルトンにしてスープの浮き実とする。
思い立って作ってみたが、中々上出来ではないだろうか。
「火を使わない料理は珍しいですね。裏ごしに手間はかかりますが、爽やかでおいしいです」
冷製スープもテリーヌもピクルスだって1度は加熱するので確かに珍しいかも。
料理長は小皿に注いだ初めて飲むガスパチョをふむふむと頷きながら味わってから、おもむろに赤と茶色の香辛料をふりかけてみせた。
「いかがでしょう?」
差し出された匙で味見をすると、深みと辛味が増している。
「まあ! 先程よりも味わい深いですわ!」
少しピリリとして、後何かしら?
馴染み深い風味もする。
「唐辛子粉と馬芹粉を少々入れてみました。唐辛子は血行を促す他にもいろいろな効能がありますし、なにより食欲を増進してくれます。馬芹は消化促進の効果があるのでシャルロッテ様の目的にも合いますでしょう?」
なるほど、さすが侯爵家の台所を預かる料理人だ。
うっすら感じる馴染み深い味はカレーの風味に近い。
それは一層飲みやすくなったといえるだろう。
私は料理長の言葉にコクコクと頷いて、もう一口追加でいただいた。
うーん、おいしい。
「さすがプロは違いますね。少しの香辛料でこんなに上等な味にしてしまうなんて、素晴らしいです」
私の手放しの賞賛に料理長は嬉しそうに笑った。
美味しいものは人生に華を添えるようなものだ。
その作り手を賛美するのに吝かではない。
まあ、美味しいものをいっぱい食べたいだけなのであるが。
例えるなら私の指示のままのスープは家庭の味で、料理長が手を加えた後は高級料亭のお味といったところか。
何事もプロには敵わない。
これならば兄も残さず食べてくれるだろう。
兄とラーラの喜ぶ顔が早くみたいものだ。
食べる人の喜ぶ顔か。
思えば主婦として長らく台所に立ってきて、そればかり考えていたような気がする。
家族の好き嫌いを考えながら季節に合わせてメニューを組み立てたり、同じおかずが続かないようにしたりと簡単なようで面倒なものだ。
手を抜く事もあったけれど、自分の料理が家族の体を作っているというのは中々に重圧を感じるものでもあった。
何気なくも大事な人間の営みのひとつ。
料理人のいる生活はそういうしがらみから解放してくれて気が楽なのだが、たまにどうしても自作したくなるのは、あの毎日台所に立った平凡な日々を私なりに愛していたからかもしれない。