335話 補正です
「他にもどんな訓練があるんですか?」
「そうですね、森に放りこまれて野営しながら食料調達とか……、これは前にも説明しましたね」
そういえばウェルナー男爵領での旅で、そんな話を聞いた気がする。
彼女が志願した部隊はより過酷で、蕎麦粉だけ持たされて焼いて食べたとか言っていたっけ。
「令嬢の護衛訓練としては、ドレスを着ての戦い方とかもありましたよ」
「まあ! そんな訓練を!」
それは女性ならではの訓練だ。
興味津々で私はベッドの上で、枕を抱えて話の続きを待つ。
「女性騎士は国内でも多くはありませんが、需要は高いのはご存知ですね。今もこうしてシャルロッテ様と同じ室内にいられるように、女性要人に対して男性騎士には出来ないことが出来るのが女性騎士です」
確かに男性の護衛ならば、何をするにも他に女性の使用人を同席させなければいけない。
女性の貞操というものが最重視されているこの国では、何かと異性の護衛官は不便なのだ。
護衛といっても未婚の貴族の女性が男性と2人きりになるのを許すほど寛容ではない。
女性ならば浴室や寝室も何の外聞を気にする事なく出入りできるという強みがある。
かといって、騎士を目指す女性はそこほど多くないので彼女達は貴重な存在となっている。
「ドレスは不便ですが、相手を油断させるにはいい服装ですからね。さすがに最初はクリノリンが邪魔で仕方がありませんでしたけど」
クリノリンというのはクジラの髭や針金を輪っか状にしたものを繋げて釣鐘状の骨組みにしたドレスのスカート部分を膨らませる下着である。
鈴蘭のように膨らませたスカートと細い腰のラインは女性らしさの象徴ともいえるもので、一時は行き過ぎてドレスの裾をどれだけ膨らませるかを競ったらしい。
絞って腰のくびれを作るのには限界があるのだから、スカートを膨らませる方が楽なのは確かだ。
お陰で巨大なクリノリンを付けた令嬢が動く度にテーブルや調度品を引っかけたり、暖炉の火が引火したりと事故が多くなったそうだ。
今はその流行も下火であるが、ほどほどのサイズの釣鐘型や、それを縦割りにしてヒップラインのみにボリュームを持たせた腰当て型が存在している。
他にも昔からあるスカート部分を膨らませるのに多くの布を重ねてボリュームを出したパニエも存在するが、そちらはとにかく暑くて動きにくいのであまり人気ではない。
現代日本でも補正下着やらなにやらと多くあったが、こちらでは胸や腰はともかくスカートの形まで補正するなんて贅沢というのか、面倒といえばいいのか何とも言い難いことだ。
「鯨骨を仕込んだコルセットのお陰で刃傷沙汰に巻き込まれた令嬢が九死に一生を得た話もありますし、クリノリンの下に武器を仕込む事も出来るので悪くはないのですがね」
そういってラーラは笑ってみせた。
何事も使い様という訳である。
確かに堅いコルセットはウェストを絞るだけではなく、刃物で刺された時に身を守ってくれるだろう。
防刃ベストと思えば苦しくても我慢出来るかしら?
いや、刃物に備える令嬢そのものの存在がおかしいか。
アニカ・シュヴァルツが発案したミニスカートは、女性の服装がもっと簡易化して活動的になってからなら大いに流行しただろう。
窮屈なコルセットもクリノリンも投げ捨てて、もっと自由な風が吹いて、女性が髪を短く切って颯爽と歩いていても誰も何も思わないようなそんな社会。
そういう時代であったならば、足を出して動きやすいのでラーラだってはいたかもしれない。
時代を先取りするのはいいが、先過ぎては受け入れられないのだ。
彼女は1人だけ別の時代を生きているかのようだ。
この時代はこの時代なりに古めかしくも伝統に基づいた華やかで美しい文化があるのに、それを見ようとしないのは勿体ないような気がした。
「ラーラはどんな形のドレスが好きなの?」
「そうですね、動きやすいものが好きなので袖もスカートもボリュームが無いものを好んでいます」
あら、それは娘を飾り立てたい親御さんは随分寂しい思いをしたのではないかしら?
特に女親は娘を美しく装う事を楽しみにするものだし。
それとも剣技に優れたヴォルケンシュタインの家風としては歓迎すべきことなのかしら?
でもシンプルなドレスもいいモノだ。
付け襟やブローチ、背中にちょっとアクセントを付けたりすれば品もでる。
そもそも動きやすいし、ショールを工夫したりすれば豪奢なドレスに見劣りしないものにもなる。
ドレスは工夫次第で、かなり変わるものだ。
あまり裕福ではない家庭では、そうやって小物を組み合わせて数着のドレスをアレンジして着まわしたりもするそうだ。
それとラーラを見ていると思うのだけれど、姿勢がいいとそれだけで目を引く。
結局はその所作や態度次第で立派に見えるというものだ。
身に付けた礼儀作法や美しい動きは、下手な飾りよりも素晴らしいものだと私は思う。