332話 価値です
例えるならクロちゃんは最高級の一点物で、悪徳の神の落ち子はバーゲンセールに出される廉価品、それとも粗悪品とでもいうものかしら。
同じ百万円の価値があるとしても、ひとつでその価値があるのと百円が1万個ではその性能の差は月とスッポンというわけだ。
さすがのクロちゃんである。
「そう、人々の恐怖や畏怖で薄めるんだ。今は『噛みつき男』の噂もピークだけれど、それが収まればもしかしたら落ち子を産み出す力は衰えるかもしれない」
それは新聞を見た時に私が感じた事だ。
騒ぎ立てて名前までつける事は、アレに力を与える事ではないかと。
名をつけて騒ぐのは、「噛みつき男」に力を与えている事にならないかという記事を読んだ事もある。
人騒がせな見るもおぞましい死体は、力を得る為に、その為に作られた?
それだけではないかもしれないが、それは数ある答えのうちのひとつなのかもしれない。
「では噂が収まれば……」
「うん、落ち子もいなくなるんじゃないかと、僕は思ってる」
人々の畏怖を集めそれを使い果たせば、噛みつき男を丸裸にしたも同然と言う事か。
でも無理に火消しをしても人の口に戸は立てられないというし、そうなるとやはり噛みつき男が逮捕されるのを待つしかないのではないだろうか?
「噂を収束させるには、1番は噛みつき男を捕まえる事だけど、捕まえたと偽装して国民を安心させる手もあるんだよ」
なるほど、王国見聞隊の力を使えば偽装する事も可能だろう。
というか、今まで神話生物の事件を一般的などこにでもある地味な事件に仕立てて偽装してきたのだから、そこはお手のものという訳だ。
その場合は、この間ギルベルトが言ったような工具に入れ歯を付けて犯行に及んだ愉快犯とでもするのだろう。
ともすれば関係ない死刑囚をひとり犯人に仕立て上げるて人身御供にする事も可能だろう。
そうして公開絞首刑か断首台にでもかければ、人々に歓喜と共に安堵をもたらすに違いない。
娯楽が少ないこの世界では、野蛮ではあるが公開処刑というのは犯罪への抑止力の為もあるが、もうひとつの側面を持つ。
それは見て楽しんで、蔑み、無条件に罵倒出来る死刑囚という存在。
死にゆく罪人を、正義を掲げながら心のままに糾弾出来るのだ。
日頃の鬱憤を晴らし、なんと気の毒にと同情を寄せる相手を作る事で国民に優越感を与えることが出来る優れたエンターテインメントなのだ。
国への不満が高まるとそのガス抜きとして頻繁に行われたりと、国民の感情をコントロールする役目も持っている。
これは改善の余地があるかもしれないが、歴史や文化に根強く絡むものだ。
その代替は豊かな物資と生活の保障しかなく、国が国民に用意するには財政も時間もどれだけかかるものか検討もつかないだろう。
つまるところ人権や死刑反対と運動するには、まず保証された恵まれた環境が必要なのである。
溺れる者が他の沈溺する者を救う事が出来ないように。
「偽装して恐れを押さえ込んでも、新たな犯行が明らかになればより強く国民は噛みつき男を怖がるのではありませんか?」
「そうだね。その為には捜査を進めた上、王都の警戒を今以上に強めなければならないから短期決戦にするしかないね。とにかく早い逮捕を祈るしかない」
現場の兵士達が、頑張っているとはいえ、こうして待つしかないのは歯がゆいものだ。
「とりあえず落ち子に関しては切ったり殴ったりで倒す事が出来るけど、他にも火に弱かったりもするんだ。矢で射るのも効果はあった。試していないけれど大量の水に沈めれば溺死もするかもしれない」
なんと、一晩でそんな検証をしていたのか。
研究者というのはある意味、普通ではない。
まともでは到底、真理に近付けないと言う事か。
「松明で殴ったら燃え上がったそうだよ。多分生き物でない分、水分を保持する必要がないから燃えやすいのかな? 火は炎の神の力の一端だから、ああいうものにも効果があると考えてもいいかもしれない」
松明でなんて、なかなか野蛮ではないだろうか。
ちょっとラーラみたいだと思ってしまった。
確かに火には特別な何かを感じる。
聖火として扱われたり、御札や注連縄なども炎で焚き上げるのだ。
お盆には迎え火と送り火で祖霊を案内し、ドルイド教ではウィッカーマンという巨大な檻に人や家畜を詰めて火にくべる儀式もある。
拝火教などは、まさに火を神に見立てたのではなかったろうか?
魔術儀礼で自分の使える魔法が火である事を若干残念に思ったが、これは使えるのではないか?
通常の火起こしで作った火が効くのならば、魔力を火の神に捧げて齎される魔法の火ならばもっと効果があるように思える。
私はソフィアに、魔法の修練用のランタンを取りに行かせた。
すぐにランタンと杖が用意されたので実践してみる。
ギルベルトとバウマーは、魔術儀礼が終わって魔法が使えるようになるとこうして客人の前でお披露目したりするよねと子供時代を思い出しながら微笑ましく話しながら私に温かい視線を投げかけた。
私は別に、自慢気に魔法を披露したい訳でも、得意になって見せつけたい訳でもないというのに。
まあ外見が子供なのだから、そう判断されるのは仕方ない事なのかもしれない。