328話 縄張りです
「家だってそうだ。誰かの家の鍵が開いてたとしても無断で入ろうとは普通は思わないだろう? それと同じで家族の部屋にだって、当人に許しを得ずに入るのは抵抗がある。家の主人はその限りではないかもしれないがね。人はそうやって無意識に自分の生活空間を縄張りにするんだ。知ってか知らずかね。人の思いというものは時に空間に作用するということだ」
言われてみればそうなのだけど、なんとなく嫌っていうのが大事なのかしら?
そういうことが、神話生物にも言えるの?
「では落ち子は居心地が悪いのか、無断で入る気まずさで押し入ってこないということですか?」
「はは、いや失礼。いつでも相手は紳士的にノックして入ってくるわけではないということは念頭に置いて欲しい。存在が曖昧なモノや弱いモノは人が縄張りを意識している場所に入る力がないという一説があるんだ。縄張りというのはあれだね。毎日、ある空間を自分のものだと思い込み不快なものを除外していくうちに、無意識にそこを結界というかそんなようなものが重ね掛けされていくと考えるのがいいのかな」
ギルベルトもうまく言えないようだ。
「人の意識がここまでは『自分のもの』だと線引きするのは、僕達が考えるよりもああいうモノには脅威なんだよ。うーん、例えば君は初めて王宮で聖女の間を与えられた時、間借りしている気持ちにならなかったかい? それは今とは違うよね」
「そうですね。最初はお客さん気分でしたが、今では大分慣れた思えます。入ると落ち着くし居心地も良くなりましたわ」
「そう! それが大事なんだよね。個人的空間だ。力の弱いあれらは家人の許しなくその家や部屋に入る事が出来ない。招かれざる客だからだ」
では、庭は自分の縄張りだと考える人が少ないのかしら?
確かにこんなに広ければ、そこほど庭の所有のあり方を考えたりはしないけれど。
そう考えるとギルベルトの研究室は、まさに学者の縄張りというか要塞だろう。
反対に王都学院の庭は、誰も自分のものだとは思わないだろう。
きっと自分の家の庭の手入れも自らの手でしている人にとっては、手をかけた分縄張りになるのかもしれないけれど。
「まあそういうのを無視する神話の生き物も多いけれど、今回の落ち子はそうではないと考えられるね。そういう弱いモノが人の縄張りに入ろうとするならば、家人から招かれなければならない」
「『中へどうぞ』と?」
この答えは学者の気に入るものだったらしく、にんまりと笑った。
「そう、『どうぞ、おはいり下さい』とね。儀式とは手順だ。決められた手順を踏む事が儀式だ。だから怪しいモノの中には人の形を真似たり声を真似たりして、どうにかして手順をとらせようとする。そうして縄張りの中へ、人の中へ入る許可を取ろうとするモノもいるんだ。時には愛らしい形をとったりしてね」
つまり悪徳の神の落ち子は人に好印象を持たせるために、赤子や子供の形をしているのかしら?
それだと失敗よね、目が無かったり手に口が付いてるのは普通じゃないもの。
でも、あれが道に横たわっていたら優しい人なら慌てて家に運びいれたりするかもしれない。
なんだか、とっても妖怪じみてきた気がする。
子泣き爺とかも赤ちゃんが道にいて、気の毒でおんぶしてあげると石の様に重くなるのだっけ?
人を装うというのは怪異には大事なことなのかもしれない。
怪談とかでも声をかけられて、返事をしてはいけないとかあった気がする。
それは返事をするとついて来られたり、家に入ってきてしまうということなのか。
「そんなモノが人の縄張りを無視できる方法があるんだ。賢いお嬢さんならもうわかってると思うけど」
人真似をする必要なく、ただひとつの手順でやって来るモノ。
「名前を知ると来る……」
「そう、名前を呼んで繋がり、そしてそれを辿ってやってくるのが悪徳の神だ。力は強いけれど呼ばれないと来れないという規則を持っているのがこれもまた儀式めいているね」
「絶対、名前を見たり聞いたりしませんわ」
そんな話を聞いて少し不安になって、両手で自分を抱きしめた。
勘違い男が家に押し入ってくるなんて完全にストーカーじゃないか。
家族にはギルベルトが王国見聞隊の大事な資料を秘密裏に扱う必要があるので、王都でも警備の万全であるエーベルハルトの別館を一時的に借すという話にした。
私が家族に話している時点で秘密裏とは?という疑問も出るのだけれど、私とギルベルトといえばおしろさんの件やアリッサの事があるので、公に出来ないそういう方面の事だと勝手に想像して納得してくれたようだ。
王宮の兵士が警備に侯爵家へ入れるのも、王立見聞隊の顧問であるギルベルトとその資料の護衛という事で許可をもらえた。
実際、王宮は他国の客人も多いこともあるし、今は社交シーズンである。
多くの客と使用人を抱える広大な王宮よりも、確かに侯爵家の方が秘匿性が高いのは間違いない。
何よりギルベルトの功績とヨゼフィーネ夫人の人柄も手伝ってアインホルン伯爵家への信頼が厚くお陰で二つ返事で了承してもらえた。