326話 家令です
「お久しぶりでございますお嬢様」
タウンハウスの家令と使用人が、馬車から降りた私を迎えてくれた。
シーズンの最初にこちらに来たきりで、後はずっと王子の意向で王宮で過ごしていたのだもの。
確かに久しぶりである。
王宮ほどの規模ではないのは当然だけれど、エーベルハルトのタウンハウスは貴族街の中ではかなりの敷地を持っている。
辺境の領地の事を考えると敷地内に丘や川がないのは残念だけど、それでも庭には公園の様に樹木が植えられて手入れされているし、散歩したりするのに事たりるほどだ。
「急にごめんなさい。部屋の準備は出来ているかしら?」
「ええ、ご希望の通り別館にご用意いたしました」
そんなやり取りをしていると、私の乗ってきた馬車の後ろにもう一台の馬車が止まった。
「やあやあ、ご招待ありがとう」
中からは、にこやかに学者と助手が馬車から降りてくる。
「ギルベルト・アインホルン様。名高い冬越の救世主のお目にかかれて光栄です。お噂はかねがね聞き及んでおります。ザームエル・バウマー様もようこそいらっしゃいました。快適に過ごされますよう、何かございましたらお気軽にお申し付け下さい」
家令が深々と礼をとる。
「噂ってなんだろう? こわいねえ」
おどけるように、ギルベルトは肩をすくめた。
「ヨゼフィーネ夫人がギル様の事を皆に話すからそれのことよ。うちの使用人には彼女のファンが多いの。あなたの食事の好き嫌いまで、すでに把握しているかもしれないわ」
救国の学者の母という事もあるが、実際には彼女の温かで気さくな気質に使用人達は親しみを覚えている。
彼女も貴族だからと気取る事なく、使用人に何くれとなく話しかけては会話を楽しんでいるのだ。
「食事の好みも当然でございますが、おいくつまで寝具を濡らしていたかもまた存じておりますよ」
家令が茶目っ気を出して、付け加えた。
普段、客人にそんな冗談をいうような人ではないのに、ギルベルトに敬意を示して?親愛さを出しているつもりなのだろうか?
「やめてくれよ! まったく、母さんも人が悪い。君達も何を聞いても真に受けないように。いいね?」
目を白黒させる気の毒な学者を見ながら、この様子ならうちの使用人達へ遠慮せずもてなされてくれそうだと安心した。
変に緊張して体調を崩されても嫌だし、ギルベルトは自然のままが一番だもの。
そういえばこの人はあまり物怖じしない。
不可思議な研究をしているせいか、生まれついてのものなのか。
知っている中で、一番うろたえていたのが床屋で散髪した時なのだ。
ちょっとおかしいが、彼らしいといえば彼らしくある。
家令や侍従達の情報収集能力は高く、見聞きしたことを来客時にどう応用するかは腕の見せ所である。
予め客人を招く時は家令同士で食事の好みが伝えられたり、当日のドレスの色が被らないように手配をしたりと広い情報交流を持つようにしているようだ。
私は会ったことがないが、そうやって館勤めをして貴族の間を渡り歩き情報を収集し販売する情報屋なる存在も一部ではまことしやかにささやかれている。
実際には、高位の貴族の家で雇われるには、しっかりとした紹介状か身元確認が必要だ。
情報を集めて根無し草のように転々と勤める家を変えながら回るような人間が、由緒正しい貴族の家で雇われる事は難しい事と思われる。
どちらかと言えば、その家の使用人に金を積んで情報を抜き取る方が現実的だろう。
政権争いや跡目争いの激しい貴族社会は、そういう事への対策もあり充分な賃金を彼らへ支払っている。
使用人の扱いのいい家は人気であるし、忠誠心も高くなる。
反対に報酬を出し渋ったり、扱いが悪いと使用人は逃げてしまうし、それは人材と共にその家の情報も流出することになるのだ。
雇う方はそうして、安心を買っているのだ。
従僕のようによそ様に見せびらかす意味もある使用人は見目の良さを重視されるが、家令や執事は人の扱いにたけ頭が良くなければ務まらないのだ。
特に質の良い家令というのは代々同じ家に仕えていることが多く、簡単には見つかるものではない。
エーベルハルト侯爵家では、ハンス爺の一族がそれにあたる。
完璧な仕事と忠誠が彼らの自尊心であるといってよいだろう。
「母さんがここに出入りしているのかい?」
意外そうにギルベルトが問う。
「あら、だって私とヨゼフィーネ夫人はお友達だし、アリッサの事もあるからよく来ていただいてもおかしくないでしょ?」
そう、ヨゼフィーネ夫人は冬越の後にもらったあの手紙に書いてあった通り、私の事を友人として扱ってくれたのだ。
時にはお互いのタウンハウスを行き来したり、一緒にお茶会に出たりしている。
世間からみたら、お目付け役とお嬢様にみられているかもしれないけれど、私達はおしゃべりを楽しみ時には救貧院や孤児院の経営を真剣に話し合ったりと友好を深めてきた。
私がギルベルトをつい、母親の目線で見てしまうのはそういう背景もあるのかもしれない。