325話 誠実です
「悪徳の神の落ち子に、ギル様とその助手が目を付けられました。多分私もその対象になったと思われるのでエーベルハルトのタウンハウスで、彼らの保護と対策を取りたいと思います」
それを聞いて王子は一瞬目を大きく開いて驚きをみせたけれど、すぐにいつもの表情に戻る。
感情をコントロールしているのだ。
この間のやりとりとは大違い。
愛人がどうのと、あたふたとしてたのが嘘のようだ。
彼は今、王子という立場で私の話しを聞いてくれているのだ。
真摯に私の考えを伝えるのが、彼に対する誠実というものだ。
「それは、王宮では出来ないものなのかな?」
「王宮は人の出入りも多いですし、各国の要人や使用人も多いので、万一の時に巻き込む危険性があるかと考えてます。なにより王族のそばに、その様な怪異を近寄らせることは臣下として許されざるべきと判断いたしました」
しっかりと私の目を見据えてから、王子は大きく息を吐いた。
「もっともだ。反対する意味がないね。至極もっともな話だ」
反論出来ない事が口惜しいのだろうか。
言葉に、焦りが滲んでいる。
「ですから事が片付くまで、王宮をお暇することをお許しください」
王子は右手で両目を抑えてしばし沈黙した。
「はあ、そもそも君を王宮に留めているのは私の我儘に過ぎない。いつでも君はここから大手を振って出て行ってもいいのに、私の気持ちを汲んで大人しくしてくれたんだ。その君が望むのなら私には止めようがないよ」
少し申し訳なさそうに言うところをみると、私を王宮にとどめた事にうしろめたさを感じていたのだろうか。
王子は私が我慢して王宮に引きこもっていたのだと思っているようだが、それを訂正するには真面目な場でありすぎた。
そもそも、元々領地のカントリーハウスに引きこもりであった私だ。
可愛い仔山羊と小鳥を連れて膨大な敷地の王宮で毎日違う庭を散歩し、芸術品を鑑賞し、本を読める生活はどちらかというと、私にとってリゾートを満喫していることに近い。
兄や友達も合いに来てくれるし、ひとつの不自由も感じたことはなかった。
ちっとも窮屈なんかじゃありませんでしたと言いたいけれど、今こうして真剣な王子にそう言うのは、何だか失礼な気がした。
「それに君は自分が行かなければと思っているよね。ウェルナー男爵領の時も言ったけれど、こんな事に君を関わらせたくないのは本心だ。でも君を止める事は出来ない。私は貴族でありながら、その枠にとらわれない自由な君が好きなんだから」
王子の言葉に、私の頬が赤くなった。
「君が君らしくあるように」
王子はそう言って私の手の甲に口付けをした。
こういう場合は、どうすればいいのかしら??
お礼をいうの?
それとも悠然と構えて微笑めばいいの?
確か手の甲への口付けは「尊敬」とか「敬愛」とかの意味があるのだっけ?
マナーの授業や本で読んだ騎士物語などが、頭の中でぐるぐると回って私は固まってしまった。
真っ赤な茹でダコのようになって固まった私を見て、王子が笑いだした。
それを見て私は我に返る。
慣れない風習なのだから仕方ないじゃない!
「かっ……、からかうのは、程々にしてほしいですわ! それに……、それにそんなに笑うのは失礼です!!」
そういえば魔術儀礼の祝会でも、ナハディガルに困らされた私を見てこの人は笑っていたわ!
忘れてないんだから!
何か文句を言ってやろうとしたけれど、それは上手く言葉にならなかった。
「いや、ごめんごめん。あまりにも可愛いから笑ってしまうんだ」
王子が笑いながら謝るせいで、硬かった雰囲気が解けた気がする。
だからと言って許す訳ではないけど、大目にみてもいいような気がした。
「いいかい? 黒山羊様に愛されているからと言って、決して油断してはいけないよ。ひとりにはならずにいつも護衛をつけること。王宮からもタウンハウスへ警備兵を出そう。外回りも王都の衛兵を手配して厳重に警護に当たらせる」
硬さがなくなったと思ったら、怒涛のような過保護な配慮を提案してきた。
その分、心配してくれているのは分かるのだけど、いつも大袈裟なのだ。
王子はいくつも思いつくままに言葉を続けた後に、懇願するように言った。
「必ず無事で、また私の所へ帰ってきてくれ」
「お約束しますわ」
「はあ、戦場に行く騎士の妻の気持ちというのは、こういうものなのだろうな」
やれやれと言うかのように、溜息をついている。
王子の立場からは、全く想像のつかない言葉を言われて、いけないのだけど思わず笑ってしまった。
これだけ心配されて、解決出来ないなんて事は許されない。
こちらには物理的に強いラーラとアリッサがいるのだ。
相手はストーカーじみた勘違い男だと思えば闘志もわいてくる。
その頬をぶん殴る気持ちで挑まねばと思ったら、悪徳の神には顔は無かったんだった。
ちょっとしまらないけど、それ程の意気込みであるのは確かなのである。