322話 曖昧です
「真偽はともかく、神をその身に降ろして力を振るう可能性があるかもね。君が黒山羊様をその身に降ろしたように。神に憑りつかれた男ならば、神出鬼没なのも納得出来る」
学者は、確信を持った瞳で私を見た。
「でも今回の件と繋がるかは、まだわからないのですよね?」
人の仕業でも可能なのだと示唆したのは、ギルベルト本人なのだ。
「そう、巷で呼ばれる『噛みつき男』が本当に悪徳の神と関係あるかどうかは証拠がない以上わからない。何故、若い娘が狙われているかもね。ただ被害者の誰もが、悪夢を見ていた、もしくは良く眠れないと周囲に睡眠不安を口にしていたらしい」
そのくだりは聞いた事がある。
ロンメルから聞いた事だ。
やはり、王都に「Yの手」があるということではないか?
「報告は以上だね。王国見聞隊には僕から悪徳の神が関わっている可能性と、『Yの手』の捜査に着手するように進言する予定だよ。王室の方へは隊長から話が伝わる手はずになってる。猟奇的殺人犯の線も消えたわけじゃないけど、そちらは王都の衛兵が調査を進めているので心配ないかな」
「あの、その時にはくれぐれも伝える内容には気を付けて下さい」
ギルベルトは不思議な笑いを浮かべた。
「勿論。詳細は省いて『Yの手』の形状以外は情報は出さないよ。知らない事が武器になるからね。我々はもう嗅ぎつけられたようだけど。こうなったらもう別に犯人が別にいたとしても、悪徳の神に対処しなければ」
「ギル様……。知って……」
なんとか気付かないうちに処理しようと思っていたけれど、昨夜の事は知らないようだが彼にはお見通しのようだ。
「ザムもだけどね。白い小さな生き物が、こう目の端や鏡面に映り込む事があるんだ。幻覚かもしれないけど、2人ともとなると存在するものだよね。君はアリッ……、いや、黒衣の貞女を僕達につけてくれたんだろう? こうしてまた情報を共有して、自分も矢面に立ってくれようとしている。ちいさいのに勇敢だ」
褒められているけれど私が招いた事態には他ならない。
お互いを危険に晒すこの事が、いい事か悪い事かわからないけれど。
あれをどうにかしなければという、使命感に似た何かが湧いている。
「私の好奇心に巻き込んでしまって、ごめんなさい」
「いやいや、これは僕の好奇心でもあるからね。まあ、ザムにはとばっちりかもしれないけど彼も納得しているよ」
ザームエルを見ると、青い顔をしながらも任せて下さいと胸を張っている。
「本の中だけでなく、実際に神話の生き物を知る機会はそうそうありませんからね? そんな体験を出来るのは王国でも一握りでしょう? そのひとりに私はなるんです」
まるでそれが名誉な事かのように誇らしげにそういうと、ふんっと鼻息を荒くした。
もしかしたらやせ我慢かもしれないけれど、その虚勢は頼もしいものに感じた。
「ギル様に伺いたいのですが、悪徳の神の弱点はあるのでしょうか?」
とりあえず寄ってくる落ち子を排除していれば、親玉が出てくるのだろうか?
やはり何者かに憑りついてやってくる?
「特にないんだよね。知ると来るから『知らない』のが武器であり弱点なんだけど、半端に知ってしまった僕達はどうなるんだろう?」
どこまで知るとあの神と繋がるのだろう?
ボーダーラインが曖昧な事である。
名前を知らなければいいとたかを括っていたのもあるし、資料が少ないということで甘く見ていたのは否めない。
「知る事で近くまでは悪徳の神の落ち子が寄ってくるみたいですが、名前を呼ばなければ手を出せないのではと私は考えています。昨夜もそちらの研究棟のお庭にいたそうですわ」
「ええ? ちっとも知らなかったよ。一言声をかけてくれたら見に行ったのに」
学者が、不満げに声をあげた。
またスケッチでもする気なのだろうか?
さすがに助手は怖いのか、手が震えているのが見て取れた。
「そちらの方は彼女が問題なく掃除してくれたので、ご心配ありませんわ」
私が黒衣の貞女に話を向けると、ザームエルの顔がパアっと明るくなって、何度も彼女へ感謝している。
魔法で退けたのか、信仰の力で?と無言を貫く彼女を褒めたたえながら騒いでいた。
アリッサはベールに包まれた顔を伏せたまま、礼を1度とってみせるだけで沈黙しているが、内心は笑いかけたいのではないだろうか。
ギルが助手には聞こえない様に、ひそりと私に話しかけた。
アリッサの能力を知っているのだから聞きたいのは当然だ。
「それで、実の所の彼女の落ち子の退治方法は?」
「物理攻撃ですわ」
それを聞くと、ぶふぉっと吹き出してしまった。
ザームエルに聞かれない時に、ギルベルトに詳細も説明した方がいいかしら?
まさか踏んずけて潰したなんて誰も思いもしないもの。