321話 同音です
「そう、不思議だよね。そして不自然だ。これは誰かが意図的に土地を渡り歩きながら広めていったと僕は思う」
学者の考えだと、極東で「悪徳の神」もしくは「Yの手」の脅威に気付いた何者か集団が、旅をしながら童謡を広め、それについて啓蒙活動をしたのではないかという。
もしかしたら彼らは自国の安全の為に「Yの手」を持ち出して、携帯していたのかもしれない。
無知な人々へ難しい言葉で講釈をたれるより、酒の席や街角で誰も知らない小話として不特定多数に語ったり、珍しい歌として子供達に歌って聞かせる方が余程記憶に残るものだ。
そうして残された歌はその土地に同化して受け継がれていく。
なんとも、壮大で浪漫がある話だ。
「まあ想像に過ぎないけれどね。そうだとしたら辻褄があいそうじゃないかい? そしてその旅人がなんらかの理由で西の国で命を落とした結果、現地の人間が『Yの手』を我が物としたのかもしれない」
ここまでの学者の話を聞いて、バウマーが溜息をついた。
「これを発表しないなんて、もったいないとしか思えませんよ。仮説とはいえ論文の1本も書けそうなものなのに」
研究に携わっているのだから、きちんと形にして残したいのはわかる。
確かにこの説をまとめたら面白いものになりそうだが、発表したらある意味テロ行為であろう。
目を通した全員に邪神の落とし子が目をつけるとしたら、いくら名前を呼んだわけではなくても実害は出るのではないだろうか。
「大丈夫です。私もわきまえております。今は救国の学者ギルベルト・アインホルンの名誉ある助手なのですから出すぎた真似はいたしません!」
私の不安そうな眼差しに気付いたのか、バウマーはあたふたと弁解する。
「ギルの研究のひとつひとつを見ても神話の生き物の恐ろしさはわかります。そして『おしろさん』についても伺いました。聖女様の命をも奪いかねない存在に、私は挑もうとは思いませんよ」
首を振りながら、そう告げる。
巷に流れるおしろさんを私が宥めた話ではなく、無謀な子供が攫われてただ死にかけた方の話をギルから聞かされたのだろう。
神という生き物に挑むなんて、考え無しもいいところだ。
だけれど、悪徳の神については違う。
来訪する邪神は、どうにかして退けなければ。
ギルベルトの関わる研究は、一種胡散臭く不確かなものだ。
そして怪異に関われば無事では済まない。
神秘を護る為にも、そういう話は秘匿されてきた訳である。
だからこそ彼の研究はギルベルト本人の出で立ちとは別に学会から爪弾きにされ、バウマー自身も皆と一緒になって嘲笑ったはずだ。
それに携わるのだから、その神秘の神髄を、危険を、とくと聞かされていてもおかしくはない。
「それにね、ほら、教会で誓約も立てているし。な? ギル」
助け船が欲しいのか、学者にすがっている。
もしかして、私の機嫌を損ねたとでも思ったのだろうか?
まあ、冬越会での事を思えば、私の気持ちひとつでギルベルトの助手の地位も奪われてしまうと思ってもしかたない。
「ああ、彼はきちんと教会で私の不利になるような事はしない事を宣言しているし、今回この顧問室に入るに当たって王国見聞隊との守秘契約も新しく結んでいるから、お嬢さんが目くじらを立てる必要はないよ。何か外に漏らせば神の怒りを買うか、すぐさま国から処刑人が派遣されて命で贖う事になるんだから」
安心していいよとギルが私ににこにこと笑いかけるけれど、今度はその内容にバウマーは顔を青くしている。
安心とは、一体。
「ええ、よくわかりましたわ。ギル様その辺にしておいてあげて下さい」
可哀想に助手は、すっかり意気消沈している。
まさか念願の王宮への出入りが叶ってみたら、とんでもなく重い契約がついていたなんて思ってもみなかったのだろう。
きっと舞い上がって契約書にきちんと目を通さなかったのね。
少々、バウマーが気の毒になってしまった。
「そういう訳で、雇用上でも彼は信用に足る男だよ」
学者はそう言いながら、日本語が書かれた紙を手に取った。
「リーベスヴィッセン王国語では『噛みつき』と『神憑き』は別のものなんだけど童謡を追っていくうちにわかったのが、ジーアンテュア語ではその2つは同じ発音なんだよね」
「カミツキ」
と、日本人だった私から聞くと少し妙な発音でザームエルが言ってみせた。
「つまり、『噛みつき男』は、『神憑き男』でもあると?」
「その可能性は考えてもいいと思うんだ。『神憑き男』の部分が間違って翻訳されて『噛みつき男』となったかもしれない。僕としては元々両方の意味を込めて『カミツキ』と呼ばれていたのじゃないかと思うね」
日本には、狐憑きや狗憑きなどあったはずだ。
憑き物自体に、良いイメージはない。
神様が憑いたのなら「神懸り」や別の言い方もある。
悪い神様だから、あえて「神憑き」と貶めたとか?
遠い異国である以上、推測しか立てられないのが歯痒かった。