318話 歌詞です
顧問室の中には、私とアリッサ、ギルベルトとザームエルの4人のみになった。
何度か本当に話をしていいのかと、念を押される。
何か気付いているのだろうか?
報告を聞かなくても自分達で動くから、私は安全な所にいる方がいいとも促されたが、彼は知っているのだ。
私が引き下がらない事も、悪徳の神への畏怖がこの国を満たす事が耐え難い事も。
ウェルナー男爵領に一緒に旅をした中で、それに続く後の付き合いで、彼は私を理解してくれたのだろう。
黒山羊様の聖女だと名声を享受するのならば、異端の神を退けるのは聖女の仕事なのではないか。
私は拳を握って、引き下がらないと意志を固めていた。
何度かの押し問答の末、ギルが折れてくれた。
私の様な子供に何が出来るかはわからないが、毒食らえば皿までの気持ちだ。
私はゆっくりと頷いて言った。
「報告をお願いします」
「君が人払いをしてくれて助かったよ。物騒な話だしね」
学者の言葉が指す物騒とは噛みつき男の事なのか、悪徳の神の事なのかはわからなかったが、どちらにせよ同じ事なのだ。
昨夜、研究棟に現われた怪異を知らないはずなのに警戒しているのがわかる。
窓の外で、アリッサによる死の舞踏が行われていたなど思いもしていないだろうに。
「今回の件は知る人が少ない方がいいですから。なのでお2人とも決して他言は禁物ですよ」
「侯爵令嬢のご随意のままに」
ザームエルがにっこりと返事をする。
ギルベルトは学会に発表する案件ではないと割り切っている様で、元より言う気はないようだ。
それはこの件に関する秘匿性からくるものではなく、単に彼個人の好奇心を満たせればそれでいいということなのかもしれない。
「では、お話を伺いましょう」
私は緊張した面持ちでそう切り出した。
「これから殴り込みにでも行きそうな勢いだね」
学者がそうからかいながら、私の緊張を解いてくれた。
こちらとしては殴りこんで済むなら、アリッサでもラーラでもなんでも向かわせたい気持ちだ。
実際、悪徳の神の落ち子は蹴とばして処理したのだから出来ない事はないのではないだろうか?
問題は落ち子がどれだけの期間、どの頻度で、何体出てくるかということだが。
「期待させて悪いけど、面白い発見だけど大したことじゃないんだよ? 勿論、それを見つけたザムの能力は素晴らしいけどね」
そう言うと1枚の書付けを渡してくれた。
そこには王国の言葉で「噛みつき」と「神憑き」と書かれていて、いずれもその下に今までここで見た事の無い別の言語が書かれている。
私はそれを見て目を疑うと共に、気が遠くなりそうであった。
そのどちらとも、日本語の平仮名で「かみつき」と書かれていたのだから。
沈黙する私を見て、彼らはきっとその書付けを理解出来ないせいだと判断したようで、そのまま気にせず説明をはじめた。
「この間、報告したように悪徳の神の事については、言った通り資料自体も少ないし、大した進展はないんだよ。『Yの手』にしても、あれ以上の事は現地へ出向かなければわからないしね。そこで僕とザムが目を付けたのは『噛みつき男』の童謡だ」
おしろさんの時も、童謡があの生き物の真実を描いていたのだ。
ギルが「噛みつき男」の歌に、目を付けたのは当然の事なのかもしれない。
「元々この歌は、決まった歌詞ではないようなんだよ。『噛みつき男』が連想されるような事件が起こると、それに合わせたり時代によって変わっていくものだから、歌詞自体にはあまり注目しなくていいと判断したんだ」
歯形を残す死体が出れば「噛みつき男」と噂されてもおかしくないという話だろうか。
そうすると、何度かこんな事件が起きていると言うことだ。
ただそれは、野犬や魔獣に噛まれて歯形が残った場合でもあるだろうし、実際に人同士で喧嘩をして激高して相手に噛み付いた事もあっただろう。
あるいは、この間聞いた屍食教などの特殊な宗教の儀式の仕業であるとか。
そう考えれば事件の真相がなんであれ、その様な死体が発見されることも少なくないだろうし、童謡が消え去らずに残っているのはおかしくない。
今回、ここまで人を騒がせているのは、人の多い王都であることと、やはり連続して事件が起きているからだ。
死体がひとつならば偶々かもしれないが、いくつも同じ様なものが出てくるのならば、人々は警戒と共に童謡を思い出し、そして口ずさむのだ。
「歌詞の中で不変なのは『噛みつき男』と『名前を知ってはいけない』事。とにかくこの2つは変わらずに習俗本や童謡集、昔話に記載されている。では、そもそもこの『噛みつき男』はどこで生まれたのか?
という疑問が出たんだ」
確かに噛みつき男というモノは、どこで最初に発生したのか。
おしろさんの様に、土着のモノであるのかそうでないのかは重要だ。
「歌の出所を調べるのは、骨が折れたけどね。王都だけにある童謡ではないし。各地に、それこそ各国に存在しているんだ」
「それはまるで……」
私は嫌な想像をしてしまった。
「そう、まるで『Yの手』のようだよね」
ギルベルトが強くそう言った。