312話 掃除屋さんです
辺りを満たすのは暗闇。
野良犬や猫の鳴き声も、息を潜めたような静寂。
人々は眠りの中に逃げ込んで、家の外へは関心を向けない。
窓の外で何があろうと、部屋の中は安全だと鎧戸やカーテンで外界から自分の縄張りを仕切っている。
だからこそ、闇の中の営みは人の目にはつかず、怪異は闊歩するのだ。
長く続く赤いレンガ造りの塀。
その中には、広大な庭と大きないくつもの建物が並んでいる。
ここは王都の学術地区。
別名、赤の学び舎。
王都学院の敷地内である。
校舎の裏手に離して作られた研究棟は、夜中だというのにちらほらと窓に明かりが見える。
昼夜の区別なく、研究熱心な学者ほど寝食を忘れて知識の海に深く飛び込むのだ。
ある者は本を広げ、ある者は筆を走らせて自論を構築する為に注力している。
そこにいるのは外の些事には目もくれない、学問に魅入られた人ばかりであった。
赤のレンガの壁は高く聳え外部からの侵入を阻んでいたし、どの建物にも専任の警備の人間がついていた。
特に王国の頭脳ともいわれるこの研究棟は、厳重に警備されているといってもよいだろう。
かさり
草を揺らす音。
小さな白い影がひとつの窓の明かりを目指して、研究棟の庭を移動していた。
かさり
それはいくつもの影が動く時に立てた音。
それが迫っている事に気付く人間はひとりもいない。
眠気に従って目を閉じるなり、灯りの下で入れた飲み物で眠気を覚まそうとしたり各々が自分の時間を過ごしている。
それに気付くことが出来るのは、人ならざるモノだけであった。
その女性は鼻歌を歌っていた。
機嫌良く、と言ってもいいだろう。
むーし むしむしむーしたいじー
一切合切 根絶やしにー
むーし むしむしむーしたいじー
私は かわいい掃除屋さん
彼女は堅い金雀枝の枝を集めた箒をその手に持っている。
古来から金雀枝は悪い虫を祓い浄化のシンボルとも呼ばれていることを考えると、庭掃除用の箒の材料になっているのは必然であるかもしれなかった。
いわゆる一般に言われる飛行する魔女の箒も、エニシダが使用されている。
木の持つ特性もあるが、純粋に丈夫で良くしなるその枝先は落ち葉を掃き集めるのに適していた。
黒い衣装に顔を隠した女性は、箒を持って庭を歩いているところだけを見れば庭掃除をしている修道女にしか見えなかった。
それが真昼であれば、だが。
今はその闇に溶けてしまいそうな出で立ちで、箒を片手に鼻歌を歌っている。
周辺の人間は既に寝息を立てているか、鼻歌の主が誰か詮索することもしない勉強熱心な学者くらいだ。
警備の人間は、決められた巡回の時間まで詰め所に控えてはいるが、厚い石造りの建物では鼻歌が届くこともない。
もっとも鼻歌を聞きとがめてその出所を探り当ててもこの暗闇の中、目に映るのはその箒くらいのものである。
はたから見たら箒がひとりで跳ねまわっている様に見えたのかもしれない。
今、庭にいるのは、人ならざるモノだけ。
小さな白い影は庭をあちらこちらから、ゆっくりと確かめるように蠢きながら移動し、ひとつの部屋を目指していた。
頭を振りつつ、少しずつにじり寄る。
目的地がわかっているのに、そこまでたどり着く道を知らないかのように。
修道女の女性は白い影を確認すると音もたてずに、ふわりと飛び上がった。
それはまるで空飛ぶ箒に捕まっている魔女のようだった。
そうして着地地点を確認するかのように白い影を見つめると、そこへ目掛けて着地する。
ぶちゅり
彼女の足元から芋虫を潰すかのような、粘着質な破裂音がする。
そんなことはお構いなしに、もう一度跳躍をするとまた次の獲物を探してそこへ着地した。
長いローブを着ているというのに、それはまるで彼女の行動を邪魔することはない。
何匹か固まっているところに飛び降りると今度は地面を蹴りあげ、その場でくるりと一回転して、その反動を使ってそれを踏み潰す。
ぐにゅり
腐った臓腑を詰め込んだぬいぐるみのような、そんな感触が踏んだ足に伝わる。
次の獲物を確認する前に箒で踏み潰したそれを寄せる。
そんな事を繰り返し、小さなゴミ山の様な潰れた白い赤子の寄せ集めを作りながら移動する。
「目はない」
「においで知る」
「耳で知る」
「口は顔にひとつ、手にふたつ」
踏み潰しながら、修道女はブツブツとその相手の特徴を復唱している。
嬰児の様なそれを無慈悲に踏み散らしながら、他に「害虫」がいないかぐるりと首を回す。
慈悲も無く赤子を潰しているというのに、その瞳は真っ黒で、なんの感情も浮かべていなかった。
彼女は害虫駆除をしているだけなのだ。
悪いのは彼女の担当の敷地に足を踏み入れた向こうなのだ。
生垣に何か見つけると、ふわりとジャンプをして飛びかかる。
ぼきり
骨の折れる鈍い音がする。
「大きいのは少し硬い」
先ほどの赤ん坊達と違い、ボロを纏った子供がそこにいた。
同じく目は無く、手と顔に口を3つ付けた異形の子供達。
赤子の様に無防備に出て来たりはせず、そこかしこの影に潜んで頭を傾けて音を聞きながら、鼻をひくひくと動かして匂いを嗅いで警戒しているのがみてとれる。
黒い修道女の前に出ていくか引くか考えているようだ。
「大きい方は少しだけ利口」
隠れているからと言って見逃す謂れは彼女にはなかった。
捕食するように素早く、逃げる間も与えずにそれらを女は壊していく。
むーし むしむしむしむーしたいじー
一切合切 ねだやしにー
むーし むしむしむしむーしたいじー
私は かわいい掃除屋さん
下町の掃除婦の歌の替え歌なのか、彼女は害虫を掃除しながらご機嫌に鼻歌を歌っていた。