310話 お相手です
「何故、中将のお話ですか? 王国の軍部の方とお付き合いが?」
「そんなに驚かなくても。商人は耳聡いっていうだろ? まあハンプトマン中将に限っては悪評が高いというか」
私は練兵場での出来事を思い出していた。
まあ、嫌味ったらしい髭蛇男だもの。
あんな態度では周りから嫌われるのは仕方がない。
頼まれたって2人きりになんてなりますかと、私は鼻息を荒くした。
「彼はね、少女好きだと言われていてね。まあこの国の人間なら何故かはわかるだろうけど……」
ルフィノ・ガルシアは嫌悪感たっぷりの顔で言い捨てた。
自分の父親を思い出したのだろう。
「わかるだろうって?」
特に私には、思い当たることがない。
そんな私を見てガルシアは、少し笑って教えてくれた。
「お陰で賢者様は、随分甘い蜜を吸ったみたいだね」
直接的には、言いたくなかったのだろう。
なるほど、お相手は彼女というわけか。
私ほど中身の歳いってないにしろ、彼女も前世を足したらハンプトマン中将と釣り合いがとれるのかもしれない。
需要と供給が一致したとか?
純愛……、というにはアニカの素行からいってなさそうだけど。
アニカ・シュヴァルツと出会ってお互い思いが募り、といっても世間は受け入れないだろう。
元々の中将の性癖だとしたら、アニカはそこに付け入った?
そちらの方がありそうだ。
とにかく、子供に手を出すのはいけないことだ。
あの時ラーラが何故か中将の視線から私を隠そうとしていたのは、そういう意味だったのか。
確かに気味の悪い視線ではあったけれど……。
そう思うと、私がノルデン大公に振られたのは正しい事だったのだ。
あれがもし成就していたら、ハンプトマン中将のように大公は評判を落とす事になっていただろう。
まだ数年前の出来事だというのに、なんて私は子供で考えなしだったのか。
「私は君の事を、心底心配しているんだよ?」
ガルシアは考え込んでしまった私の手をとって、そう言った。
大丈夫?気を付けてお母さん、とでも言われている気分だ。
同時に扉がノックされて、開く音がした。
「シャルロッテ!」
そこにいたのは我が兄だ。
「他国の貴方には、王国の常識が通じないとみえる」
何がどうしたのか、兄の声には怒気が含まれている。
「婚約者のいる未婚の女性と2人で晩餐など、シャルロッテの名誉に泥を塗るような事を……」
見れば手をとられているのだし、なるほど不貞であると言われたらそうなのかもしれない。
私が子供なのでなにも無いと思うが、周りがどう受け取るかは勝手というものだ。
ガルシアが望んでいるのが親子ごっこだと言っても、誰にも理解出来ないだろう。
「料理の試食をしていただいただけだというのに、騎士様は心に余裕が無いようですね」
ガルシアの先程までの無邪気さはなりを潜めて、その目も鋭く年相応の雰囲気に変わった。
「妹の監督は父兄の役目ですから。思わぬ噂を立てられないよう見張らなければね」
兄もいつもより厳しい表情をしている。
まあ、ハイデマリーに粉を掛けたと思ったら妹にも、となるとガルシアの事情を知らない兄から見たら単なる少女好きにしか見えないもの。
いい感情は持ってはいないだろう。
ガルシア本人にしたら、それは不本意な事であるけれど。
睨み合う2人を、どうすることも出来ない。
気の利いた解決策がない以上、ここはもうお開きにするのが一番だろう。
「兄様、私はお料理を頂いただけですわ。子供相手に何が出来ましょう。そこまで目くじらを立てないで下さい」
席を立ち扉の前の兄の方へ向かい、振り返ってお辞儀をする。
「今宵はグローゼンハング共和国の数々のお料理のおもてなし、大変楽しませていただきました。感謝申し上げますわ。ルフィノ・ガルシア様」
令嬢としてきちんと挨拶をすると、兄はようやく気が抜けたのか息をついた。
反対にガルシアは怒っていた。
大人なので取り繕ってはいるが、私からみたら自分のお気に入りのおもちゃを取り上げられた子供のようだ。
敵意を隠しもせず、真っすぐにルドルフを見つめている。
これは少々失敗であったかもしれない。
立場を弁えていると兄に示したくてガルシアをフルネームで呼んだのだが、彼にしたら母親を投影した
人間が幼少の頃の愛称で呼んでくれたというのに、もとの素っ気ない関係に戻ってしまったと思ったのかもしれない。
なんて面倒臭い人だ。
後からお詫びとお礼の書状を出すことにして、この場をお暇しよう。
「それでは良い夜を」
そう言って、私は兄の背を押しそそくさと部屋から退出した。
「兄様、一体どうなさったの? 今までこんなことなかったじゃない」
少々非難がましく言ってしまう。
「私だってこんな野暮な事はしたくはなかったさ。ただ先日のこともあるし、今日の晩餐の相手がガルシアだって聞いて心配してたらフリードリヒ王太子殿下から大丈夫なのかと詮索されて……」
はあ、王子にも後から報告と心配いらないよう書状を出さなければ。
何もないと先に断っておいたのにこれだ。
でも、ガルシアも悪いのだ。
大勢での品評会の様に誤解させたのだもの。
いや、彼ひとりのせいでは無い。
兄の心配性も王子の詮索も私の配慮も、皆噛み合わせが悪かった。
とにかく王子に突入されなかっただけマシと思おう。
「シャルロッテ、君はまだ子供だからとたかを括っているかもしれないけれど、もう少し大人しくしてくれないかな?」
「私、大人しいですわ!」
「いや、まあ、うん。こう走ったり木に登ったりとかはしないけれどね。そういうのとは違う行動力というか、うん」
兄も、どう言っていいかわからないようだ。
私の子供っぽい行動と大人っぽい思慮のせいで、変に周りを振り回してしまっているのかもしれない。
今回の件は申し訳ないと思うけれど、晩餐自体は悪くはなかった。
最初こそ憤慨したものの料理は素晴らしくて話も有意義であったから、こんな幕切れになって残念な気持ちである。