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黒山羊様の導きで異世界で令嬢になりました  作者: sisi
第五章 シャルロッテ嬢と噛みつき男
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297話 包みです

 最初は洗濯女として安く使われて大部屋に詰められていた事を考えれば、今は大分マシである。

 文字が読めるのが功を奏して、下働きに取り立てて貰えたのだ。

 退屈な村でも、教会でちゃんと文字を習っておいて良かった。

 何でも助けになるものだ。

 くたびれたベッドのシーツの上に、店主から貰ったものを広げる。

 ハンカチはしっかりとした布のもので、レースが縁どり刺繍がしつらえてあった。

 それを指の腹でなぞる。

「ふふ、かわいい」

 思わず声が出る。

 子供が落書きしたような、少しコミカルな山羊の刺繍。

 星と月も一緒に散らばっていて、まるで絵本の挿絵のようだ。

 これは聖女様縁の意匠である。

 下働きの私でも目にした事がある、有名な仔山羊のデザイン。

 販売当初は斬新なそのデザインと聖女様の名前で行列が出来る程だったという。

 それを持つことは黒山羊様への信仰の証明だとか言い出す人も出たせいで、ある程度以上の富裕層の持ち物として一時は必須と言われたものだ。

 洗い場で働いていた時に、何度も洗濯の時に損ねないように注意されたものだ。


 今、手元にあるこれは後から出た廉価版で、庶民の手に届くものである。

 かといってハンカチにそうそう金額はかけられないし、自分で買う事は考えたことは無かった。

 店主も重くなりすぎず、気軽に使えて且つ上等な物と考えて聖女様のハンカチを選んだのだろう。

 小物屋を営むだけあって、間違いがない選択だ。


 そして、もうひとつ。

 油紙に包まれた、あの人のお礼なるもの。

 ゆっくり焦らすように包みにくるまれた小箱を開けると、ふわりといい匂いが鼻腔をくすぐった。

 箱に香水を含ませてあるのかもしれない。

 そこにはあの櫛には到底及ばないが、それでも下働きの娘には上等過ぎる櫛が入っていた。

 宝石の飾りは無いものの艶のある木で出来た品があるもので、どこかあの櫛を思わせた。

 どこに付けて行っても問題ない上等なものだ。

 こんな素敵な贈り物を貰えるなんて、こんな幸運な事ってあるのかしら。


 私は髪を1度解いてから、もう一度髪を結い上げてその櫛を髪に刺してみた。

 いつもの自分じゃないみたいだ。

 曇った手鏡に息を吹き掛けて、袖でゴシゴシと擦って映りを良くする。

 それから斜めや上に手鏡を持ち上げて、櫛を刺した髪を確認した。

 なかなか似合うんじゃないだろうか。

 普段使いには勿体なくて出来ないけれど、特別な日やお祭りか何かの時に着けるのにちょうど良い。

 実家に戻る時に挿していったら、いい人が出来たのかと誤解されるかしら?

 質屋に持っていけば纏まった金になるのは間違いない。

 それはわかっていても、手放すことは考えられなかった。

 こんな美しいものを手放したら、2度とは手に入るまい。


 特になんてことの無い何処にでもいるような私。

 でも、この櫛の物語の主人公は自分なのだ。

 あの憧れた櫛とは違うけれど、この櫛は私と共に過ごすと思うとこれからの人生は明るいものに感じた。

 何だか胸がいっぱいになる。

 あの新しく店に飾られた緑の石の耳飾りに比べて安い物かもしれないが、私にとって初めて男性から贈られたこの櫛は最上の宝物のように思えた。

 だって、私だけの櫛なのだもの。

 櫛の下には綺麗な花模様の入ったメッセージカードが置かれていた。

「感謝を」

 と、短文が真ん中に書かれている。

 難しい字はわからないが、これくらいなら簡単に読める。

 あの時タイミングが悪ければ、他の女性客にあの人は声を掛けただろう。

 そう思うと、自然にふふんっと笑いが出た。

 私はついている。

 殺風景な借宿のここだけが色付いた様に感じられる。

 カードをベッドの脇に立て掛けてみたが、手が滑ってひらりと床に落ちた。

 カードを飾る場所もないのは不満だが、頑張ればきっと上の職につけるはず。

 だって私はこんな素敵な物を手にする事が出来た幸運な人間なのだから。


 手を伸ばしてカードを拾うと、裏面にも何か書かれていた。

 ゆっくりと読み上げてみる。

「い、いーご……、ろ……、ろなっく?」

 見たことの無い単語だ。

 そう口にした途端、何やら寒気がした。

 キョロキョロと周りを見回してみるが、隙間風でも入ったのか。

 いや、夏なのだから寒気がするのはおかしい。

 風邪でもひいたかしら?

 夏風邪は長引くというし、気をつけなければ。


 Yから始まる文字の並び。

 何だろう?

 名前にしてはおかしな感じだ。

 何かの慣用句とか?

 どちらにしろ学のない自分には無縁のものだ。

 今までみたことのない単語。

「Y'golonac」

 発音はこれであっているのだろうか?

 何だか部屋自体の空気が冷えて張り詰めたような感じがする。

 変な胸騒ぎを振り払うかのように頭を振ると、カードを壁にピンで留めた。


 寂れた小屋の中で、1枚のカードがまるで花瓶にいっぱいの花を飾っているような華やかさを醸し出している。

 生活に必死で花を飾る余裕もないけれど、カードに描かれた花なら枯れないしいい。

 櫛を置く場所は悩んだけれど、元の箱に入れて枕の縁を解いてからそこに隠すことにした。

 誰かの目に入りでもしたら出処を詮索されるだろうし、最悪盗まれてしまうかもしれない。

 こんな部屋に入る泥棒はいないとは思うけど、同居人や隣人が何かの拍子にこれを見て魔が差すということもある。

 用心するのに越したことはない。

 人に見せびらかすよりは、1人で出掛ける時に着けて楽しむ方がいいかもしれない。

 次の休みが楽しみだ。


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