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黒山羊様の導きで異世界で令嬢になりました  作者: sisi
第五章 シャルロッテ嬢と噛みつき男
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296話 機会です

 娘は回想する。


 そして今日、一か月ぶりの休日にまたあの店を訪れてみた。

 美しい櫛が失われた今、足を運ぶいわれはなかったのだけれども、つい習慣で気付けば足が向いていたのだ。

 果たしてあの櫛があった場所には、新しく見たことも無い美しい緑の石が嵌った耳飾りが1組鎮座していた。

 櫛よりも安価であるが、それなりの値段がついていた。

 あの櫛に比べたら下町の人間でも背伸びをすれば手が届くくらいか。

 そう、この場所はこのお店の特等席なのだ。

 いつも女王様のように、ここから私達を見下ろす美しいものが置かれる席なのだ。

 自分はまた、美しい物に会いにこの店に通うのだろう。

 また綺麗なものを眺められる生活が続くのかと思うと、小さな感動のようなものが私の胸に訪れた。

 この耳飾りにもここに来るまでの物語があって、この先にも紡がれていくのだろう。


 そんな風に眺めていたら、店主から声がかけられた。

 この間はあの櫛を紳士にすすめてくれてありがとう、お陰で長年の在庫がはけて助かったよと。

 常連客の想像とは違い、あの場違いな櫛は店主の重荷だったようだ。

 その言葉に、少々がっかりしたのは仕方がないことだろう。

 誰だって味気ない現実よりロマンスの方が好きなものだ。

 話を聞いてみると店主が若い頃、勢いに任せて仕入れたのだそうだ。

 若くて自信家であった店主はあの櫛で一旗揚げようと大枚をはたいて仕入れたのだそうだ。

 結果としては売れず仕舞いで、その補填に四苦八苦したのだという。

 上等すぎて売れないそれを、下町では買う者のいない品を、恨めしく毎日眺めてきたのだという。

 他の店に流すことも出来たが、手が出なくとも女性客には好評であったし、広告塔としては優秀なのでついそのまま若さ故の過ちの戒めとして飾って置いたのだそうだ。

 今回、あの人が言い値で買い取ってくれたことで大黒字となったのだそうだ。

 ようやくあの時の自分を許してやれるよと店主は笑う。

 きっと意地を張って飾り続けたのだろう。


 ではあの新しい耳飾りは?と聞くと「櫛の行方を気にする女性客が多かったから、そこそこの品を後釜に置いたんだ」と返事が帰ってきた。

 やはりあの櫛に魅せられた女性は多かったのだ。

 そしてその後に続く言葉は、私を驚かせた。

 あの男性が私の名前を知りたがったので、教えたというのだ。

 他にも住んでいる場所や学はあるのか、文字が読めるのかとか質問されたという。

 そんな質問をするなんて私を気に入ってくれたのかしらと少し期待してしまう。

 運が良ければもっといい職にありつく機会かもしれない。


 下町では店員と客の距離は近い。

 暇であれば店員から話しかけられて雑談する事はままあるので、常連である私の名前や住み家が知られていてもおかしいことでは無かった。

 商品についていた店員が読めない単語を読んで感謝されたこともある。

 顔なじみの店員から私のあれこれを聞き、店主は男にあまさず伝えたという。

 店主はうんと気立てのいい娘だと褒めておいたよと胸を叩いた。


 そう言うと、店主は何やら屈んで戸棚を開けるとひとつの包みとレースの飾りがついたハンカチを手渡してきた。

「この包みはあのお貴族様からあんたへのお礼だってさ。ハンカチは店からの奢りさ」

 そう笑うと、荷が下りたというかのように店主は店員に任せて奥へ引っ込んでしまった。

「あの櫛が売れて店主の機嫌が良くってね。お礼を渡す為にあんたが来るのを今か今かと待ってたのよ。もう1週間来るのが遅れてたら、家に押しかけたかもしれないわね」

 馴染みの店員が声を上げて笑った。

 売れたのもともかく、貴族からの預かり物に落ち着かなかったのもあるのだろう。

 私は貰ったものを鞄に詰めると足早に家路に着いた。


 バタバタと音を立てて自分の部屋への階段を上がると、他の部屋から舌打ちや咳払いが、聞こえる。

 駆け込んだのは自分の部屋。

 4つベッドだけが置かれたうらびれた相部屋である。

 それぞれのベッドの横の壁には劇場のチラシや古新聞から切り取った淑女のイラストなどが飾られてベッドの持ち主の好みを表している。

 他のベッドの主は今日は仕事でここにはいない。


 隣の部屋とは申し訳程度に薄い壁で仕切ってあるだけの粗末で窓もない建物。

 ここは商家の下働き小屋だ。

 こんな部屋が幾つも並び、出稼ぎの人間の寝所となっている。

 (トイレ)も洗い場も共用で、あまり掃除は行き届いていないが、寝床があるだけありがたいと思わなければ。

 実家は王都周りの村のひとつで、畑を耕したり狩りをするのに向いてない者や一旗上げたい人間は、こうした下働き小屋や安宿を借りて王都での足掛かりにするのだ。

 上手くそういう場所に潜り込めなければ、馬小屋や店の軒先で縮こまって眠るしかない。

 今はまだ下っ端だが、働きが気に入られたら商家屋敷の屋根裏の従業員用の部屋で寝泊まり出来るようになるはずだ。

 そちらに移る事が出来たら、今よりもっといい生活が出来るのだ。

 もしあの貴族に取り立ててもらったりしたら、それこそ出世というものである。



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