3話 家族です
赤子というのは大変で、ことある事に泣いている生き物だ。
玩具が手に届かない。
眩しい。
退屈。
暑い。
寒い。
それはもう、事あるごとに。
まあ赤ちゃんは泣くのが仕事だと言うしね。
あと、歳をとると涙脆くなるのだ。
そう、なんだかちょっとした事でも胸に響いて泣けてくるものだ。
だから私は赤子でおばさんなんだから、2倍泣いても仕方ないのでは?と自分に言い聞かせて納得している。
そう判断して心のままに泣いたり笑ったり忙しい生活なのだけど、そのせいかすっかり心が軽くなっている気がする。
泣いた分、涙と一緒に心の澱が流されているのかもしれない。
思いのまま泣くのって、こんなにいい事だったなんて知らなかった。
幼い脳と肉体に引っ張られて、私自身が感情豊かになっていくのがわかる。
心の憂いが払われたのは母、ヒルデガルトの存在が大きいだろう。
彼女は大泣きしても私を厭うことをせず、機嫌よく付き合ってくれている。
これは母が特別素晴らしい人間であると言っているわけではなく、乳母や召使いがいることが大きいのだ。
24時間1対1で子供と向き合うのではなく、彼女は睡眠も食事もきちんととり、育児以外の他の日常を過ごしている。
なので私といる時間は思っているほどそんなに多くはないのだが、だからこそ私に対して余裕があるのだ。
ワンオペの日本の育児はちょっと母親に何もかもやらせすぎなのである。
召使いを雇えなくても安価で利用できるシッターの様な制度があれば私も、もっともっと子供をかわいがれていたのではないだろうか。
日々に追われ必死だった育児を、今更ながら残念に思うのだ。
ともあれ今、日本の母親事情を嘆いても私にはどうしようもないだろう。
私に出来るのは、遠い世界から母親たちにエールを送る事ぐらいだ。
とにかく私は良く泣く赤子だ。
自覚があるのだから間違いない。
特に母に一度抱かれたら意地でも離れたくないという欲求が湧き上がり、それにブレーキをかける理性というものはまだこの脳には宿っていないときている。
こんなに泣いたらさぞかし手のかかる赤ちゃんねと同情するのだけど、正直、自分で手加減できるものでもなく、第一大きい声で泣くのは肺の発達にもいいはずであるので、悪い事ではないはずだ。
もう少し育ったら離乳食をなるだけ散らかしたりしないように努力するし、トイレトレーニングも頑張るから大目に見て下さい!と、誰にともなく言い訳をしてしまう。
父親は多忙なのか、なかなか会いに来られないようだが声の大きい快活な人である。
白っぽい金髪をオールバックに撫で付でつけて、スポーツマンのような爽やかさに切れ長の目がかっこいい。
ガッシリとした体格なのに少年の様な素直さが残る表情が魅力的である。
ただ不器用なのか、私を抱き上げるのにいつも四苦八苦していた。
大きな手があるので安定しそうなものなのだが、私が壊れないよう時間をかけて慎重に挑むせいかこちらにも彼の緊張が伝わってきて、またもや私は泣いてしまうのだ。
男ならどーんとしていて欲しいものである。
泣きだした私を抱えてオロオロと困ったように眉を下げ、どうにか泣き止ませようと努力するのが微笑ましい。
とは言っても、泣き止むのも自分ではコントロール出来ないので父には苦労をかけている。
そんな様子を母ヒルデガルトはのんびりと見ていて、なんだかいいなと思うのだ。
兄弟はと言うと兄がひとり。
善良な両親の元、育てられた彼の名前はルドルフ。
父譲りのしっかりした体に母譲りの優しげな顔立ちである。
日本人の私には家族が全員、役者かモデルに見えてしまうのが困りものだ。
早くこの家族に馴れなければ。
未だこの赤子の姿を鏡で見られていないので自分の姿はわからないが、この遺伝子なら案外かわいく生まれついたのではないだろうかと、少しくらいは期待してもいいと思っている。
兄も父同様、怖々と私に接していて彼とのコミニュケーションはもっぱら握手となっている。
握手と言っても彼が出す人差し指を私が右手で握ると言うもので、まあ、赤子はなにか手元に出されると反射的に握るような気がするのだけれど、兄にはそれが特別な事に感じられている風である。
私と握手をしながら、よく分からない言語で一生懸命話しかけてくれてかわいい。
家族3人で私のもとを訪れることもあり、仲の良い家庭といってよいだろう。
赤子の私の意識は、常時はっきりしている訳ではなく、しっかりしてると思えば曖昧になり、浮上したかと思えば沈んだりと凪いだ海を揺蕩うクラゲの様に曖昧なものだった。
人というより動物っぽいけれど、今は体や脳が育つ最中なのだろう。
前世の記憶のせいで大人びた乳幼児になるかと思いきや、そういうものでもないらしい。
この私の人格は失われないのだろうか?
日々記憶は徐々に曖昧になっているような気もするが、人格としてはそのままである。
中身がおばさんのままの子供とはどんなものだろう?
今良く泣く赤子であるように、このまま体の方に精神年齢が寄っていけばそれほど気にならないのかもしれないが、どうなるかは自分でも想像がつかないのだ。
周りと上手くやれますようにと、神様に祈ってみる。
泣いて笑って寝て起きて。
成長は順調である。
少し大きくなってからは天気のいい日にはバルコニーで日光浴をしたり、乳母車で散歩に出られるようになった。
乳母車は大きな籐製で、大人1人が丸まれば入れそうなサイズだ。
音と振動から車輪はゴムではないのがわかるが、ふかふかのクッションが敷き詰められているお陰であまり不自由はしていない。
乳母車全体にはレースの日除けがかけられて、中に私が鎮座している形になる。
そのままだとレースごしの空しか見えないので、抱っこをせがむと世話係の中年女性が優しく抱き上げてくれる。
そうして目にしたのは住んでいる家は立派な石造りの洋館であり、庭は広く公園のようだった。
奥には林が見えており、どこまでが敷地なのかも見当がつかない。
私の庶民的で貧弱な想像力では思いもしなかった生活だ。
あの神様に飲ませてもらった精神安定剤のせいか新しい生活に対しての不安やパニックは無いのがありがたい。
記憶はあれど周囲への適応は普通の赤子と同じだろう。
いや記憶がある分、それがハードルになるかもしれない。
固定観念というものは厄介なものだ。
だけれど今はまだ赤子である。
そう、思うまま立場に甘えて泣いて笑っていよう。
家の外では季節の花々は咲き誇り、手入れが行き届いているのが見てとれた。
知らない花もあるが、前世の概念から外れたようなものはない。
花は花である。
ひとまずは身近な外界を知れたことに私は安堵した。