292話 黄昏です
新王宮と大聖堂の間に位置する旧王宮は、別名「黄昏王宮」とも呼ばれている。
元々明るくはない色の石材を使った建物が経年劣化により、全体的に灰色のイメージだ。
ある時代に王族のひとりから「このような無骨で陰鬱な建物は立て直した方がよいだろう」という意見が出たのだが、当時の宰相が「これは歴史の彩り。長い月日により黄昏に染め上げられた王宮を手放すのは、王国の一部を破壊することである」と恭しくも陳じた結果、その言葉に胸を打たれた王族はその言葉を撤回したという。
後世、新王宮が出来るに当たって白い建材を使い対比として「暁王宮」、「黎明王宮」と呼称が付いたそうだ。
黄昏と黎明。
2つが揃って完璧ということらしい。
旧王宮取り壊しの話は、実のところはまだ十分に使える旧王宮を建て替えるのは国費を圧迫するので、それを回避しようとした宰相の機転であるのが、昔の書簡等から推測されたという。
これはあまり外には出ていない話で王宮案内をしてくれた王子がこそっと教えてくれた王宮豆知識であるが、歴史の裏側みたいなこの話を私はなんだか気に入っている。
王子はこの話を言葉の真意を正しく見抜く事と、王族の他愛のない一言が国を傾ける可能性に繋がるという2つの視点から教えられたという。
確かにそれも大事なのだけれど、実はその宰相は旧王宮に愛着があって大事にしたかったのではないかなと、私は勝手な想像をしてしまうのだ。
慣れ親しんだものが消えるのは辛い。
真剣な面持ちで、宰相はこの重厚な建物の壁に手を当てて思い出を反芻してから王族に上告する。
そんな妄想を自分の中で描けるのが歴史の楽しみのひとつではないだろうか。
旧王宮の一室にアリッサを連れて私は足を踏み入れていた。
「やあやあ、久しぶりだね。お嬢さん」
立派な書斎机から離れて歓迎の意を示してくれるのは、学者のギルベルト・アインホルンである。
「お元気そうで何よりですわ」
「いやあ、こちらには貴重な本が多いし王国見聞隊の資料はそれはもう宝の山で時間が足りないよ。かといって研究室を引き払う訳にもいかないし行ったり来たりさ」
そう嬉しい悲鳴を上げている学者の髪や髭をチェックすると、多少伸びてる気がするものの許容出来る範囲だ。
何より目が隠れていないのは大きい。
「モジャ男さんに戻っていなくて、安心しましたわ」
「あの床屋外科には今でもお世話になっていてね。いや、王宮はいいね。頼めばここまで出張してくれるんだよ。魔法や武具の歴史にも詳しい男で話をしているうちにさっぱりさ!」
学者は得意気にそう語る。
ああ、不精自体は治っていないのか。
わざわざ軍部から床屋をさせに呼びつけるなんて、面倒くさがりにも程があるというものだ。
王宮専属の床屋もいると言うのに、 そちらとは話が合わずに有意義な時間を過ごせなかったのだろうか?
しかし王国見聞隊の顧問ともあればそれくらいは優遇されてもおかしくないのかもしれない。
私はいまいち職務とその特権を理解出来てないが、身だしなみに気を付けるようになったのはいい事である。
「今日はええと、悪徳の神について知りたいのだっけ?」
机の上に揃えていたと思われる資料を客用テーブルへ持ってくる。
「もう、いい?」
アリッサが小さな声で私に確認をとった。
「ええ、大丈夫よ」
「はあ、喋らないって大変」
ぷはぁっと水面に顔を出したかのように、彼女は上を向いて大袈裟に呼吸してみせた。
周りに人がいないかは彼女が1番わかっているだろうに。
主人である私に許可をとるとは、側仕えの自覚が出来てきたのだろうか。
あまり使用人の様にならなくてもいいとは思うのだけど、これも彼女の努力の一部なので否定してはいけないようだ。
「アリッサから話は聞いてるけど、また君は物騒な事件に首を突っ込もうとしているねえ。この件は丁度、王国見聞隊も調査しているから詳しいと言えば詳しいけどね」
「シャルロッテ様はタウンハウスのお友達を心配してるのよ。隠さず全部言わなきゃだめよ? ギル先生」
何だかアリッサは、兄のトニに話し掛けているような感じだ。
ギルベルトはアリッサにとっては下町を酷寒から救った英雄だし、歳上なのもあって懐いているのだろう。
「全部と言っても言える事も少ないけどね」
「何かあってからは怖いもの。令嬢みんなに私のような護衛がついている訳ではないでしょう?」
私の真剣な様子に、やれやれと学者は呆れてみせた。
「犯人は神話の生き物だと決まった訳じゃないんだよ? 確かに被害者の検死結果は不穏であるけどもね?」
「体中に、無数の、しかも大小の人の歯型がついているなんて、ギル様ならどういう犯人か推測が?」
学者は目を瞑って少し間をあけた。
私がそこまで知っているとは思わなかったのか、それとも今推論を立てているのか。
「そうだね。まずは個人の犯行として考えてみようか」
「1人で別の歯型を幾つも持つというのは、現実的ではありませんわ」
私の頭が硬いのだろうか?
全くもって、見当もつかない。




