291話 求めるものです
ルフィノの思い出の中の彼女は、いつも微笑んでいたそうだ。
なんとなくわからないでもない。
閉塞した世界で、彼女は生まれた我が子を心の拠り所にしたのだろう。
道理も知らない無垢な存在の笑顔にどれだけ心が救われることか。
自分だけを見つめて手を伸ばす存在。
たったひとつの自分を求める赤子。
「そんなお歳で子供を持つなんてお母様自身戸惑っていたに違いないわ。幸せだったに違いないとは私は言いきれませんけれど、幸せな時は確かにあったのだと思いますよ?」
ガルシアは力無く微笑んだ。
それは彼の心にずっとついている傷なのだろう。
もしかして女性を口説くのも、亡くした母親の面影を追って優しい言葉を返してもらいたい欲求からなのかもしれない。
ハイデマリーは早熟していて16、7に見えるし、ガルシアの無くなった母の年頃なのではないだろうか?
マザコンなんて言ってはいけないのだろうけれど、ガルシアが母親の事でこじらせているのは事実である。
「愉快でない話をしてしまってすまない。不幸な女性を匿う施設に力を入れていると聞いたから、何となく君と会話をしたいと思っただけなのに、結局全部話してしまった」
少し照れくさそうである。
この国に来てから耳にしたのだろうが、私のしている活動を他国の人に知られているとは驚いた。
まあ、私みたいな子供がそんな事を主張するなんて前代未聞であるようで、話題にはなったのは確かだ。
不幸な女性と一括りにするのは好きではないが、支援が必要な人間の力になりたいと思っている。
シュピネ村の女性達は受け入れる場所があったからこそ、幸せそうに笑っていられたのだもの。
蜘蛛の娘ドリスは己と己の神の為に間違った事をしたが、あの村に救われた女達がいたのは真実なのだ。
それだけは間違いない。
ガルシアの母親も近くに助けてくれる人か、あんな風に駆け込める村があれば、今頃は笑って過ごしていたかもしれないのだ。
その場合、ルフィノ・ガルシアが生まれる事はないのでなんとも言い様がないが。
「正直に言いまして、1番悪いのはあなたの父親ですけどね。子供を妻にするとか愛人にするとか反吐が出ますわ」
しまった、反吐とか言ってしまった。
令嬢に相応しくない単語を聞いてか、ガルシアが吹き出した。
「まあ、確かに屑だよね。彼は少女しか愛したくないみたいだったよ。僕にはさっぱりわからない。そこは似ないで良かったよ」
いや、ハイデマリーもまだ少女と言える歳ですからと突っ込みたくなったがやめておいた。
本気には見えないし、本気でないなら手を出してほしくない。
先程のハイデマリーに無体をしないという約束を信じたい。
「そういえばお父様はどうされているのです?」
まさかまた新しい幼妻を迎えたとかではあるまい。
「彼はね、死んじゃった。犯人は捕まってないんだけどね、愛人の誰かじゃないかとは言われたなあ」
遠くを見ながら、あっさりと事も無げに言い放った。
ああ、ガルシアの関心は母親にしかないのだ。
血が繋がっていれば親愛の情を抱く?
そんな事はない。
家族だって夫婦だって、お互い思い合わなければ赤の他人と変わらない。
情とはそういうものなのだ。
自分の欲望の為に少女に好き勝手をした男が、息子に悼まれる訳がなかった。
「まあ、彼は私に全てを遺してくれたのだから、そこは感謝しているよ。お陰で私には名誉も地位も金も全部揃っている」
全てを手に入れたと言いながら、自分の全てであった母親を失くした子供をがそこにいた。
そんなものと引き換えにしたくはなかっただろうに。
「もう一度、母に会えたら私をどう思っていたか聞きたかったんだ」
ああ、その心中は私にもわかる。
お母さんは私の事を好きだった?
嫌いじゃなかった?
大事だった?
前の世で母を亡くした後、何度も心で問いかけたものだ。
今は黒山羊様と母と乳母のお陰で、欠けたものが満たされている。
日々、彼女達に感謝する。
「その時は、貴方からも気持ちを伝えないとね」
私の言葉にガルシアはハッと目を見開く。
もう一度。
そんな奇跡がある訳がないが、望むのは自由だ。
それとも大昔の賢者様には出来たのだろうか?
それは誰にもわからない。
でももう一度会えたらと仮定するのは、悪い事ではないでは無いか。
そこを否定する程、私は野暮ではない。
それが絵空事でも本気で考えて、墓前で語り掛けてもいいのだ。
今だけでも幼くして母を亡くした子供が、邂逅を果たしたらと本気で語ってもいいではないか。
「母には聞きたい事ばかりで、私の気持ちを伝えたいとか考えた事もなかったな。まずそうだね、あんな男とは離れた方がいいって言うのがいいかな? 私があの時大人だったら、きっと一緒に逃げていたのに」
照れ臭いのか愛情を伝えたいとは言わなかったけれど、そう考えているのは表情から読み取れた。
「後、お父様を殴るようお勧めすべきですわね。多少過剰に殴っても悪くないと思いますわ」
ルフィノ・ガルシアは声を上げて笑った。
「君ならボコボコにしてしまいそうだ。残念ながら母は暴力とは無縁に生まれついていたけれどね」
「私なら蹴飛ばすまでするかも知れませんわよ」
死人に鞭打つのは良くないかもしれないが、それだけの事をしたと思い知らせてやりたい気分だ。
ガルシアの父には言ってやりたい事が山ほどある。
彼には彼の主張があるだろうが、だからと言って妻も愛人も息子もみんな不幸になってしまったではないか。
過去の話とは言え私は大いに憤慨していた。




