288話 餌やりです
「ふふ、こんなにお口を汚して。おいしく食べたようでよかったわ」
私がそう言いながらビーちゃんの嘴を指先で綺麗に拭う。
「ほら、やっぱり母親の顔だ」
顔を上げると綺麗な赤髪のルフィノ・ガルシアがいた。
いつからいたのだろう。
2匹のおやつの風景にすっかり気を取られてしまっていた。
大聖堂の薬草園という場所柄のせいか、彼からこの間の女好きのような軽薄な雰囲気は感じない。
「どうしても私を子持ちにしたい様ですね。まあ、この子達を子供扱いしてるのは確かですわ」
私は試す様に、少々うんざりして見えるよう振舞ってみた。
そもそもハイデマリーの事は口説いて、同席した少女を既婚者として扱うのはどうにも失礼な事であるし、もうひとつ思惑もあった。
私は確かに子供を産んで育てた事があるけれど、この人生ではまだなのだ。
もしかしたらすごく人の内面を見通すのが上手い人なのか、単に失礼な人なのか見極めたくあったのだ。
「私は失礼な事を言っているかな? 母性本能に溢れて素晴らしいとおもうのけど」
私の態度に少々萎縮でもしたのか、少し及び腰だ。
随分大人しくないかしら?
ラーラが睨んでいるという訳でなし。
「子供に愛情を注いで育てるのは大変な事だし、誰にだって出来ることではないだろ?」
言っている事は正しいけれど、何か変な物でも食べたのかしら?この人。
でも私に対して嫌味や嫌がらせで言っている訳ではないのは、何となく伝わってきた。
母が偉大であると言うのは、千の仔を孕む黒山羊と呼ばれる地母神教の根底であるし悪い事ではない。
単に無神経で悪気がないタイプなのかもしれない。
「今日は神妙な様子ですが何かあったのですか? そもそも薬草園などあなたが好みそうではない場所ですし」
「商売人というのは、どこにでも現れるものだよ」
「言っておきますが、ハイデマリーはここには来ませんよ?」
ストーカーが如く彼女の立ち寄りそうな場所を張るにしてももっと他にありそうなものだが。
いや、ハイデマリーが大聖堂の教会に保護されていた時期があったのだから、おかしくはないのかも。
でも薬草園で女性を口説くのは不向きではないだろうか。
「いや、彼女に会いに来た訳ではないのだけどね」
この人に最初に会った時は、ナハディガルを前に自信満々な態度だった。
2度目はハイデマリーと兄の前で優男ぶりを見せていたし、今日のしおらしさは何だろう?
男の人と張り合っているわけでもあるまい。
「君がここに来ていると聞いて訪ねにきたんだ」
イケメンにこんな事を言われたらそのへんのお嬢さんなら嬉しくもなりそうだが、私はホスト通いとかは無縁の生活だったので浮ついた言葉につられたりしないのよ。
でも、無縁の方が耐性がないからつられたりするのかしら?
まあ口の上手い今世の父兄に恵まれてはいるし、とにかく揺らいだりしないのだ。
私はかなり怪訝な顔をしていたのか、ガルシアも戸惑っていた。
そういえば、この人は商人だ。
この国に新しい商品を見に来ているのではなかったかしら?
そう思えば私に会うのにわざわざここまで足を運ぶのはわからない話ではない。
ちょっと警戒しすぎたかしら?
「私は商売事はさっぱりなので、デザイナーのアデリナも仔山羊基金の事もロンメル商会を通していただけますか?」
私の言葉に、ガルシアは苦笑する。
「やれやれ、随分嫌われたみたいだね。商売の話でもないんだけど」
そもそも兄の恋敵になりそうな人なのだし、私が彼に親切にするいわれはないのだもの。
「そうですね。あなたがハイデマリーを困らせたりしないなら少しはあたりを柔らかくしてあげてもいいわ」
「はいはい、私の負けだよ。決してハイデマリーに無体な事はしない。誓うよ。これでいいかい?」
軽く両手を上げるガルシアに私は笑いが込み上げてきた。
こんな小さな子供の言葉に翻弄される優男だなんて、なかなかみれるものでもない。
面白いではないか。
「よろしいですわ、ガルシア様。それで何のお話ですの?」
女でも商売でもない話なんて、彼から聞ける気がしない。
「そのガルシア様もやめてもらっていいかな? 家名はあまり好きじゃないんだ」
「まあ、ではなんとお呼びすれば?」
「王太子殿下の婚約者に名前で呼ばれるのもなんだし、トマティートでいいよ。ほら、君が最初そう言ったろ?」
「トマティート?」
「トマトの事だよ。正確には『小さいトマト』って意味さ。子供の頃の私の愛称だ」
「ではトマティートさんね」
名前より長くて呼びにくい気がするのだけども、私が素直にそう呼ぶとガルシアは少年の様に笑った。
なんだ、こんな好青年の様に笑えるのではないか。
変に色気を出されるよりこちらの方が余程好ましい。
「私も仔山羊に餌をあげても?」
そう言うとガルシアは堂役を捕まえて、薬草を見繕って貰っている。
お礼にチップを払っているのが、商業国家の人間らしいやり取りだ。
ちなみに、この国にはチップ文化は存在しないと思う。
いや、私が知らないだけで町人達の間にそういうやり取りがあるのかもしれないが、この国の貴族はチップを支払わない。
何故って自分で財布を持たないのだから、払いようがないのだ。
いつも付き従う侍従や侍女が処理するので、心付けなど何処吹く風というわけだ。
反対に商業国家では買い物をしても食事をしても、何かしらサービスに見合った少額を渡すらしい。
チップは労働賃金のうちに考えられているそうで、労働意欲の向上にも繋がるようだが、見合う対価は支払ったとその場その場で区切る為とも聞いたことがある。
その辺は商売人が集まった国ならではの考え方なのかもしれない。
堂役もチップをもらい慣れていないようで戸惑っているようだ。
きっと賽銭のような扱いで、そのまま教会へ渡されるのだろう。




