287話 薬草園です
今日はとても天気がいいので、クロちゃんとビーちゃんを連れて私は大聖堂の裏手にある修道院の庭、いわゆる薬草園を訪れていた。
聖女の肩書きのお陰で、ここへ来ると諸手を上げて歓迎される。
最初に訪問した時などは、私の後ろに列が出来たものだ。
用事があればこちらから声を掛けるので、そっとしておいて下さいと何度か頼んでやっと静かに散策出来るようになった。
茴香、蓬、目箒、月桂樹。
数々の効能を持つ草木が集められ美しく庭を彩っている。
侯爵家の薬草園も立派なものだが、やはり王宮の大聖堂が抱えるここは格段に美しい。
元の世界とこの世界では色々違うところが多いのだが、薬草の効能が高いのもそのひとつである。
化学により医学が発達しない分を、自然に存在する薬草が補うように。
薬草学を修めた薬師の手によって、各疾病に聞く薬、体力を回復する水薬や傷を塞ぐ軟膏が作られ薬効を発揮している。
話は逸れるけれど、武器の傷を治す武器軟膏というものもあるらしい。
そちらは錬金術の範囲であるらしく、硫酸鉄なるものに幾つかの薬草と傷を負った本人の血を混ぜて作られるという。
その軟膏を傷をつけた武器に塗る事で武器の記憶を癒し、同時に怪我人の傷が癒えるという。
血潮により武器と怪我人を結びつける事で共感、共鳴が起こるそうだ。
そちらについての実際の効果は戦場に出たことの無い私にはわからないが、なんだか摩訶不思議な話である。
薬草園では何人もの堂役が、甲斐甲斐しく薬草の世話をしていた。
枯れた葉を取り除いたり、剪定をしたり。
或いは大籠を持って薬を作る為の収穫をしたりと、各人が自分の務めに勤しんでいる。
よく手入れされた庭園を見ているとふいに、私の中で王子の言葉が蘇った。
「あなたも私と庭師にならないかい?」
初めて目にした美しい王族専用の庭で、彼はそう言ったのだ。
国を治める事を庭仕事に例えていた時だ。
私は王子を「庭師殿下」と例えて2人で笑った。
この国で何もかも叶える事ができる王太子殿下という地位。
私の意志は関係なく婚姻を望めば叶うと言うのに、わざわざ問うてくれたのだ。
それがどれだけ誠実である事か、王宮で色々な貴族を見た今ならわかる。
私の事だけでは無い。
権力を自分の為に使う事無く、出来る事を精一杯頑張っている。
もし、私があの立場だとしても、同じ様には出来ないだろう。
結婚や恋愛はまだ考えられないけれど、そんな王子の事を支えたいという思いはある。
志の高い王子の心が折れない様、そばにいて助けてあげたい。
だけど王子が私に望んでいるのは危ない事をするなと言う事のみで、あまり役に立っている気がしないのだ。
もっとわがままを口にしてくれたらいいのに。
そもそも王宮なんて堅苦しくて、人目ばかりの場所では息抜きも出来ないのではないか?
色々な思惑が交錯する伏魔殿なんて、全くもって子供にとって健全ではない。
深呼吸出来る場所が必要だ。
私が王宮の色々な庭を巡っているのはクロちゃんとビーちゃんとの散歩の為でもあるが、決してそれだけでは無い。
居心地のいい庭を見つけて、その庭に相応しい過ごし方を考えて王子と過ごす為だ。
デートの下見と言われたらそうなのかもしれないけど、そう言い切るのは少し照れくさい気がした。
薬草の香りを胸いっぱいに吸い込んでそんな事を考えていると、クロちゃんがめえめえと催促する様に鳴いた。
迷迭香が敷き詰められた一角だ。
最近のクロちゃんのお気に入りのおやつである。
強壮剤や神経障害の刺激剤に使われたり、「若返りのハーブ」とも呼ばれて活用されているそうだ。
ある土地ではその枝で悪霊を追い払ったり、神への捧げ物として扱われるそうで、神様の遣いであるクロちゃんが気に入るのはもっともかもしれない。
その青紫の花は、海の露や海の雫とも形容される事もあり、なんともロマンチックではないか。
「少し分けていただいてもよろしいかしら?」
私が声を掛けると、堂役も分かっているのかクロちゃんの為に薬草を摘んでくれた。
本日の仔山羊おやつは「迷迭香の立麝香草と檸檬茅がけ」と言ったところか。
力強い香りの中に、爽やかな柑橘の匂いが漂っている。
薬草の組み合わせによって香りが変わるので飽きもこないのだろう。
桶に入れられたそれにクロちゃんは鼻を突っ込むと、美味しそうにゆっくりと食みだした。
ビーちゃんには薄荷の葉を貰う。
小鳥は私の指を止まり木にして、差し出す葉を細かく嘴を上下させてショリショリと音を立てて食べている。
この可愛らしい食事の風景を見るのも、薬草園の楽しみのひとつだ。
「ふふ、いい匂いのおやつを食べてご機嫌ね」
2匹のその穏やかな様子を見ると温かい気持ちが沸いてくる。
「クロ様、こちらも」
控えていたラーラも堂役から薬草を貰って、クロちゃんに差し出している。
クロちゃんは用心深くラーラから目をそらさないでそれを食べるのだけれども、それは仕方のないことだ。
最初にこの薬草園でおやつをもらった時に、彼女が放った言葉にクロちゃんはショックを受けたのだった。
「薬草を食べさせて育てると、山羊肉が柔らかく臭みが和らぐといいますね」
っと。
まさかいまだにクロちゃんの事を食用山羊だと思ってはいないと思うのだけれど、本心は誰にもわからない。
ミントを食べ終わったビーちゃんが、あ~っと嘴を大きく欠伸をする様に開けた。
嘴の先が薬草で緑色になって、薄荷の匂いを漂わせていた。
いつも拙著を拝読いただきありがとうございます。
活動報告を更新しました。
第4章までの神話生物について少し触れておりますのでお時間のある方はそちらもどうぞ。




