275話 取り合いです
「滞在中はどうぞ王国を楽しんで」
ハイデマリーは礼儀正しくそう告げて離れようとしたが、赤毛はずっとその手を離そうとはしない。
「あの……。手を……」
困惑気味に申し出る彼女をよそに話を続ける。
「ハイデマリーとお名前でお呼びしても? 私の事も是非ルフィノとお呼び下さい」
ハイデマリーは断りきれずに、私に目で助けを求めている。
私の大好きな友人は貴族相手に毅然と振る舞えても、こういうイレギュラーな事にはめっきり弱いのだ。
まるでコリンナと逆である。
「トマトさん。この国ではそのように、ずっと淑女の手を握るのは無作法ですよ」
私の言葉に一瞬身を硬くしたように見えたが、一向に彼女を離そうとしない。
控えているラーラも相手が私でない以上、強く出れない様だ。
ここはハイデマリーがきっぱりと拒否しなければいけない場面であるが、このような図々しい行動を侯爵令嬢にする人間が今までいなかったせいか、どうしていいかわからなくなっていそうだ。
「王宮を貴女のような方に案内してもらえたら、それは忘れ難い思い出になるのだろうな」
人好きのする眩しい笑顔でそう語りかけている。
「あのガルシア様、ハイデマリーが困っておりますので!」
無粋でもなんでもいいと、私は割って入った。
「おや、困らせてしまった? 申し訳ないね。お詫びに何か贈ろう。その銀糸の髪を飾る薔薇石英はどうかな? それとも白魚の指に相応しい藍柱石にしようか?」
なんと私の助け舟をプレゼントの口実にするとは手強い相手だ。
ここは王宮だし、あまり品位のない行動を起こす訳には行かないし……。
考えあぐねていると援軍がやってきた。
「ハイデマリーの手を離してもらっても?」
「ルドルフ様!」
兄は握られていない方のハイデマリーの手を取り、ダンスのステップでクルリと彼女を引き寄せた。
突然のその動作はガルシアからハイデマリーを引き剥がすのに成功したが、男性に手を取られていたのを見られたのが恥ずかしいのか、兄に手を取られたのが恥ずかしいのか、彼女は顔を真っ赤にしている。
「淑女を困らせるなど言語道断というものですよ、お客人」
兄は挑戦的な目でガルシアを見やる。
何て素晴らしいタイミングだろう!
ヒロインのピンチに駆けつけてこそヒーローだ。
1人の美しい少女を取り合う美形2人だなんて物語のようではないか。
「君は高潔姫の騎士かい? せっかくの逢瀬を楽しんでいたのに水を差すとは無粋だ」
「逢瀬だなんて!」
ハイデマリーが珍しく大きな声を上げた。
「シャルロッテの兄であり、ハイデマリーの友人であるルドルフ・エーベルハルトです」
凛とした態度で名乗りをする様は、まさに騎士という感じだ。
名前を聞くと、ガルシアの目付きが鋭くなる。
「聖女様の大事なお友達と兄上という訳か」
邪魔をされた事に気分を害するほど心が狭いとは思えないけれど、何か思うところがあるようだ。
その一瞬の殺気かなにかを見逃さないかのように、クロちゃんとビーちゃんがなんとガルシアに飛びかかった。
「ちょっ! うっぷ、ちょっと何これ、何とかしてくれ?!!」
悲鳴にも似た声に、私は慌てて2匹を引き離す。
女性にたかられることは多そうな男だが、流石に動物に飛びつかれる事は珍しいだろう。
「申し訳ありません。いつもはこんな事ないのだけど」
2匹にどうやら毒気が抜かれたようで、ガルシアは元の優男の雰囲気に戻って笑って許してくれた。
突進したりはしないものの、2匹は今だ鼻息荒く彼の体を点検するようにぐるぐると回っている。
ガルシアはガルシアで、2匹に対して縮み上がっていた。
そんなイケメンの情けない姿に、申し訳ないが私もつられて笑ってしまった。
「優秀なボディガードをお持ちでらっしゃる。いやはや驚いた」
その賞賛を理解したのか、クロちゃんとビーちゃんは胸を張る様にして見せた。
今更ながらだが、ちゃんと言葉もわかってなんてお利口なのだろう。
本当なら客人に飛びかかるなど叱らねばならない事だが、非はあちらにあるのだし、場は和んだのでそこは不問でいいではないか。
2匹に甘いかもしれないが、可愛いのだから仕方ない。
「手強い方もいらっしゃる様だし、今日はここで引くとしよう。銀の姫君、また私との時間を作って下さると期待していますよ」
甘い言葉だが、その眼差しは獲物を狙うそれのようでハイデマリーは身を硬くする。
それに気付いたルドルフは、まるで自分がついているからとハイデマリーを安心させるように微笑んでみせた。
兄様その調子です!と心の中で私は応援した。
この間、ハンプトマン中将とのやり取りでオロオロしていたというのに、やはり好きな子の前では頑張ってしまうものなのかしら?
「やれやれ、これは本当に手強そうだ。美しい宝玉を手に入れる為には試練が必要というわけですかね。私は諦めませんよ」
ガルシアは兄を一瞥すると、不敵に笑った。
なんというかとても情熱的な人だ。
本気なのならば止めるのも無粋かもしれない。
ただ、ハイデマリーに一目惚れしたとか、そういう風には見えないのだけれど。
上辺だけの様な、そう演技しているような感じというか、舞台を見ているような感じか。
執着しているのはわかったが、恋愛事に疎い私には、青年の恋愛に対する姿勢がよく理解出来なかった。




