273話 成長です
「クロちゃん、待って!」
私は黒い仔山羊の可愛いお尻を追いながら、王宮の中庭を早足で移動していた。
私の声に衛兵が反応するが、黒い仔山羊の姿を見つけると微笑ましそうに眺めるだけだ。
最初こそ大人しかった仔山羊は日を経つにつれ好奇心旺盛となり、今では無邪気な子供そのものだ。
もう!猫を被っていたのかしら?
いや、違う。
王宮という環境に慣れたのか。
追いかける私を気にもせず、よく手入れされた生垣にクロちゃんはジャンプをして飛び込んだ。
少し刈り込みが乱れる。
心の中で綺麗な庭を荒らしてごめんなさいと王宮の庭師に謝罪した。
ソフィアに庭師へお詫びの差し入れをしてもらわなければ。
わざわざそんな事と笑われるかもしれないが、彼らの仕事を軽んじていいわけはない。
王宮からは好きにさせて良いとは言われているけれど、1度ちゃんと言い聞かせなくてはいけない。
建物内ではお利口に出来ていたのに、庭に出れたのでテンションがあがったのだろう。
虫か何か見つけたのだろうか?
生垣からお尻と尻尾だけが出てピコピコしているのが可愛らしい。
出会ってから日々、クロちゃんは感情豊かになってきている。
物言わぬ仔山羊だが、侯爵家に迎えた当初は決まった場所でじっとして、どこを見るともない眼差しで大人しくしている事が多かった様に思う。
こんな風にはしゃぐなんて、あの頃からしたら嘘のようだ。
それが今では花の匂いがすれば駆け、虫や流れる雲を追い、鳥のさえずりに耳を傾けているのだ。
クロちゃんはクロちゃんなりに好奇心を育てて、世界を味わい楽しむようになったのだと考えるのはおかしいことだろうか?
まるで泳げない人が恐る恐る爪先から水に浸かるように、クロちゃんもこの人の世界におずおずと身を浸していたのかもしれない。
色々な人からの好意や愛情を受けて、今ではすっかり我が物顔で縦横無尽にこの世を泳ぎ回っているのだ。
対してビーちゃんは、自由に空を飛べるというのに人を見守る生活が長かったせいか、いつも誰かの肩や頭に寄り添っている事が多く落ち着いている。
気が向いた時にはどこかへ飛んでいくのだけれど暫くすると戻ってきて、また誰かの体に止まって満足気に休むのだ。
ビーちゃんは、寂れた祠でひとりきりであった期間も長いので人恋しいということもあるのかもしれない。
いつも人のそばにいたいのだ。
今日も私の肩に乗って、揺れるのも構わずのんびりとくつろいでいる。
クロちゃんに追いついた時には、茂みに何度か飛び込んだ後ですっかり草や土埃に塗れていた。
「あらあら、土だらけね。綺麗にしてあげるから、こっちにいらっしゃい。何かいいものでもあった?」
クスクスと笑いながら背中から仔山羊を抱き上げると、めええと抗議の鳴き声が上がる。
「まだ遊び足りないの? この後お茶会をするのだから少しだけよ? 元気がいいわねえ」
そうやって相手をしていると、後ろから声がかかった。
「やあ、ご機嫌いかがかな? 聖女様」
振り向くとルフィノ・ガルシアがそこにいた。
相変わらず鮮やかな赤毛である。
「まあ、ガルシア様。おかげさまで気持ちの良い天気を仔山羊達と楽しんでおりますわ」
ガルシアはまじまじと2匹を眺める。
神の御使いをひと目見たいという客も多いのだ。
それを受け入れては自由に過ごす事も出来ないし、私も見世物にする気はない。
王宮と教会で話し合って「縁があれば姿を見ることが叶うでしょう」と御使い目的の面会は受け付けない事になった。
お陰で仔山羊達を目にしたら、その日は幸運であるというような縁起物のような扱いを受けている。
「これが噂の仔山羊様と小鳥様ですか。実際によく懐かれて、まるで幼子をあやす母親ですね。聖女様は子供を産んだ事が?」
「は?」
いきなりの質問に一瞬混乱して、何を聞かれたのか分からなくなりそうである。
どうして突然そんな事を聞くのか。
そんなに私、母親っぽく振舞っているのかしら?
他の人は言わないだけで、隠しても隠しきれない年季のいった母親臭とかが滲み出ているとか?
うっかり「はい」とでも答えてしまいそうだった。
私の返事よりも早く、綺麗な声がかけられた。
「いくらシャルロッテが寛容だといえ、無礼ですよ」
そこに居たのは、ようやく追いついてきたハイデマリーだ。
私と違って早足でもクロちゃんを追うような無作法をしない正しい令嬢だ。
いつもより少々目がつり上がって、先程の言葉に心から怒っているのがわかる。
私の為に怒ってくれるなんて、良い子過ぎやしないか。
そちらに目を向けたルフィノ・ガルシアは、ハイデマリーを見ると両手を大きく広げて歓迎の意を表した。
「いやはや、これは美しいお嬢様だ。お名前を伺っても?」
「シャルロッテへの謝罪が先ではないかしら? 異国の方の様ですが、この国に足を踏み入れたのならこの国の礼儀を尊重していただいて貰いたいものですわ」
厳しい意見だが正論である。
ハイデマリーは眉をひそめて抗議をした。
それはちょっと彼女と初めて会った時のお茶会での悪役令嬢っぽさがあって、不覚にも懐かしさが湧いてきた。
あの時は彼女の語彙に感心したものだ。
こんなに仲良くなれるなんて思ってもみなかった。




