270話 中将です
「では、杖を構えて火の神を表す名前を讃え、魔力を捧げてみようか?」
お手本として、兄が自分の杖を革帯に取り付けてあるホルダーから取り出した。
それは色やデザインが、私の持っている杖とは違っている。
「兄様の杖は別の木から出来ていますの?」
「ああ、僕は火と風の魔法を使うから火属性の楢の木と、風の属性の榛の2種類の木で出来ているんだよ」
杖の持ち主によって木を変えるなんて、なんだか面白い。
「いろんな木が使われるのですね」
「ああ、水と相性がいいのは白樺、土と相性がいいのは吸葛と、いろいろあるね」
「すごく詳しいんですね」
私が目を輝かすと、兄は少し誇らしげだ。
デニスがこそっと小声でささやいた、私に教える為に一夜漬けで勉強していたという言葉は聞かないふりをしておいた。
兄は胸の前に杖を掲げると、いつか学者が水の魔法を使った時の様に呪文を唱えた。
「生ける炎 玉光群がるもの 燃ゆるもの 焔宿りしもの その恵みをここに顕し 我が魔力を受け取り給え」
すると杖の前にこぶし大の火の玉が現れる。
「火です! 燃えるものがないのに火が浮いてます!」
ふわふわと浮くそれに興奮した私に、兄は満足したように微笑みかける。
「シャルロッテもすぐに出来るようになるよ。杖の先端に集中しながら炎の神様を頭に思い描いて呼びかけてごらん」
兄に言われるままに杖を前に出し、真似て詠唱をする。
えーと、なんだっけ。
「生ける炎 玉光群がるもの 燃ゆるもの 焔宿りしもの その恵みをここに顕し 我が魔力を受け取り給え」
じーっと杖の先を見つめるが、何も反応がない。
ちらと兄を見る。
「すぐ出来なくても大丈夫だよ。唱える事に意識が行き過ぎているのだと思う。言葉とイメージを結びつけるのが大事だからね」
何度か試してみるが、上手く行かない。
杖の先に集中しようとすると詠唱がおろそかになるし、詠唱に気を取られるとイメージが霧散してしまう。
四苦八苦していると、入口から声が聞こえてきた。
「おや、お可愛らしい。フリードリヒ王太子殿下の婚約者様は、火をひとつ付けるのにも苦労なさっているとは」
声の主を見れば、軍服に髭を蓄えた蛇の様な目つきの鋭い中年男が拍手をしていた。
後ろには部下なのか何人かの軍人を引き連れている。
「聖女様といえど得手不得手があるらしい」
嫌味を含んだその言葉に、今まで後ろに控えていたラーラが前に出る。
「ここが軍部の施設だからといえ、前触れも無しに足を踏み入れるなど無礼が過ぎるというものですハンプトマン中将」
中将というのは偉い人なのだっけ。
ついでに言うと父も国境で兵を率いる必要があるので、普段は名乗らないが同じ中将である。
「おお、怖い怖い。私はかねがね女性は家を守り子を育むものだと唱えているのだがね。ところでヴォルケンシュタイン少佐はいつ嫁に行くのかな? とんと春が来たとは聞かないが。番犬を嫁に迎える物好きがいるとも思えまいが」
「なっ! 失礼な!」
そう髭を触りながら中年はラーラを挑発すると、部下たちに同意を求めながら笑った。
普段から人を小ばかにしているのだろう。
実に手慣れている。
この親父達、私のラーラに何て事をいうのだ。
彼女はそこらの男性よりも力も技も強く美しく、真摯に職務に励んでいるというのに。
目標を掲げ日々の鍛錬を怠らない様は、家庭を守り慈しむ事と同様にすばらしい事ではないか。
この髭蛇男め。
自慢気に触っているその髭を全部むしってやりたくなった。
「ラーラは素敵な女性ですわ。私のことはご存知の様ですわね。シャルロッテ・エーベルハルトにございます。未熟な私を守ってくれる彼女は正しく王国の剣。そんな宝剣を欲しがらない方がおりましょうか。彼女の任務への情熱を凌ぐ殿方が現れないのは、逞しく頼れる騎士方が希少であるからでしょうかね」
思わずニッコリと最上の笑みで、軍部の男が頼りないからラーラに相応しくないんですよと嫌味を言ってしまった。
「ふん、微笑みだけで王太子殿下の婚約者の座を射止めた訳では無いというところかね」
男はねっとりとした目線で、私を品定めするかのように上から下まで眺めている。
それに気付いてラーラが私を隠す様に体を動かして牽制している。
まるで見られるだけで私が汚れるとでも思っていそうな行動だ。
「そもそも黙って見学とはどういうことですか? 同席されるのなら然るべき手順をふんでいただきたい」
「おや? 案内人から聞いていませんか。彼奴には後で叱っておかねばなりませんな。魔術儀礼を終えた子供達が練兵場に来た時は、上の者が見学するのが慣例というものだがね」
すっとぼけたように髭蛇男は言う。
まあ、軍部の施設を使うのだし、優秀な人材を求めるのは理解出来るので見学自体はおかしな話ではないが、わざとあの案内人にその部分を伏せていたのではないか?
「魔法が不慣れなお可愛らしい聖女様。私が手取り足取り優しくお教え致しましょうか? かの賢者様も私めが指導したのですよ」
愉快そうに笑いながら提案をしてくるが、誰がこんな髭蛇男に習うものか。
気持ち悪い目つきにゾッとしてしまう。
部下達も彼に合わせるように笑っているし、なんなのこの人達。
さきほどの言葉といいラーラへの態度から好感は持たれていないと思ったが、なるほど賢者派ということなのね。
アニカ・シュヴァルツも、こんな男によく魔法を習おうと思ったものだ。
「遠慮しておきますわ。私、人見知りをしてしまうので初めて会った方に師事するなんて考えただけで、気が遠くなってしまいますもの」
「それほど口が回る方が、何をおっしゃる」
お互いがにこやかに笑いながら、失礼な事を言い合った。




