269話 杖です
兄が衛兵に書類を渡すと、馬小屋と思われるひとつを指で示され案内人をつけられた。
案内してくれる兵士は新兵なのかギチギチに緊張していて、手と足を一緒に出しそうな具合だ。
こちらには軍部に所属しているラーラもいるので案内は要らないのだが、規定としてつけなければならないのかもしれない。
「エッ…、エーベルハルト侯爵家の方を案内出来るなど、こっ、光栄でありっ、ます」
そう震える声を兄が遮る。
「私達のために、あなたの訓練の時間を邪魔してしまってすまないね。私も騎士を目指しているので軍部に入ったら貴方は私の先輩という事になる。その時はよろしくお願いするよ」
「はっ、はい!! 私なんぞでよろしければ、どれだけでも、よろしくして下さい!」
もしかしてこの緊張ぶりをみると、この兵士は貴族ではないのか下位貴族であろうか。
貴族だけでは国の兵士を賄えないので、一定数は平民から志願兵をとっているはずだ。
偶然かもしれないが、賢者派の軍部の人の嫌がらせのひとつだと考えてしまうのは老婆心が過ぎるだろうか。
こういう場に置いては何だかんだいっても、貴族が対応するものの様な気がする。
どちらにしろ高位貴族に慣れていないのは明らかであるので、その兵士には少々気の毒であった。
まあ、ささやかな嫌がらせかもしれないが、兄も私も案内人が貴族でないからと怒ったり悲しんだりする程貴族至上主義ではない。
どちらかと言えば変に持ち上げられたり、取り入ろうとされないので気が楽なものだ。
ルドルフはまだ騎士になる夢を諦めていないというか、国境を預かる領主として軍部での訓練ははずせないものだ。
私の兄という事で、こういったやり口で茶々を入れられるとしたら少し責任を感じてしまう。
「お使いになられる魔法舎はこっち、らになります」
カチコチの兵士が、変なイントネーションでそちらを指さした。
この兵士には何の落ち度もないのだ。
ニッコリと笑ってお礼を伝えると、顔を赤く染めて目を逸らすのが中々初々しかったが、ラーラの咳払いで彼の顔色は青く変わった。
どうやら軍部では、ラーラは恐れられているようだ。
案内された魔法舎は、近付いて見るとがらんとした大きな倉庫にしか見えなかった。
縁に道具類が固めて置いてあるくらいで、雨がしのげればよいと言う程度か。
まだ馬小屋の方が藁や何やと物が多いのではないだろうか。
「この建物には魔法陣が刻印してあって、中は魔法避けは無効になっているんだよ」
兄は何度か使った事があるようで、私に説明をしてくれた。
そう、魔術儀礼が終わったので早速魔法の試し打ちをしに来たのだ。
これは珍しくない事のようで、儀礼後の恒例行事のようなものだそうだ。
手に入れた力は誰でも使ってみたいもの。
王都の人気のない土地や領地まで足を運んでで試し打ちするのもありだが、貴族の子供は大体が安全な軍部の魔法舎を借りるのだ。
馬小屋に見えたのは全て魔法舎であったようで、他の魔法舎でもそれぞれ貸し切って子供達が初めての魔法を行使しているという。
確かに耳をすませば、練兵場には似合わない子供の声が聞こえる。
初めての魔法の実践にはしゃいでいるのだろう。
かく言う私もそのひとりとなるのである。
「シャルロッテは魔法師になる訳ではないから、専用の杖を作る事はないよ」
ルドルフがそう言いながら合図をすると、侍従のデニスが手にした横長の鞄を開けた。
それは上下に開いて、中には天鵞絨の内張りに鎮座した装飾された杖が入っていた。
緻密な細工が彫り込まれ、磨かれたその表皮は美しい光沢を放っている。
「これはエーベルハルト侯爵家に伝わる火属性の修練用の杖だよ。魔術儀礼の時にゲオルグ様がおっしゃったように炎竜が住む火山を護る我が家は、火の魔法の使い手を多く輩出しているからね。何人もの一族の子供がこの杖を使ったそうだ」
兄は大事そうに杖を手に取ると私に渡した。
彼は杖を見ているようで、その実、杖に刻まれた歴史とそれを護らねばならない自分の立場に思いを馳せているような遠い目をしていた。
きっと、兄も魔術儀礼の後に代々伝わる杖の一本とその由来を聞いたのに違いあるまい。
「この杖は七竈の枝から切り出されたものだよ。この木は七度かまどに火をくべても燃えないと言われて生命力と成功を司るそうだ」
「生命力と成功……」
縁起物の木ということだろうか。
私はその杖をじっと眺めていると兄は気にせず説明を続けてくれた。
「一説によるとローワンは死者に生命を与える事も出来たそうだよ。まあそんなことが出来るのは大昔の賢者様くらいだろうけどね」
死者蘇生。
御伽噺なのだろうけれど、賢者と呼ばれる子供がいる現在それを信じる人間もいるかもしれない。
アニカ・シュヴァルツは、魔法の才能がある事とは別に過去の賢者の逸話のお陰で、あのような権勢をふるっていられるのではないか。
権力者の夢って最終的に不老不死というし、懇意にしていれば死んでも蘇らせてくれると思う輩もいるだろう。
それが不可能であったとしても、出来るかもしれないという希望は死が近い人間には甘い果実のようなものなのではないだろうか。




