266話 物騒です
貴賓室に戻ると、アリッサは途端に笑い転げる。
「あー、苦しかった! もう! シャルロッテ様、外で笑わせないで下さい。私をどうこう出来る人間がいると思っているんですか?」
どうやら先程の私の心配が、ツボにはまったらしい。
「でも、あなただって女性なのですから……」
「はは、確かに見た目はか弱い修道女さんですもんね。はー、面白かった」
人差し指で滲む涙を拭いながら、アリッサはやっと落ち着いたようだ。
どうしてそこまで笑えるのかわからないのだけど、彼女の情緒は変化のせいか少々振り切れているのだ。
ドリスもそういう所があった気がする。
学者がいうには脆弱な人間が神話の生き物に変化したせいで、万能感が彼女達を満たしているのではないかといっていた。
そのせいで感受性や色々なものが変容してしまったのだと。
宝くじで大金を当てた人の性格が変わるみたいなものかしら?
私の乏しい想像力では、なかなかいい例えが出て来なかった。
「殺人鬼の噂はそんなに流れているの?」
「隣人が訳の分からない死に方をしているんですから、王都の人には切実ですね。私も先生のとこのおばさんに聞いたのが最初だけど」
先生のとこのおばさんというのは、ギルベルトの研究棟の使用人の婦人の事である。
散らかった学者の部屋の掃除の手伝いをした私と王子に、ご褒美のお菓子をくれた彼女だ。
私の警護の合間の息抜きに学者の部屋を使っているアリッサは、一緒に掃除をしたりして仲良くなったそうだ。
わざわざ休憩に学術地区まで行かなくてもと思ったが、王宮も貴族街のエーベルハルトのタウンハウスも彼女にとっては息が詰まるのだろう。
アリッサが言うには王宮の警備は万全の上、ナハディガルが歌って歩いた後は、その言祝ぎの効果かキラキラと輝いて見えるので悪いモノは中々入れないだろうという。
王宮のそこかしこでナハディガルが歌うのには、意味があったことなのだ。
彼女が、あの人の歌は口から星の光が零れているようだと詩的に表現したのが印象深かった。
その感想に彼女の娘らしさが伺える。
そんな訳で私が王宮に詰めている分には、元々ラーラ達護衛官も揃っている。
入り込めるのは神話の生物くらいだろうけれど、そうそう出るものではないだろうしクロちゃんとビーちゃんもいるのだ。
私の護衛は充分なので、アリッサには好きに過ごしてもらっている。
黒山羊様の厚意とはいえ、私の為に1人の女性の生き方を変えてしまったようで彼女には少しでも気が楽なように過ごして欲しいのだ。
それでも一日の大半は私を陰から見守ってくれているし、生来の彼女の真面目さが伺えた。
王宮から一歩出れば黒衣の貞女は、その衣装を脱いでどこにでもいるひとりの町娘に戻る。
町を歩いて学者の部屋で一休みして戻る生活は、アリッサにとってはいい息抜きになっているようだし、王宮と研究室を往復するだけのギルベルトにとってはいい刺激になるだろう。
「アリッサにお忍びの王都の街歩きの案内をしてもらおうと思っていたのに、物騒な話が持ち上がって残念だわ」
前に王子達と学術地区で少し散歩したが、アリッサがついているなら城下町の散歩も可能なのだ。
下町に出入りもしているのだし、騎士達よりも詳しいだろう。
安全性も考えると彼女以上の案内人はいない。
馬車から見掛けた屋台の食べ物や、小物を並べた雑貨屋など覗いてみたかったので残念だ。
「犯人が見つかるまではお預けですね。シャルロッテ様はともかくハイデマリー様なんて格好の餌食ですから」
突然出てきた友達の名前に私は驚いた。
「え? どういうこと?」
「殺人鬼の被害者は皆さん、年頃の容姿の目立つ女性だという事ですから」
なるほど、私は年頃と言うには少々子供らしすぎる体型である。
反対にハイデマリーは年齢よりも成熟して見えるので、その条件では筆頭に名前が出てもおかしくはない。
学院に入った事もあり、長期休み以外は王都のタウンハウスに滞在しているはずだ。
彼女は高慢の種の件で十分過ぎる程傷ついたのだから、これ以上辛い目にはあって欲しくない。
「まあ、貴族が狙われた話は聞かないので大丈夫だと思いたいですね。それにしても大小の噛み跡なんて変な話ですよね」
「大小の?」
私が聞き返すと、アリッサはしまったという顔をした。
「詳しい事は口止めされてたんだった! けど言っちゃったもんは仕方ないですよね? 噛み跡は色んな大きさで1人の人間だけのものじゃないんですって」
何人かの人間に噛み殺されたとでもいうの?
犯人は複数犯だなんて、そんな常軌を逸した事が王都で起きているというの?
目撃されたという大男はその一人にすぎないのか。
「ただでさえ物騒な話なのに、これが広まると騒ぎになるからあんまり外に出せない話なんですって」
王立見聞隊か、詩人から仕入れた情報なのだろうか?
アリッサは内緒話でもするように話してくれたが、私の不安は強まっていた。
早いうちにハイデマリーとコリンナに声をかけて、用心するよう話した方がいいだろう。
「その話、もう少し詳しく調べられるかしら?」
私の言葉にアリッサがニヤリと笑う。
「探偵ごっこですか? いいですね。全ては黒山羊様の導きのままに」
アリッサは不遜という言葉がピッタリの表情で、教えこまれた修道女の礼を深々ととってみせた。




