262話 トマトです
彼自身にとって、その外見も扱う商品のひとつなのかもしれない。
ここが会場の外で良かった。
女性が多い場所であったら、きっと彼の色気にやられる貴婦人が続出したことだろう。
さきほどの聖堂内でそういう騒動が起きたとは聞いていないので、場を弁えることは出来るのだろう。
「近年、リーベスヴィッセン王国では新しい品々が発明されていると各国の注目の的ですからね。私も商売人として出向いたわけです。そのお陰で今日はこんな素晴らしいデザインの衣装にお目にかかることが出来た」
商人はお世辞ではなく、手放しに私の装束を褒めた。
そう、リーベスヴィッセン王国はアニカ・シュヴァルツの生み出す商品と私が仔山羊基金で扱う商品で流通がにぎわっているのだ。
人の手に渡ればそこからまた工夫がされ、新しい物が生まれる。
金が動けば人も動く。
商人達にとっては万一その品が手に入らなくとも、その形状やアイデアだけでも自国に持って帰れば何かしらの形になるのである。
そういう事もあって、にわかに他国から足を運ぶ人々が増えたという話を聞いた覚えがある。
それを踏まえればガルシアが商売熱心なアニカ・シュヴァルツと先ほど一緒にいたのは、おかしな話ではない。
まあ、私とこの商人が一緒にいるところは面白く思わないだろうから、ガルシアもわかっていて彼女が王宮にいないこの時間を狙って私に話しかけたのだろう。
一介の商人が貴族と知り合うにはその土地の商会を通したり、心付けを渡したりと手間も時間もかかるが、王宮に出入りが出来て尚且つ自国の爵位があるのならばそれは短縮出来るのだ。
だからこそわざわざ爵位を名乗ったのだろう。
「遠い国の客人にお気に召したようでよろしかったですわ」
「ファッションを中心に活躍する賢者様を差し置いて、聖女様がこれほど斬新で麗しい装束を用意するとはどなたも想像出来なかったようでご婦人方の噂となっておりましたよ」
祝会は子供達の為のものなのでそれを待つ間、付き添いの家族は別ホールで軽食を饗されて雑談をして待つのだ。
ガルシアが言うのはそちらの間での話のようだ。
私はほっと胸をなでおろす。
アデリアのデザインが報われて良かった。
ハプニングのせいで台無しにしてしまうには惜しいデザインなのだもの。
男装が令嬢の間で流行してはなんだが、さすがにそこは真似しないと信じよう……。
それにしてもガルシアは見事な赤毛だ。
ラーラの髪は茶色に赤が入った赤銅色といっていいが、彼の髪はなんと例えるのが良いだろう。
血の様と表現するのは物騒だ。
赤ワイン?いやそれよりは明るいか。
例えるなら太陽をいっぱい浴びて栄養を蓄えた赤い実。
真夏に頬張る酸味と旨味。
そんな想像を巡らしているうちに、つい私は言ってしまった。
「ガルシア様の髪は、トマトの様に赤いのね」
思わずこぼれた私の感想に、彼の饒舌な口は沈黙し目が一瞬大きく見開いた気がした。
もしかして、野菜に例えるのは失礼だったかも?
私が戸惑っていると、ガルシアは次には大きな声で笑い出した。
「トマト! トマトね。はは、いいじゃないか。中々子供らしくて好ましい発想ですね。トマトは狼の桃と言われているのですよ。聖女様も狼には気をつけて」
そう早口で言うと、まるで毒気が抜けたかように滲み出ていた色気も失せて、そのまま足早に去っていってしまった。
ナハディガルが私の手をハンカチで拭いてから、両の手で包む。
「良く知りもしない者に、姫の手を触れさせるなどこのナハディガル不覚をとりました」
「外国ではこちらの常識が通じない事もある事だし、大目にみて差しあげましょう? もう少しお話をしてみたかったのだけれど、急いで行ってしまわれるなんてどうかされたのかしら?」
私の言葉に、ナハディガルも考え込む素振りをみせた。
「確かに名乗ってすぐ去るのもおかしなものですね。もっと商売の話をしてきてもおかしくない場面でしたが。用事か何かを思い出したのかもしれませんね」
そう、あのような突飛な演出をして挨拶をする人間が名乗りと少々の会話だけで満足するのだろうか?
出会って早々、令嬢に商売の話を持ち掛けるのは無作法であるがわざわざ他国まで足を運ぶ商人だ。
その話術で小娘などどうとでも丸めこめることも出来るだろうし、商売を持ち掛けることを匂わすくらいはしてもおかしくはない。
まさかトマトと言われて傷付いたとか?
「もしかして男性を野菜に例えるのは良くなかった? 私、失礼なことをしてしまったかしら?」
思い当たるのはそれしかない。
私がそう問うと、詩人は少し顔を赤らめて説明をしてくれた。
「桜姫から頂ける言葉になんの責がありましょうや。ただ、少々姫君にするには下賤な話なのですが、トマトというのは食べると狼の様に欲情すると昔は信じられておりまして。あ! あくまで俗世の迷信ですよ? 催淫作用があると信じられた時代もありますので、淑女が男性の例えで出すにはいささか配慮が必要かと。でもあの優男には、まさにぴったりだったと思いますよ?」
うーん、だとするとあの時、私は「あなたの色気に参ってしまったの」と告白した感じに取られたのかしら?
それにしてはなんだか違う反応にも思えたけれど、とりあえずセクシャリティに関する単語ととられる言葉を口にしたのは良くなかった。
「ありがとうナハディガル。勉強になったわ」
さすが詩人だけあって言葉に詳しい。
ナハディガルの方がよっぽど優男に見えるのだが、そこは突っ込まないでおこう。
ガルシアは女事においては百戦錬磨な感じであったから、子供にトマトと表されて傷つくものでもないだろう。
きっと、こんな子供が意味深な言葉を言ったから驚いたのだ。
社交シーズンは長いのだから、また会う時もあるだろう。
次の機会にはあのポルボロンや、かの国の話を聞いてみたいものである。
「そういえばアリッサの事なのですが」
手を取られて自室へ向かう途中、周りの人が途切れたところでナハディガルが切り出した。
「ここのところ見かけませんが、何かありまして?」
実は私のお付きとなるはずであったアリッサはアインホルン伯爵家で侍女教育を受けていたのだが、下町生活が長いせいでそれはもうヨゼフィーネ夫人に苦労を掛けたのだ。
本人は教育のし甲斐があるとはいってはくれていたものの、それを素直に受け取るには無理があるほどであった。
結局紆余曲折を経て、王宮に上がれるようになったのだが、それまでに一筋縄ではいかなかった。




