261話 商人です
ともかく主にコリンナが仲介として私に挨拶を希望する子供は多かった。
彼女の顔の広さに驚かされることになる。
ハイデマリーとの友情は彼女の名誉の回復の件もあり大っぴらに喧伝されたものだが、コリンナについてはそんなことをせずとも、すっかり私の親しい友であると認知されているようである。
彼女程機転が利くならば、利用しようとする不埒な輩の見極めも問題ないだろう。
前の価値観を引きずった私には、この世界の善悪さえあやふやで判断が難しいので彼女にはものすごく助けられている。
無事に祝会を終えて廊下に出ると、私の足元に滑り込んで跪く男がいた。
タイミングが悪ければ、蹴飛ばしてしまうところだろう。
私は憤慨しながら、その男に文句を言った。
「いきなりこれはやめてと何度も伝えたはずです。ナハディガル」
そう、それは言わずとしれた鳥男、詩人のナハディガルである。
「祝会への出席を血の涙を流して堪えた私へ最初にかける言葉が、そんな冷ややかなものだとは! 嗚呼、つれない言葉もあなたの囀りはまるで天上の讃美歌。冷たい眼差しは風に舞う六花の煌めき」
憂いを全身で表現しながらも詩人は羽飾りの付いた帽子を揺らして顔を上げて、私のこの装束をしっかりと目に焼き付けているようだ。
この人どうしてこうなっちゃったのだろう……。
「普段とは違う装いにこの眼は幾度瞬きをした事でしょう。夜闇に浮かぶ桜の花のように凛々しいお顔もおありなのですね。大輪の黒の薔薇さえも貴女にかかれば霞んでしまう。嗚呼! その様はまるで宵闇の女王。夜の裾を彩る金糸の揺らめきに私の心は絡め取られた哀れな羽虫。後は死を待つのみばかり」
この出で立ちをじっくりと心に刻んだらしく、満足気な顔で昇天しそうな勢いである。
私達のやり取りを場外での余興かと思ったのか、ナハディガルの声につられて祝会の客がこちらへ集まって来てしまいそうだ。
大事になる前に、ここを去らないと。
会場の中から私達を見た王子が、笑いを我慢出来ないように肩を震わせ口を抑えていたのを私は見逃さなかった。
少し前までは詩人と張り合っていた王子も、今では私と詩人のやり取りを楽しむまで成長をしてしまった。
それは何だかんだ言って王子がナハディガルを信頼しているという証拠である。
子供の成長は喜ばしいことだが、この方向へは育って欲しくなかった。
それにしても王子も気付いているのなら、助けに来てくれたらいいのに!
「とりあえず立ち上がっていただけますか? 私の部屋まで付き添って下さる?」
最近、質が悪いことに詩人は私からエスコートのお願いをさせるためにワザとこういうことをするのを覚えたのだ。
私は詩人の躾けに失敗した。
泣く子供におやつで機嫌をとっていたら、泣けばおやつをもらえると学習されたようなものだ。
とりあえずこの場から立ち去るにはエスコートさせるしかない。
私はあきらめ顔で右手を差し出して、ナハディガルが取るのを待った。
すると後ろからそっと男の手が差し出されて、私の手を握る者がいた。
「ふむ、後10年も経てば私好みなのだが、まだ君は堅い蕾といったところか」
聞き覚えの無い声に驚いて、その手の主を確認した。
ナハディガルが、死にかけの金魚みたいに口をぱくぱくとさせている。
詩人の手をかすめて、私の手を取ったのは知らない男性、いや一度見かけたことはある。
大聖堂へ、アニカ・シュヴァルツと一緒に入っていった赤毛の男であった。
日に焼けて健康的で、整った顔に加えて色気を帯びている。
詩人とは別の野性味のある美形。
これはモテるだろう。
「どちら様でしたか?」
異国の人間であるのはその顔立ち、服装からも見てとれる。
無作法を咎めても仕方がないだろう。
困惑を見せないように私は彼に尋ねた。
「グローゼンハング共和国のルフィノ・ガルシア伯爵です。金が全てのあの国では、爵位はあってなきようなもの。見せびらかす装飾品のひとつと変わらないものなのですがね、伯爵位であることは他の国々では役に立ちますので」
ロンメルが商業国家から人が来ているといっていたけれど、この人の事だろうか?
彼の話では地位も名誉も金で買うものという価値観の国らしいし、ルフィノ・ガルシアの自己紹介は自嘲ともとれた。
「それを重要視する人がいらっしゃるのは確かですわ。あえて卿を名乗ってはぐらかす方もいらっしゃいますし、それぞれですわね。エーベルハルト侯爵家のシャルロッテです。外国の方とはあまり縁が無いのでいろいろなお話を聞かせていただけると嬉しいわ」
この間知り合ったハンプティダンプティのような紳士、チェルノフ卿を思い出す。
あの会話はとても楽しかった。
叶う事ならば、またあのお腹をたぷたぷ、ぷにぷにとしてみたいものだ。
「ひ、ひ、ひ、姫の手を!」
引き攣った顔で詩人が商人に抗議する。
「ああ、すみません。噂の聖女様とお話したくてつい。先程もいいましたように、私はもう少し育ってからの方が好みですので、下心など御座いません。心配無用というものです」
「正直な方ね」
つい、笑ってしまう。
「正直は美徳といいますしね? 商売人たるものいつも自分の心に正直でいたいものです。それが女性とあらばなおさらね」
そういうとガルシアは魅惑的なウインクをしてみせた。
どうやらこの男は自分の外見を熟知してそれを上手く取り扱っているようだ。




