260話 前髪です
「わざわざ感謝いたしますわ。さぞ勇気がいったでしょう?せっかくですしご一緒に少しお茶でもいかがかしら?」
あの件についてはシュヴァルツ男爵家以外の人間は黙っていても何の障りもないことだ。
口を噤む取り巻きの子供達の中で、こうやって出てくると言う事は何かしら強い気持ちを持っている事を示している。
思わずいい子ねと頭に手を伸ばしそうになったが、いち早くそれに気付いたコリンナが自分の頭を差し出してそれを阻止した。
そのまま彼女の頭を撫でる事になったが、少し不満げなその目は気軽に異性の頭を撫でるのはいけませんと、私の非常識さを咎めているようだ。
確かに初対面の男の子の頭を撫でるのはよくないか。
褒める意味もあったが、ディックの頭は巻き毛がふわふわでちょっとそれをもふっとしてみたかった下心もあったので、残念である。
「僕なんかが同席させてもらえるなんて光栄です。あの、先程の事……。アニカを止める事が出来なくて、黙って見ているだけで……。エーベルハルト侯爵のお言葉を聞いて、恥ずかしくて……」
黙っていた取り巻きが悪い訳ではないのはわかっている。
大人しそうな彼らは、状況に流されるまま何もしないだけなのだ。
長年、アニカのような存在に率いられていたら、その行動に口ごたえしようとも思わないだろう。
ましてや彼らは子供なのだ。
目に映るもの以外の世界があることも、想像出来ないのだろう。
身近の大人が導くべきなのだが、その親が子供を賢者に差し出しているのだから当てには出来ないのだ。
「自分の行動を恥入り、こうやって謝罪に来て下さるなんて中々出来ることではありませんわ」
私に怒りが無いとわかってか、ディックは少し緊張が解けたように話し出した。
「アニカは少し気が強くて気難しいとこがあるけど、悪い子じゃないんです。小さい時は引っ込み思案だったけど、今では賢者様と呼ばれてすごいし、領地を豊かにする為に必死で……。今回も友達の僕達にこんな立派な魔術儀礼の衣装を贈ってくれたし、お茶会でも僕達をそばに呼んでくれるし……」
頬を赤らめながらアニカを庇うディックを見て、紹介時にコリンナの表情が曇っていた原因がわかった。
謝罪だけならばコリンナも喜んでディックを紹介してくれただろう。
だが、彼はアニカの称賛者なのだ。
そんな人物を私に近付けるのは不本意ではあったろうが、頼まれたら付き合い上、断り切れないのもわかる。
アニカを賞賛するディックの話をコリンナは遮ろうとするが、上手くいかないようだった。
「その前髪は邪魔ではありませんの?」
私もアニカの手柄話を長々と聞かされるのは退屈であったし、つい話の腰を折ってしまった。
ふわふわ巻き毛が目を隠している。
何だかディックは誰かに似ていた。
私に前髪の事を聞かれて、彼は少し照れ臭そうに答えた。
「確かにちょっと長いですよね。でも、これはアニカに言われて。前髪は切らずにこれくらいがいいと」
アニカに言われて?
少年に前髪を伸ばさせて何かいい事があるのかしら?
部屋の隅にいる他の取り巻きの少年も少女を見るも、前髪は普通の長さで目を出している。
行儀悪いかと思ったが、彼の顔を覗き込んで目を見てみた。
実はすごい美少年でそれを隠す為かと想像したが普通の、どちらかと言えば地味な顔立ちで何故前髪で目を隠すかはわからなかった。
私の行動に驚きながらも目が合う。
「あなただけ?」
私がそう指摘した瞬間、頭から湯気が出そうなくらいディックは赤面した。
「あ、いや、はは……。あ、あまりお邪魔しては、邪魔……、いけませんね。では、僕は、この辺で。本当に今日は失礼、しました」
そうどもりながら挨拶をすると、ぴゅ〜っと足早に私達から立ち去り、祝会の参加者達にぶつかりそうになりながらそのまま扉から出て行ってしまった。
その様子にびっくりしていると、コリンナが呆れ声を出した。
「異性の頭を撫でるのも、間近で顔を覗き込むのもダメです! ディックは赤い顔が治るまで会場に戻って来ませんよきっと」
そうか、顔が近すぎたせいか。
いや、それより私の質問が少年には恥ずかしくて茹でタコの様になってしまったのかもしれない。
悪い事をした。
「そうね。でも前髪の下が気になったんだもの」
「ディックとは幼なじみなんです。謝りたいと言うので紹介しましたが、いつもあの調子でアニカは悪くないって……」
幼なじみでは余計に断れなかっただろう。
「今、気付いたんですがディックだけアニカ・シュヴァルツを呼び捨てにしてますね。他の子はアニカ様って呼んでいたはず」
コリンナが自分の発見に驚いたように呟いた。
アニカは人に、ましてや子供に名前を呼び捨てにする事を許しそうにない。
「1人だけ呼び捨てにさせたり、前髪を伸ばさせたり? 彼はアニカ様のお気に入りなのかしら?」
話していて特に利発な訳でもなかった。
ごくごく普通の少年。
貴族としては大人しすぎるくらいだろう。
失礼だが、あのアニカ・シュヴァルツの気を惹いたり、恋に堕ちる相手にも思えない。
「うーん、特別な相手には思えないですけど。実は将来の結婚相手とか? 賢者様ならもっと上を狙いそうだけど」
確かに釣り合いのとれる身分だが、王子との婚約を狙っていたようだし、彼女の相手としては色々と腑に落ちない。
「そういえば、私何だかディック様に見覚えがあるのだけど、私と会うのは初めてよね?」
コリンナにそう尋ねると、彼女は少し考えてから手をぽんと叩いた。
「ディックとは初めてのはずですよ。だからこそ私に紹介を頼んだのだし。ただ、彼に似てますよね。ほら、ウェルナー男爵領へ行った時に護衛に付いていたガイトナー様」
そう言われて、私も納得した。
髪の色が違うので思い出しもしなかったが、あの巻き毛の具合と前髪は王立見聞隊のマリウス・ガイトナーっぽい。
色が茶色であれば彼の兄弟に見えるだろう。
「なるほど! 確かに彼を子供にしたらディック様みたいでしょうね。マリウス様と親戚とかかしら?」
「王立見聞隊の隊員が身内にいたら自慢しそうな気がしますけど、聞いた事はないですね」
マリウスに該当しそうな人間もディックの周りにはいなそうであった。
情報通のコリンナが言うのだから間違いないだろう。
誰に似ていたか答えを得られてスッキリとはしたが、何故アニカがディックの前髪を伸ばさせているのかは、私にはさっぱり見当がつかなかった。




