254話 主役です
長椅子の後列に行くほど、爵位も下がる。
参加者で一番身分の高いのはエーベルハルト侯爵家であり、一番低いのはシュヴァルツ男爵家であった。
大聖堂の扉の前で起きた出来事に、シュヴァルツ男爵夫妻は今更ながら震え上がっていた。
こうして目に見える着席順の序列がなくとも、十分に理解していたはずだ。
何故、あの時侯爵令嬢に非があるような事を言ってしまったのか。
何故、あの時侯爵家へあのような口をきいてしまったのか。
娘が賢者と持て囃されて図に乗ってしまった?
いや、違う。
庇わなくてはと思ったのだ。
侯爵令嬢の話を聞けば、誰しも悪いのはアニカだとわかるだろう。
なのに諫めもせず、叱咤もせず自分は何をしていたのか。
頭の芯ががぼんやりしていた。
娘の望むようにしなければと、あの時は思ったのだ。
きついお咎めがあるだろうか?
娘は軍部になくてはならない人間だ。
きっと彼らが、上手く取りなしてくれるはず。
彼女の発案した商品を扱う大手のハインミュラー商会もついている。
きっと大丈夫だ。
シュヴァルツ男爵はそう自分に言い聞かせて心の平穏を保とうとしたが、それは上手くいかなかった。
愛娘のアニカ。
優しい彼女はある日、変わってしまった。
その変わりように戸惑ったが、変わってしまった愛娘は領地を豊かにし、賢者と呼ばれ誉れを男爵家にもたらした。
落ちぶれたシュヴァルツ男爵家へ富と名誉をもたらした天使なのだ。
今も昔も同じように愛していると自分に言い聞かせるかのように何度も心の中で繰り返して、男爵は両の手を握りしめた。
地母神像の前で祭司長が聖句を呟く。
長い聖句が終わり、皆でいつもの言葉で締める。
「黒山羊様の導きのままに」
頭を項垂れ祈りを終えると、魔術儀礼の開始だ。
「では若人達に激励と祝福を」
その言葉と共に聖堂内には花びらが撒かれ、祭司達が掲げる銀細工の振り香炉が煙を燻らせる。
落ちる花びらは地へ、燻る煙は天へ祈りを届けるのだ。
祭司長の言葉に次いで、副祭司長が名簿から名前を読み上げる。
「アニカ・シュヴァルツ様! 前へ!」
名前を呼ばれた少女は、先ほどまでの騒ぎなどどこ吹く風と誇らしげに長椅子から立ち上がった。
可愛らしい顔に茶色の髪をツインテールに結び、緩やかな縦ロールをかけている。
黒の短いマントにミニ丈のドレス。
小悪魔というのが相応しい出で立ちである。
彼女は王国一の魔力を誇り魔法の才を欲しいままにしているのに何故今更、魔術儀礼という子供の魔法適正と魔法回路を通す堅苦しい儀式に参加しているのか。
それは参加者全員が、不思議に思う事であった。
今更。
全くそうである。
子供のお披露目会の様なこの場に出た理由は、幾つか挙げられる。
例えば両親が一生に一度の子供のハレの日である魔術儀礼に出席してくれと懇願したとか、王都学院への入学前に同級生にどんな子供がいるか確認して誰と交流を深めるか見極める為であるとか、嫌いな令嬢に嫌がらせをする為であるとか。
だがアニカには、もっと切実な問題があった。
最近、軍部がアニカの交友費を渋るようになって来たのだ。
賢者の名を持つのならば、軍部の象徴としてそれなりに身なりを整えるようにと支度金が出ていたのだが、平穏な時代ではそれにも限りがある。
平和な時代に軍に予算をふんだんに割く国はない。
国を守る力を示すには、戦争をするのが最適なのだ。
かと言って軍が独断で周辺諸国に戦を仕掛ける訳にもいかないし、戦争を仕掛ける正当な理由も現在は見当たらない。
軍部の地位向上の為に迎えたはずの子供は、評判も芳しくない上に金が掛かりすぎときてはいつまでも甘やかす訳にはいかないのだ。
彼女が王太子の婚約者に収まってくれるのを期待したけれど、それも当てが外れてしまった。
援助が渋るのも仕方がないと言えよう。
つまるところアニカは金策を必要としていた。
軍部のツケで夜遊び回るのも出来なくなり、取り巻きも減っていく。
こんな何も無い退屈な世界で、男達にかしづかれちやほやされながら酒を飲んで騒ぐ事だけがアニカの慰めであった。
飲むといっても体は子供なので、まだ前の大人であった時のようには飲めない。
まあ、ホストに貢いでいた事を考えるとマシな生活であった。
あの日も運転をしながらスマホで同伴デートの時間を確認していただけなのに、くたびれたおばさんが道で立ち止まったりしたせいで酷い目にあったのだ。
あのせいで、自分の人生はめちゃくちゃになってしまった。
思い返す度に腸が煮えくり返るようだった。
そう、駄目になった人生を捨てて新しくやり直したのだ。
せっかく新しい世界に来たのだから、やりたいようにするのだ。
それには先立つものが必要で、今までもどうにか頭を捻って現代知識を金に換えてきた。
そして魔術儀礼を前に、新しい商売のひとつとしてゴシックロリータを流行らせる事を思いついたのだ。
何年か前にミニスカートや肌を出したトップスをハインミュラー商会で売り出した時は爆発的には売れなかったけれど、子供が着るゴスロリなら可愛くて金になるだろう。
ハイデマリーが2年前に魔術儀礼でローブを流行らせたように子供服を宣伝するには、ここはうってつけの場所なのだ。
こうして取り巻きの子供も使って、自分の考えたファッションを流行らせて自分のデザイナーとしての才能も世に知らしめるのだ。
その為にも新進気鋭のデザイナーの服を身にまとった邪魔な侯爵令嬢には出て行ってもらった。
注目されるのは自分だけでいい。
私はこの古臭い世界の主役になるのだ。
何者にだってなれるはず。
黒い宝石のはまった指輪を撫でながら、そんな事をアニカは考えていた。




