250話 茶番です
「私が白粉を持つシュヴァルツ男爵家の小間使いにぶつかったそうですが、それが本当なら申し訳ありませんでしたわ。ええ、大聖堂に入るところで何故、私からぶつかったというのに背中が汚れるなんて事になるか、まったく理解は出来ませんがそちらの言い分だとそうなるようですわね。きっと私が後ろ向きにでも歩いていたのでしょう」
私はダンスのターンでもするような勢いで、観衆に背を向けてみせた。
白い粉で汚れたドレスの背を見せると、ハッと息を飲む声がそこら中で沸く。
美しいアデリナの黒装束が、白い粉にまみれているのだ。
私の説明を聞いて、アニカの喚きを鵜呑みにするほど馬鹿な人はここにはいないと信じたい。
被害者が誰かは、これで明確になっただろう。
「アニカ様はいつも美しい白い素肌をしていらっしゃいますね。何か特別なお手入れでもされているのでしょうか?」
私のにこやかに紡がれた突然の褒め言葉に少し男爵令嬢は怯んだが、気を良くしたのか返事をくれる。
「特別なことなんてなにもしていないわ。私には化粧なんて必要ないもの」
そう言いながらも彼女は目元や口元は派手にメイクをしているのだが、肌を隠す白粉をしていないのは確かなので質問に対しては嘘ではない。
私は天然を装って、不思議そうに言ってみせた。
「それは素晴らしいですね。白粉といえば、見ればアニカ様はその美しい肌に白粉をしてないようですし、まさか男爵夫人が小間使いに白粉を持たせてこの場に呼びつけるほどお化粧直しに逼迫していたのでしょうか? 人目がある場所でのお化粧直しは、はしたないので面倒でも控えの間に足を運ぶ方がよろしいかと存じますよ。アニカさんは自分の小間使いだとおっしゃってらっしゃいましたけど、子供の小間使いに母親の白粉を持たせる程、シュバルツ男爵家は使用人が足りていらっしゃらないのかしら?」
そこまで言うと母が言い過ぎですと小声で窘めてきた。
母が言ったほどではないと思うのだけれど、その疑問のお陰か私は本当にきょとんとした顔になっていたようで、周囲からは真実私が理解出来ないので質問をしたというようにとられたようだ。
私の投げかけた質問により、男爵家への聴衆の視線も変わっていく。
前の世界を思うと時代錯誤な話であるが、貴族どころか庶民でも人前で化粧を直すのは、娼婦くらいであるとされているので失礼といえば失礼かもしれない。
私の嫌味が通じたのか、私の様な子供に常識を語られたせいか男爵夫妻が、ぷるぷると震えだした。
いけない、やはり母のいうようにやりすぎたのかしら?
つい、興が乗ってしまって言わなくてもいいことまで言ってしまった。
「そこのアニカ嬢の周りの子供達。全てを見ていたね? 幼いうちから謀略に加担してもなにもいいことはあるまい。自分の置かれた立場を自分自身で良く考えなさい。貴族としてだけでなく人として自身に恥ずべき事はしてはいけないよ」
父が優しく諭すように言うと、お揃いのゴスロリの取り巻き達は自然にアニカから一歩離れた。
まるでスポットライトを浴びたかの様に、アニカだけがその場で1人浮き上がる。
気まずい雰囲気が漂う中、それを破る人間がいた。
「あ! シャルロッテ様。ご機嫌いかがですか? 今日は良い天気になって何よりですねー!」
そう、元気よくこの激震地に飛び込んで来たのは、コリンナである。
なんという勇者であろうか。
コリンナは周りを見回してからすっと息を吸うといつもより滑舌良く、遠くまで響くように話し出した。
「まあ! アニカ・シュヴァルツ様! また懲りずにシャルロッテ様に嫌がらせをしているのですか? フリードリヒ王太子殿下に振られたのはお気の毒ですけど、一体何度目ですか? いい加減、逆恨みが過ぎるというものですよ? あなたが選ばれなかったのをシャルロッテ様のせいにするのは、そろそろおやめになった方がいいです」
一瞬で重苦しかった場の空気が変わる。
突然の部外者であるコリンナのこの言葉は、何もかもを変えたようだ。
侯爵家と男爵家の確執にまでなりえたこの場を、1人の嫉妬に狂う憐れな少女の愚かしい行動にしてしまった。
家同士の争いに巻き込まれたくもない観客達は皆、歓迎してこのコリンナの話に乗ることにした、いや、乗らざるを得ないほど納得できる材料であったのだ。
アニカは顔を真っ赤にして震えて、周囲にはクスクスと笑い声が広がり、彼女を気の毒そうに見つめる。
中には、「いくら振られたと言ってこれはやりすぎですよ」と、我が物顔で進言するものまで何人も現れる。
「振られてなんていないし! あんな子供、私に相応しくないわ!」
不敬な捨て台詞らしきものをアニカは言い捨てると、周囲を無視して大聖堂へ入っていった。
その様は図らずも主役であったアニカまでも、コリンナの話に乗ってしまった形になっていた。
こうして幕が引かれ、この舞台は終わったのだ。




