コリンナ嬢と冒険譚2
光の届かない裏路地に、身体中に無数の何かの噛み跡をつけて倒れていた女性。
無惨にも肉は引きちぎられ、左手と右肩に特に深い噛み跡が残されていた。
それは動物の噛み跡では無く、人の歯による噛み跡。
顔だけが綺麗なまま死化粧のように血で彩られたそれは、まるで屠殺場の眠れる美女の様であった。
無数の人の口を持つ生き物に集られ噛み殺されたような、余りにも凄惨なその死体について一般的な新聞社はその犯行をぼかしていた。
反対に大衆紙はデカデカとその真実を書き立てて衝撃的な記事と仕上げていたが、読者はゴシップ記事にありがちな、いつもの誇大妄想だろうと眉に唾をつけて受け取ったせいでその事件は日常に埋もれてしまう。
人は見たいようにしか物事を見ない。
どれだけ言葉を尽くしても、無意識的に自分に反するものを受け取らないのだ。
私達が揺れる柳を怖々見ていると、巡回の衛兵が馬車に寄ってきた。
「何かご不自由なことでも?」
紋付馬車に緊張したのか、硬い声で問い掛けている。
貴族の面倒事に巻き込まれるのは嫌でも、川沿いの何も無い場所に馬車を停めているのだ、あちらも無視する訳にはいかないのだろう。
馭者と従者もなんと説明すればいいのか悩んでいるのが、私にも伝わってきた。
「衛兵様! お仕事お疲れ様です。ここにオバケが出ると聞いてきたのですが本当ですか?」
私はグレーテが止める間もなく、子供らしく声をかけた。
こちらが貴族の子供の物見遊山だとわかり、衛兵はほっと胸を撫で下ろした。
「労いありがとうございます。幽霊が出るかはわかりませんが、痛ましい事件の被害者の家なのは確かですよ」
そう言葉に出されると、申し訳ない気持ちがわいてきた。
自分が浮かれ気分で被害者の気持ちを考えずに、こんなところまで押し掛けて……。
乏しい薄明かりの夜道、仕事を終えて足早に帰る彼女に何がおこったのか。
噂話が途端に色を帯び、現実にあった事だと実感を持った事実として浮き上がる。
衛兵は少し困ったような、苦笑いのような顔をした。
「最近は日が暮れてからお嬢様の様に見物に来る方も増えて、夜の巡回を増やしているんですよ。何でもない一軒家だと思うのですが、やはり被害者の無念が事件を風化させないように人を呼ぶのですかね」
衛兵の言葉に、私は震え上がってしまう。
柳の葉のしなる音に紛れて「犯人を見つけて」と、か細い声まで聞こえてきそうだ。
「当時の事を、あなたはご存知なのですか?」
自分の想像に怖くなって黙ってしまった私の代わりに、グレーテが質問してくれた。
衛兵は首を横に振る。
「いや、被害者の女性とはこうやって巡回中顔を合わせたら挨拶するくらいで、さほど面識はないのです」
「そうですか、それにしてもこんな田舎町で恐ろしい事件が起こるなんて住民の皆様も災難でしたね」
「災難といえば、仕立て屋に注文した貴族もそうですね。取り調べは聞き取りくらいでしたが、自分が急がせたせいかと思うと枕を高くして眠れませんからね」
その話に私の好奇心が疼いてしまう。
先程の反省はどこかにいってしまったよう。
「まあ、そのお気の毒な方は一体どちらの方なのですか? 地元の伯爵家の者としてお見舞いをお出ししないと」
最もらしい理由を付けて問いかけると、簡単に答えは返ってきた。
「ああ、賢者様の所のお客様でしたよ。他国の貴族だそうで、聞き取りの後には問題なくすぐにこちらを去ったようですので、ご心配なされませんよう」
小さいのに見舞いまで気の回る子供だと衛兵は感心したようで、安心するよう何度も私に頷いてみせた。
アニカ・シュヴァルツの客?
ゴシップ誌にも書かれていなかった事だ。
何かきな臭い感じがする。
それは、私がアニカ・シュヴァルツを嫌っているから?
いいや、それだけでは無い。
ハイデマリー様とシャルロッテ様を襲った妖虫。
術師もそれを依頼した人間もまだ見つかっていないが、もしあの2人が精神に異常を来たしたり、令嬢にあるまじき行いをしたら得するのは誰か。
それはアニカ・シュヴァルツである。
あの頃は彼女の領地を中心に、アニカを王太子殿下の婚約者へという声が高まっていたのは私も知っているもの。
地元から王太子妃が出れば繁栄は約束されたもの同然だからであるが、それは王都の周りの街にも飛び火していたという。
現にシャルロッテ様の侍女であるソフィアも、こことは反対側のネルケの街でそう聞いたと話していた。
シャルロッテ様のようにどこかの領地を救けたわけでもないのに、関係の無い土地でそんな話が出るのはおかしくはない?
彼女を擁する軍部か、その発案を商品化している商会が動いたに違いない。
私はグレースと衛兵が世間話をしているのを聞きながら、件の家へ目をやった。
そこに、窓にふわりと若い女性が現れる。
その顔は青白く、窓に押し当てられた手は血で染まりこちらに何かを訴えている。
パクパクと口を動かしているが、何を言っているかわからない。
「きゃああああああ!!!」
私は血の気が引くのと同時に、思ってもみないほど大きな声で悲鳴を上げた。
私の悲鳴に驚いて衛兵は辺りを警戒し、グレーテは私を体で隠す様に前に出る。
あんなに何かを訴えているのに、皆には見えないようだ。
何故、みんなあれに気付かないの?
こちらを向いて助けを求めているじゃない。
「ああ! 窓に! 窓に!」
私はそういって、それがいる窓を指差した。




