237話 少女です ※末尾に名前メモ4掲載
「話が違うじゃない!」
怒りに任せて、少女は床に花瓶を叩きつける。
大きな音を立ててそれは割れると、虚ろな目の使用人がのろのろと出てきて掃除を始めた。
「何が湯沸かし談話室よ! すっかり王都の皆はあの女の用意した足湯なんかに踊らされちゃって。大体、蜘蛛女はどうなったの? あんたの話じゃ、あの村にあいつを向かわせれば毒牙にかかるとか言ってたくせに、結局黒山羊信者が増えただけじゃない!」
少女に怒鳴りつけられた青年は、やれやれと両手を天に向けて見せる。
浅黒い肌に美しい顔立ち、深い海の様な美しい青色の瞳をした青年。
宵闇が人間になったとしたら、きっとこんな風だろう。
頭には布が巻かれて異国情緒たっぷりの装束をしている。
「途中までは、いやいや9割方は上手く行ったんだけどね。まさか御大が出てくるなんて誰も想像しないというものだよ。本当に惜しい事をした」
口では残念そうに言っているが、その楽し気な表情が裏切っている。
それが余計に、激高する少女の怒りに火をつけていた。
「こっちは正気を削ってるっていうのに、ああ、もうなんなのよ一体。忌々しいったらありゃしない」
ガラスのクズ石で飾られた、色付けされた綺麗な色に染まった爪をガジガジと少女は噛んだ。
「それ辞めた方がいいよ。爪の形が悪くなっては令嬢として失格だ。失った正気といってもほんの少しだし、君には身代わりがいるんだから気にすることはないじゃないか」
「その身代わりが、もう使い物にならなくなりそうだから焦ってるんじゃないの!」
ベッドには、やつれた少女が寝かされている。
その部屋には二人の少女が存在した。
美しく着飾り、誰もが可愛いと称するだろうが外見の怒りに任せて感情を爆発させている少女。
やせ細り、自我があるのかないのかもわからないような表情で横になっている儚そうな少女。
どちらも首と指には黒い石のお揃いのアクセサリーを付けている。
髪の色は茶色で瞳は緑色。
顔立ちはまるで違うが、人間を表す記号としては良く似ている二人だった。
もし、人とは違う種族が存在したらこの2人を同じ人物だと思う事だろう。
同じ模様の牛を、人が見分けるには難しいように。
「大体、なんで生まれた時からこんなに差がついてるの? お陰で私は面倒くさいことばかりだわ」
「せっかくこの国で考えうる最高の血筋と劇的な環境を用意してあげたのに、それを嫌がったのは君だろ? これでも譲歩してあげてるのに」
「あんな生活、嫌に決まってるでしょ! ああ、せめてこのアニカが侯爵なり伯爵だったら良かったのに。冴えない田舎の男爵の娘なんて本当についてないわ」
「身代わりが見つかっただけ良しとしなよ。僕らはこの箱庭に入り込んだ害虫なんだから、それこそ黒山羊に見つかってみな。君は目を潰されて鼻を削がれて舌を抜かれた上で、手も足もちょん切られて芋虫にされるんじゃないかな」
青年は美しい顔をニヤァと歪ませて、自分の想像に震える。
それは痛ましい想像に怯えたのではなく、愉しくて震えるのだ。
「だからこんなにコソコソやってるんじゃない。ああ、もう。妖虫のお陰で随分持ってかれたのが痛いわ。便利な目も無くなちゃったしホントにムカつく」
「君は今や賢者として身分も確立したし、文句を言ってくる輩もいないんだ。人生を楽しめばいいじゃないか」
「そもそもそれよ! 何で私が聖女じゃないの? 賢者なんて爺の称号かなんかじゃない!」
「それは偏見が過ぎるというものだよ。大体君は教会に通わないからなあ。我慢して僕の言う通りにしていたら聖女も君だったさ」
「だから今回は言うことを聞いたのに、この様は何って言っているんでしょ! あの女を聖女から引きづり下ろして蜘蛛女にしちゃえばいいってあんたが言ったのよ!」
話が元に戻ってしまった。
「そんなに怒鳴るとこの部屋がバレちゃうよ? 術に掛かってない使用人が入ってきたらどうするんだい」
「そしたら記憶をいじればいいだけでしょ。もう、正気ばっか削られて計画は上手くいかないし何なのよ、あんた手を抜いてるんじゃないでしょうね?」
「まさか! 僕がそんな事をする様に見えるのかい? 僕のお姫様は君だけだよ」
蕩けるような甘い声の男を少女は一瞥する。
この男にお姫様にならないかと誘われてこの世界に来たというのに、最初の環境は最悪。
改善を訴えて令嬢になってはみたものの、貧乏領地で自由になる金を手に入れる為に商売に手を出さなければならなかったし苦労ばかりである。
同年代に詩人に歌われるような少女や、気高さを称えられる少女がいるなんて聞いてなかった。
それも私を引き立てるスパイスだと言いくるめられていたけれど、男の計らいで手に入れた稀代の魔力でちやほやされたのはホンの数年間だけだ。
不便な生活に堅苦しいファッション。
礼儀作法がなってないやら、貴族の自覚を持てと周りはうるさいし、そうこうしているうちに私の人生の添え物であるはずの少女が、王子の婚約者に納まり聖女になってしまった。
そもそも、何故あいつがここにいるのか。
はあ、本当に忌々しい。
いつもいつもあの女は邪魔をする。
少女はまた爪を噛んだ。
何かを燃やしたり吹き飛ばす単純な魔法は好きに使えても、人をどうこうしたり便利に使える物は魔法ではなく魔術なのだ。
使えば使うほど精神が削れ、やがては廃人になってしまう。
それを回避する為に、修行したり、邪神を信仰して力を借りたり贖罪に務めたりと地母神の裏をかくのに術師共は皆知恵を絞っている。
男がこの世界のルールを知っていて、代わりに正気を削ってくれる身代わりを用意してくれたお陰で魔術も使えるようになったが、それも身代わりを使い切るまでと制限つきだ。
遅れた文化の中で、前世の知識のある自分が主役となって好き勝手する予定のはずだったのに、面倒なことばかりである。
新しい身代わりが見つからなければ、大きな魔術の行使は出来そうにない。
少女は自分の正気を削るなんて、まっぴらごめんなのだ。
「あの女を不幸にして」
喉の奥から絞るような声で、願いを口にした。
黒い感情が少女を飲み込んでいく。
男は美しい顔を歪ませて、それは幸せそうに微笑んだ。
4章初出の名前MEMO
フランク:エーベルハルトの私設礼拝堂の聖教師
ドリス:アトラクナクア教教祖 シュピネ村村長
トビアス・フーバー子爵:シュピネ村のある土地を治める領主
ヘルゲン:フーバー子爵家の執事
エマ:フーバー子爵家の客室使用人
アリッサ:新しい村の住人
トニ:アリッサの兄
シュピネ村:フーバー子爵領 刺繍、紡績業の小さな村
ノートメアシュトラーセ:大陸最北の国 サモワール、ブリニの文化がある




