235話 贈り物です
「豊穣の母の恵みしホワイトセージ、大いなる者の鮑貝、炎をもたらす者の炭の火よ、その煙は名状し難き者の息吹となり、ここに調和を成したり」
神のその名を呼ぶような不敬を私達はしない。
土、水、火、風の神を表す言葉を混じえた聖句の後、祭祀音でむにゃむにゃと呪文を続けている。
こればかりは聞き取れないが、貝殻の上に香炉から熾火が取り出されて、ホワイトセージの束に火が入る。
少しすると、ねっとりとした煙が立ち上がってきた。
鼻をつく匂いに少し顔をしかめるが悪いものを払って浄化する為だから、きつい香りなのかもしれない。
大蒜とか匂いがすごいが吸血鬼の魔除けになっているし、悪いものが嫌がる匂いというのはありそうだ。
その煙に黒ずんだ腕輪を何度もくぐらせて呪文も終わると、美しい白銀の色に戻っていた。
まるで魔法を見ているようだ。
儀式が終わると祭司長から、私に腕輪が差し出される。
恭しくそれを受け取り、いつものように腕に通す。
私が初めて怪異に遭った翌日に買い求めたお守り。
あれから、すっかりここが定位置である。
そばで儀式を見守ったフランクは、祭司達の長であるゲオルグの儀式に感じ入ったようで頬が紅潮している。
その様子を見ると、今は聖教師であるがそのうちに祭司を目指すかもしれないと思わせた。
「銀の像と腕輪、クロ様とビー様の加護もあって黒山羊様は顕現出来たのでしょうな。簡単に奇跡は起きません。それをお忘れなきよう」
黒山羊様の降臨と聞いてフランクがギョッとしている。
驚いているのに後ろに控えたまま問い質してきたり、話に割って入らないのは真面目な彼らしい。
何も知らないフランクの前で内容を伏せて話をするのは酷な話だが、事態を知った教会側から適度な作り話が後日発表されるだろう。
蜘蛛の眷属が聖女を害したなどの物騒な話ではない、聞こえの良い物語として。
ゲオルグの諭すような口調が染み入る。
そう、いつも黒山羊様が助けてくれるとは限らないのだ。
「浄化の儀ありがとうございます。ゲオルグ様はシュピネ村に行かれるのですか?」
「黒山羊様が降臨された場所なれば、赴かない訳にはなりますまい。あの件は教会の方には?」
「いいえ、報告はまだ。でもフーバー子爵がドリスの足を見たら教会に連絡するかも知れませんわ。もしそうでなければゲオルグ様からお願いしても?」
「お任せ下され。もう少しクロ様とゆっくりしたかったのですが、私も動きませんとな。教会側は私に任せて、聖女様は旅の疲れをしっかりとることが急務ですな」
すべてを知っているのはあの場にいた者と、この祭司長だけ。
世の中には公にしていい事と悪い事があるのだ。
蜘蛛の様な人間が人を襲う信じ難い真実より、受け入れやすく整えられた話の方がいい。
この機敏なご老体は、前に来た時と同じ様に急ぎ足で去って行った。
3ヶ月後、ロンメル商会会長が侯爵家へ荷物を届けてくれた。
荷の大きさからいって、きっとみんなの足湯セットだ。
これだけの品を揃えるのに、トニも頑張ってくれたのだろう。
私はいそいそと荷を解くのを手伝い、広間に品物を並べてもらった。
注文した通りのデザインであるのを確認してみて回る。
両親の分に、ハンス爺のに、使用人用に……。
この出来ならば王子に送っても大丈夫だろう。
男の子だし青がいいかしら。
金と青のロイヤルカラーなら誰もケチをつけまい。
追加で発注しないと。
婚約者に桶を贈るのは何だか色気がないのだけど、相手は何でも手に入る身分の人間なのだから、印象に残る物の方がいいような気がするのだ。
決して私の贈り物のセンスがおばさんくさいとかでは無い。
うーん、足湯桶に若さは感じないと言われればそうなのだが……。
そんな事を考えながらひとつひとつ品物を見ていると、頼んだ覚えがないものが混じっていた。
「これは?」
「こちらは琺瑯職人からのシャルロッテ様への贈り物ですよ」
なんだろう?
近付いて見ると美術品と言って差し支えない琺瑯の壺に、何体かの磁器人形であった。
人形の方は、倒れてる旅人や仔山羊に貴族の少女、それと黒山羊様である。
「ああ、工房でも拝見しましたがやはり素晴らしい。琺瑯壺の方をまずご覧ください」
ロンメルが指し示すままに壺の絵付けを見ると、それは物語になっていた。
倒れている旅人を助ける仔山羊を連れた少女、蜘蛛に慈悲を与える黒山羊様が描かれている。
少女の髪の色はピンクと金でどうみても私である。
何故、私が壺の絵と人形になっているの?
「これは……」
「こちらは、今回の騒動を壺にしたためたそうです。巷で『シュピネ村の救済』と呼ばれるお話ですね。旅人を助けた聖女と、蜘蛛神アトラクナクアを調伏する黒山羊様を模しているそうです。今回クロ様はご一緒ではなかったようですが、象徴の為に加えたのでしょうね。こうやって人形を手前に置くことでより物語が浮き彫りになるのですよ」
そういうと、ロンメルは満足気に壺の前に磁器人形を配置してみせた。




