227話 覚悟です
朝を迎え、私達は2階でアリッサが用意した朝食を食べて帰る準備をした。
ラーラはこの村とドリスを追及したいようであったが、黒山羊様に免じてそれは諦めたようだ。
私が彼女と対面する事をことのほか嫌がったが、黒山羊様の伝言を聞くのだと言うと折れてくれた。
「前にもいったように、私はあなたの心も護りたいのです。ドリスはシャルロッテ様にとって、緩やかに回る毒のような存在だ。彼女がしでかした事を持ってしても、あなたは彼女を憎みきれないのでは無いか? どこか許そうと思ってはいませんか?」
跪いて、私の目を見ながらラーラが真剣に語りかけた。
まるで私の心を見透かすかのようだ。
そう、彼女の言う通りである。
甘ちゃんで脳天気な私は、ドリスを敵に思えないのだ。
その非道さと、私達がされそうになった事をわかっていてもなお、黒山羊様に怒られたのだからと帳消しにしたい気持ちがある。
私は自分の心に、誰かを憎んだり疎んだりすることを入れたくないのに気付いた。
幼少の頃、美しいものだけに心を向けるようマーサに育てられた。
彼女は私の目や耳から煩わしいもの全てを遮断したのだ。
そうして良くも悪くも世間知らずな私が出来上がった。
だが、ラーラの真摯な心が、それだけではいけないと教えてくれている。
目を瞑るのは、私の為に抗った2人の気持ちを裏切る事だと教えてくれた。
ラーラは、絶望の淵でも戦おうとしてくれた。
マーサは、私の為に命まで差し出そうとしたのだ。
その思いを私は受け止めて、それに相応しい行動をしなければならない。
この世には目を背けたくなる事も汚い事も山ほどある。
今の私は子供だけれど、中身は人より年輪を刻んでいるのだ。
酸いも苦いも受け入れなければならない。
私はドリスを許してはいけない。
覚悟を決めて私は階段を降りて広間へと向かった。
広間の扉を開くと、2人掛けの椅子に老人とドリスが座っていた。
痩せて萎びた老人に寄り添って、その手をドリスは握っていた。
「あら? いらっしゃい。怖がってもう会わないと思っていたわ。この人は私の夫よ。初めましてね。もう、口も聞けないので挨拶は勘弁してあげてね」
ドリスの横で朝日に眩しそうに目を細める老人は、こちらの事を気にもせず明るくなっていく外を眺めている。
「旦那様が、いらっしゃったのですね」
地下室に忍び込んだ事は、黙っていた。
彼女が夫を隠していたのは確かなのだから。
「ずっと地下室にね。でも、もういいの。隠すのも疲れちゃったし、この足では世話をするにも地下への昇り降りも大変だしね。これからはこの広間にベッドを入れてここでやっていこうかと思うの」
ドリスは、そっとスカートの裾をあげて右足を見せた。
それはだらりと垂れ下がり、変形しているように見える。
「骨をね。黒山羊様に抜かれちゃったの」
くすくすと笑っている。
まるで自分を嘲笑うかのように。
「骨を……。大丈夫なのですか?」
「ふふ、あんな事があったというのにお人よしね。そんなんじゃ、何度でも拐かされちゃうわよ」
「あなたはもう安全だと、聞き及んでおります。黒山羊様の伝言があると聞いたので来ました」
決して室内に入らず入口に立つ私を一瞥してから、ドリスは目を伏せた。
ここにいるのは、明確な被害者と加害者。
でも、どちらも夜の事については詳しく触れなかった。
自分から謝りもしなければ、こちらから謝罪を要求することもしない。
お互いがお互いを拒絶しなければいけない事実から、目を逸らしているようだ。
「伝言ね。確かに預かっているわ。もっと警戒心を持つことと、今後こんな事が無いように仔山羊をどこにでも連れていけと。後は……」
少しだけドリスが沈黙する。
「よく分からないけど、自分から見れば50年、100年は誤差みたいなもので全員子供みたいなものだから、年齢を気にするのは馬鹿げているというような事を仰っていたはず。何かしらね?」
その言葉は私にしかわからないだろう。
黒山羊様は私の事を見てくれていたのだ。
それは私が抱えていた一番大きな問題。
中身と外見の差異に伴う苦悩。
そうか、黒山羊様にしてみれば確かに馬鹿げてくだらないことだ。
人はたかだか、100年も生きずに散る生き物。
そんな短い時間の中で、年齢を理由に出会えた相手を振るいにかけるのはもったいないではないか。
私の箱庭を愛でて楽しんでね
どこかで、黒山羊様の声が聞こえたような気がした。
そう、私は黒山羊様の世界を楽しむ為に生まれたのだ。
些末な事に捕らわれず、この世界の人達と向き合って生きたい。
黙り込んだ私を見て、ドリスから話を切り出してきた。
「赦してとは言わないわ。私がした事は罰を受けるに相応しい事だもの。でも一言謝らせてね。悪かったわ」
あの時感じた、いろいろな思いが湧き上がる。
絶望や恐怖、諦めや自嘲。
そして私の中で行き場を無くした、ドリスを信じたかった気持ち。
涙声になるのを抑えて、声を絞り出す。
「私……。私はドリスさんのした事を許せないです」
はっとした表情で、ドリスは顔を上げた。
声が震える。
私は深く呼吸を一息すると、彼女の目を真っすぐに見て言葉を続ける。
「だけれど、あなたが寄る辺のない女性達を保護し、仕事を与え生きる場所を築いてきたことは、心の底から尊敬いたします。今後も無力な方々の為、お力を尽くされますように。どうかお元気で」
お辞儀をして、その場を退出する。
「もう、ここに来てはいけないわ。聖女様」
その背にドリスの声がかけられた。
バタンと扉は締まり、私はこの村を後にした。




