226話 お付きです
「お嬢様、本当にお嬢様なのですね。よくぞご無事で」
起きるなりマーサが私に抱きついて号泣してしまった。
いつも私が泣くのをマーサがなだめているのに、これでは逆である。
心配をかけて、怖い思いもさせてしまった。
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「ウェルナー男爵領に続き、護衛として不覚をとり申し訳ありません」
ラーラは私の無事を喜んだのも束の間、切腹でもしそうな勢いで謝罪した。
「あなたは悪くないわ。私が迂闊だったのです。出来たらこれからも護衛はラーラにお願いしたいの」
「有り難きお言葉、ありがとうございます。黒山羊様に賜りし刀身で、今後どのような敵にも後れをとらぬ所存です」
言っている事はわからないが、やる気が削がれた訳では無いようで安心した。
「シャルロッテ様の護衛は私がやりますから、ラーラさんはいつお辞めになっても大丈夫ですよ」
ニコニコと笑いながらアリッサが話に割り込んできた。
「たかが村娘に、何が出来るというのだ」
矜恃を逆撫でされたようで、ラーラの目が吊り上がる。
最初、アリッサの立場を説明されても、かなり懐疑的であったのだ。
つい先程、騙し討ちされたも同然であったので、それは仕方のない事であるが、彼女の変わりようと嘘をつく必要がないことから信じることにしたらしい。
黒山羊様の降臨にいあわせたのも大きいのだろう。
それでも地母神教の教会がある場所に着いたら、神の御許で嘘がない事の宣誓をするように約束をさせていた。
「私はもう、『人で無し』なので人には出来ない事が出来ますよ。力もありますし、何なら脳みそをちゅうとも出来ちゃいます」
ふざけているが、アリッサにこんなに人間味がある事に驚いてしまった。
今までの彼女はいつも投げやりで気だるげで、情に薄いイメージだったのだ。
唇を尖らしながら、茶化したようにいう姿は陽気な娘にしか見えない。
「黒山羊様の眷族と言えど、私もかの神からシャルロッテ様を守る剣として命をうけている。護衛騎士は譲る訳にいかない。そもそもそなたは、礼儀作法から始めなければお付きになる事も難しいぞ」
騎士としては優秀だが、ラーラ自体はそこほど礼儀正しいとは言えない気がするのだが、それは黙っておいた。
「えー! シャルロッテ様、私、このままでは駄目なの?」
喋っているうちに緊張がほぐれたのか、すっかりくだけだ言葉遣いになっているが、本人は気付いてないだろう。
これは確かに教師が必要だ。
「そうね。私と行動するならそれなりの礼儀作法を学ぶ方が、穏便に過ごせるとは思うわ」
作法が出来なければ王宮には上がれないし、それよりも周りが難色を示すのは間違いない。
貴族社会に置いてマナーは大事なものである。
恥をかく前に知るべき事は学んでおいた方がいい。
「そなたは神話生物などの我々の常識外のモノと対峙する時に、真価が発揮されるのであろう。だが、影としてシャルロッテ様を支えるにもそれなりの知識はいる」
真剣な眼差しで、ラーラはアリッサを値踏みする。
「シャルロッテ様、彼女は一旦アインホルン殿に預けましょう」
「ギル様に?」
「ええ、現在アインホルン殿は王立見聞隊の顧問でもありますし、神話生物に抵抗のない方です。アリッサの後見として相応しく思います。何より町娘に礼儀作法を教えるのにアインホルン夫人を置いて、相応しい方は他にないでしょう」
確かにラーラの言う通りだ。
礼儀作法の教師を雇っても、庶民と軽んじてしっかりと教育してくれるとは思えない。
アリッサを馬鹿にするだけして、満足に教えず教養が身につかなければ町娘には無理なのですと出自を貶して開き直るまで目に見える。
そんな事になれば、それこそ彼女に脳みそをちゅうされかねないではないか。
マーサに教育を頼むことも出来るが、今回の事で言えば被害者と加害者だ。
いくらアリッサが黒山羊様の眷族になったからといって2人きりになれば、警戒しない訳はない。
表向きは平気そうにしていても無意識で緊張しては病気にもなりかねないだろう。
将来的には考えても良いが、生々しい記憶が残っている間は当分無理だと思っていい。
「確かにそうですね。ギル様にお願いしてみましょうか」
「なになに? 私の話? ギル様とやらのところで行儀見習いをすればいいの?」
アリッサは興味津津である。
「ギル様はこの冬の酷寒をいち早く察知した偉い学者様です。あちらの都合が良ければあなたがお世話になることになるわ」
「あー! どこかで聞いたと思ったけど、冬越しの学者さんね! 街でもすごい先生が今まで隠れてたなんて言われてたわ。お陰で食糧は配布されたし、みんなアインホルン先生には感謝しているの」
その言葉に、私は胸が詰まる思いがした。
国王も領主も皆、学者に感謝し謝辞を送った。
土地を、領民を治める者として、その警鐘は天啓にも似たありがたいものだったろう。
だが、彼らには安全な屋敷と充分な生活用品があり、恵まれた立場なのだ。
いくら寒くてもその命は保障されていた。
だが、アリッサ達、街の人々はその酷寒にある意味直面した人間といっていい。
食糧があっても、燃料が無く凍死した人もいるという。
寒さを凌ぎ、身を寄せ合って冬を越した彼女からの学者への感謝の言葉は幾万の宝石より尊いもののような気がした。
うん、アリッサは学者のところで学ぶのが幸せだろう。
無知のまま違う環境に放り込むことなんて出来ない。
今でこそ人ではなくなってしまった彼女だが、無事生きてあの冬を越してくれてありがとうと心の中で呟いた。




