216話 お手伝いです
ドリスは先ほど運んできた品々を籠から出して台所に並べだした。
食用のハーブにトマト、人参、ジャガイモとおなじみの野菜に丸のままの鶏肉。
「鶏は絞めてすぐだと硬いから、お昼を食べたあのお店で食べ頃のお肉を融通してもらったの。調理前のものがあって良かったわ」
羽根も綺麗に毟られた後なので、後は料理に合わせて切るだけだ。
首も脚も落としてあるので何も手間取ることもない。
いかに料理が出来るといえど私は生き物を絞めて皮を剥いだり、放血したりはした事がないので助かった。
絞めてそのままの姿では、きっと悲鳴をあげていただろう。
ラーラなどは野営時や訓練時に狩りをして食事をしていたと言っていたので、きっとそういう事に長けているはずだ。
そういえば彼女は初対面の時、クロちゃんを見て食べようとしたのだった……。
いまだにクロちゃんがラーラに懐かないのは、彼女の中ではおいしそうな仔山羊と認識されているからではないのかと邪推してしまう。
今度いいお肉をラーラに贈って、彼女の気を紛らわせるのは悪くないかもしれない。
こうして台所に入る様になって、気付いたことがある。
あの世界を基にしているだけあって、食材や文化が似通っているのは今更だが、トマトやじゃがいもなども普通に使われているのだ。
文化からいうと中世ヨーロッパっぽいと言っていいだろう。
その時代はトマトとじゃがいもは悪魔の実や悪魔の植物とされて、人々から忌避されていたように思うのだけれど、ここでは普通に使われているのだ。
チョコレートもポテトチップスもレシピが存在しているし、ハンバーガーなるものも文献に記載されているのを見た。
確か語源はドイツのハンブルグだと思うのだけれど、この世界にはハンブルグなるものはない。
何が言いたいかというと、中世欧羅巴文化にとても似ているのにたまにあちらの近代、現代文化が紛れ込んでいるのだ。
これは黒山羊様が言っていた、偶然こちらに来てしまった人や魂の譲渡でこちらに来た人間の知識の結果なのかもしれない。
そう思うと、私が前の記憶を持ったままの理由が良くわかる。
黒山羊様は科学を捨てた代わりに緩やかになった発展の一部を、私達で補おうとしているのではないだろうか。
そうであるのなら、記憶が残っていることの意味はある。
そしてそれは、文化や生活に関するものの記憶が比較的鮮明なのに対して、前の身内の記憶の希薄さにも納得がいく。
もう、家族の名前も元の自分の顔も思い出せなくなっている。
それに反して生活用品や日本文化や生活様式などは鮮明なのである。
そんな記憶の違和感に気付いたのだ。
元の世界に里心が付かない様に、情の記憶は薄くされた状態で私達はこの世界に新しいものをもたらす種の役割を一部担っているのではないだろうか。
アリッサの様子を見て、自分の中にもある、元の家族への情の希薄さに気付かされた。
母や子を亡くす情はわかってもらい泣きをするくらいなのに、私は今あの世界に残してきた自分の子供や家族へ思いを馳せることがないのだ。
私自身の情が薄くなったとは思えない。
その部分だけが、うっすらと霧の彼方にあるような感覚。
そういう風に成ってしまった。
意図的にそうされているのかはわからないけれど、深い思いを前の生に残さないための黒山羊様の配慮なのかもしれない。
兄に対するアリッサの他人行儀な態度を見ていると不安になったのは、自分の中に同じ様なものがあるのをどこか知っていたからかもしれない。
「じゃあシャルロッテちゃんには、お鍋を見張ってもらおうかしら?」
釜土の前に踏み台を運んで、私が鍋を覗けるようにドリスがお膳立てをしてくれた。
もっと切ったり、なんなり調理を手伝いたかったのだけれど、やはり心配なのだろう。
おままごとレベルの手伝いになってしまったが、彼女にとって子供と台所に立つだけでも嬉しいようで鼻歌がまた漏れている。
鍋の中にはぶつ切りの鶏肉とレンズ豆にかぶや野菜が入って、おいしそうな匂いを出している。
暇なので大きな木のスプーンで大きな銅鍋の中をぐるぐると回してみる。
はたから見たら、魔女修行の少女に見えるのではないだろうか。
鍋の横にはパン屋で購入した夕食用のパンが置かれて、遠火で温められている。
小さい台所でこうして立っているのは、性に合っているのかなんだか落ち着く。
とても懐かしくて心地が良い。
ドリスが食料貯蔵庫から瓶を運んできた。
ほんのり黄色味がかった、透明な液体が入っている。
「それは何ですか?」
「西洋庭常濃縮液よ。とっても体にいいし呼吸器の治療や体内の毒を出したりと使えるの。今日は食後のお茶にしようと思って」
興味津々に瓶を見ていると、ドリスが笑って瓶の蓋をとってスプーンでひと匙掬う。
内緒ねと、ウィンクをしてからそれを私の口元に運んでくれた。
「甘ーい! 麝香葡萄?青林檎みたいな味がしますね」
本来は水やお茶で薄めるものなのだからとても甘いが、それでも爽やかでフルーティな香りが広がっておいしい。
「小さくて白い西洋庭常の花が満開になると、籠を持って花だけをいっぱい摘んでくるのよ。沢山の砂糖とお酢とレモンを煮立てて花を入れて、寝かせて濾して出来上がり! 花も楽しめておいしく飲めて体にいいなんて素敵な植物よね!」
満開の花を摘むなんて、とても楽しそうだ。
村の生活は贅沢はできなくとも、慎ましやかながら喜びも多いものに思えた。




