21話 ネルケの街です
ネルケの別邸は、家人に言わせるとそう大きくはないというが一般的には豪邸である。
それは格調高く、貴族の屋敷に相応しい佇まいであった。
高い塀に囲まれ防犯に優れていそうなイメージで、開放的な本邸を思うと若干息苦しい。
前もって先に着いていた使用人と常駐の者達が私たちの到着を受けて、扉を開けそろって礼をとっている。
「奥様、お嬢様、お疲れでしょう。ささ、中へ」
執事に促され中へ入ると、目に入る大きな花瓶にはどれも色とりどりのカーネーションが美しく盛られていた。
とても華やかで可愛らしい。
さすがは特産品と言ったところか。
通された寝室も、同じように花で飾られ甘い香りに満ちていた。
馬車で疲れ切っていた私には、その香りが癒してくれるように感じられて、うれしい限りである。
クロちゃんは、初めてネルケの花を見るのかしきりに香りを嗅いでいた。
「食べ物じゃないからね」
笑いながらクロちゃんを抱き上げて花瓶から離すと、鼻息を荒くして抗議している。
どうやら、仔山羊なりに香りを楽しんでいたようだ。
くつろいでいると、飲み物を取りに行ったソフィアが入ってきた。
なんだか微妙な顔をしている。
「先に来ていた使用人達に聞いたのですが、変な噂が出回ってるみたいです」
ソフィアが言うには、この街も王宮茶会の話題で持ち切りなのだが、茶会では王太子の婚約者は選ばれないだろうと言うものだった。
「何でもどこかの男爵家の令嬢が魔術儀礼の前からすごい魔法を使ったらしくて、賢者の再来と言われてるらしいんです。それでその令嬢を王家に迎えるのではと無責任な人達が騒いでるって話で……」
なるほど、優秀な血を王家に入れるのは悪くない判断といえる。
魔法があるといっても大半の人は魔道具を動かすくらいの魔力しかもたず、炎を飛ばしたり雷を落としたりなどは魔法封じの無い戦場か狩場でしか見ることが出来ないらしいのだ。
そういう派手な魔法は、一般人には憧れであるそうだ。
魔術儀礼と言うのは10歳になると受ける魔術の洗礼で、魔法の適正や回路を開くものであり、通常その儀式前は魔法は使えないということだ。
「才能がある方が王家に嫁がれるのは国民として歓迎すべきものだわ。いい話じゃないの」
私にとっては好都合である。
そちらでくっついてもらえれば私は安泰。
これは茶会に行くのも、気が楽になるというものだ。
「お嬢様は悔しくないんですか! 私のお嬢様を差し置いて、男爵家の娘が王子の婚約者だなんて噂だけでも腹だたしいです!」
ソフィアは、頬を膨らませて怒っている。
はて?彼女自身も男爵家の出であるのだが、自分にもチャンスがとかいう方向には考えが向かないものなのか。
「魔法がどれだけ使えても、シャルロッテ様ほどお優しくもお綺麗でも気品がある訳でも無いはずです! お嬢様を見もしないで、そんな娘の話が出るなんて失礼しちゃうわ!」
ソフィア自身、その男爵令嬢を見た事も無いのに何をいわんやである。
「私の事を思って怒ってくれるのは嬉しいけれど、折角の花の街でそんな顔をしていてはもったいないと思わない? 屋敷中、ネルケの花に囲まれるなんて、なかなか経験出来ない事よ?」
「お嬢様ぁ。心が広すぎです」
ソフィアは拝むように手を組むと私を見つめた。
私にとってはいい話なのだし、根が庶民なのでこの花だらけの空間を心ゆくまで楽しみたいのも本音だ。
出来たら買い物に繰り出したいところだが、護衛がついたり何かと面倒なのである。
観光して旅行気分を満喫するのも良いが、馬車疲れが大きいので部屋でのんびり花を愛でて静かに過ごすのもいいだろう。
ようやく落ち着いたソフィアは、感情的になった事を反省してか大人しくしている。
この世界では就労出来る年齢とはいえ、まだ彼女自身も多感な年頃の子供なのだ。
たまの暴走は大目に見てあげたい。
ここにマーサがいなくて良かったと私はほっと息をついた。
もしかしたらマーサが不在のせいで、ソフィアも子供らしく感情が暴走してしまったのかもしれないけれど。
私の方が子供ではあるが、中身は逆だ。
主従とはいえ、今後彼女の時間の大半は私に捧げられるのだ。
なるだけ彼女の負担にならない様、いい子にしないとね。
それにしても、賢者の再来とは夢のある話である。
図書室で読んだ覚えがあるが大昔、ふらっと現れた賢者は魔法で土地を開き、竜を調伏し王国の発展に貢献したという話だ。
なにぶん昔話なので真偽はともかく、日本でいうところの弘法大師様みたいなものなのだろう。
詳しくは知らないけれど確か日本全国に逸話がある法師様だ。
観光地で碑を見たことがある。
そんな感じでこの王国にも、賢者様の話がそこかしこにあるのだ。
一説には黒山羊様の御使いであるとも言われている。
土着信仰と宗教が一緒くたになるのは、どの土地でもあることだろう。
昔からある民話や与太話などが脚色されて、賢者様と言う存在に集約されたのだろう。
その男爵令嬢がどのくらいの魔法を使えるのかはわからないが、噂が独り歩きして大変だろうなと思う。
知らないうちに変な宮廷詩人にポエムにされた私は、どことなく親近感をもってしまった。
魔術儀礼がまだというなら10歳未満だろうし同じくらいの年齢なのだろうか?
それなら王都学院で会うこともあるだろう。
友達とまではいかなくても、挨拶くらいはしてみたいものである。




