206話 美肌です
ヘラでしっかりと蜜蝋と油と精油を混ぜると、黄色い軟膏が出来上がった。
まだほんのり温かいけれど、しっかりと固まっている。
私がしたことは混ぜただけだったのだけれど、蜜蝋を精製する作業を見ただけでも十分に楽しめた。
料理もだけれど、何かを作るという作業は眺めるだけでも楽しいものなのだ。
「蜜蝋軟膏に香りづけをしたら、商品にも匂いが移ってしまうかと思っていたけれどこの量なら大丈夫ね」
ドリスが試しに、手に精油入りの軟膏を伸ばしてから布を触って確認している。
確かに、売り物の刺繍や織物に匂いがついては大事だ。
「何より、香りが気持ちを明るくしてくれるみたい」
アリッサも手に塗ってから、クンクンと嗅いで確かめている。
「肌荒れにいいというのも素晴らしいわ。シャルロッテちゃんは物知りなのね」
ドリスが私をぎゅっと抱きしめて褒めてくれた。
付け焼刃の知識なので、少々気恥しい。
「これを、シュピネ村の新しい商品にしたらどうですか?」
私がそういうと、皆が驚いた顔をした。
「蜜蝋軟膏は自作する人が多いと思いますが、精油入りなら商品として通用するのではないでしょうか? 今日見たところ女性だけでも問題なく作れるようですし、もしかして既にそういう商品が他にあるかもしれないですが、シュピネ村特製とでも言えば村独自の商品として売り出せると思います。肌に触れるものなので品質の良い精油は多少値が張るかもしれませんが、ひとつに一滴ですもの。その分も値段に上乗せすればすぐに利益は出ると思います」
ウェルナー男爵領でも思ったのだが、村の収入を増やすというのは本当に大事なことである。
ひとつでも売り物は多い方がいいのだ。
女性が多い村なら、美肌を整える蜜蝋軟膏は説得力を持つと思ったのだ。
「まあ、シャルロッテちゃん。この村の事まで考えてくれるなんて、なんて優しい子なの」
ドリスが感激して、目に涙を浮かべている。
「今まで使っていたけど、売り物にするなんて思ってもみなかったわ。そうね、精油を入れる事である程度高めの値段をつけてもいいし、売れなくてもどうせ自分達で使うのだもの。それはいいかもしれないわね!」
「問題は容器だと思うのですが、それはロンメル商会が相談に乗ってくれると思いますよ」
きっと商会長なら、安くて可愛い瓶や容器を用意してくれるだろう。
もしかしたら、シュピネ村の蜜蝋軟膏を商会の売り物として扱うかもしれない。
「そうね! 次に商会の職員が来るまでにいろいろ考えなきゃだわ」
新たな村おこしを見つけた為か、ドリスの声が一段と楽しそうに響いた。
「貴族の方用に立派な容器に入れたものと、一般の人用に安い容器のものの2種類を用意してもらうといいですわ。中身は同じで大丈夫です。貴族用はうんと値段を高くした方が受けがいいと思いますよ」
私の価格の提案に周りは驚いているが、これは暴利を貪る訳では無く、貴族は安いものには飛びつかないのだ。
ある程度、高い値段がついていなければ彼らが手に取ることもないだろう。
貴族には貴族が使う品物に相応しい価格というものがあるのだ。
武士は食わねど高楊枝という言葉があるけれど、その感覚に近いかもしれない。
「シャルロッテ様は、商売人の様なのですね」
また言われてしまったが、まあ聖女よりそちらの方がしっくりくるかもしれない。
ドリスが読み書きが出来る女性を呼んでくると、私の先ほどの話を紙に書かせている。
「せっかくのシャルロッテちゃんの思いつきを、ひとつも無駄に出来ないもの!」
そうやってはしゃぐ彼女は、夢見がちな少女の様にも見えた。
村の料理屋で、質素だがおいしいお昼ご飯をいただいた。
ドリスが自分の家で昼食をと誘ってはくれたのだが、地下室を思うとどうにも近付く気になれなかったのだ。
村の視察という意味では、料理屋を覗くのも正しい選択である。
ドリスとアリッサも疑問を持つことも無く、外食に付き合ってくれた。
一通り食事を終えて、食後のお茶を飲んでいるところで私は用件を切り出した。
「ゲオルグ・ハインミュラー様をご存知ですか?」
ドリスは、私の言葉にキョトンとする。
「そんな立派な名前の人に、心当たりはないわねえ」
知り合いだと思ったが、違うのだろうか?
「地母神教で、祭司長を務めていらっしゃる方ですわ」
地母神教……、そう呟いて村長は考えこんだ。
「地母神教の聖教師のゲオルグ様? ごめんなさいね、なにぶん30年以上は昔の事で苗字まではさだかでないの」
ゲオルグも産まれた時から、祭司長では無いのだ。
それくらい前なら、一般の聖教師であってもおかしくはない。
「きっとそのゲオルグ様ですわ。ドリスさんの事を気にかけていらっしゃったの。やはりお知り合いでしたのね」
ドリスは少し眉を寄せると、泣きそうな顔をした。
「懐かしいわ。私がこの村を起こす前に住んでいた街の教会の聖教師様だったの。今はご出世なさったのね」
「親しくされていたのですか?」
「そういう訳ではないの。村育ちで街に慣れない私を心配して下さっていたみたい。あの頃の私は夫に殴られてボロボロだったのよね」
笑い話にしたいのか笑顔でそう語るが、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
「お辛い話をごめんなさい」
「いいえ、終わった事よ。何より夫はアトラクナクア様の奇跡で人が変わったようにいい夫になってくれたの! 信じられる? 怒鳴られたり蹴飛ばされたりしない生活が手に入ったのよ!」
興奮気味に自分の神を話す彼女には、自分自身が見えていないのだ。
普通の人間が当たり前に過ごす日常が、彼女にとっては神の奇跡となるように。




