205話 軟膏です
「シャルロッテちゃん、具合は大丈夫?」
心底心配したという風にドリスが、2重門まで息せき切って走ってきた。
「ご心配かけてすみません。昨日ゆっくりして、体調は良くなりました」
ドリスは背の低い私の目線に合わせて、屈んで私の上から下まで見て異常がないかとチェックしている。
そう、私にとってこの人は悪い人ではないのだ。
「少しでも気分が悪くなったら、私に言うのよ? 無理は絶対しちゃだめよ?」
「ありがとうございます」
彼女の厚意に、心から感謝をする。
「そういえば、刺繍工房で蜜蝋軟膏を作る約束をしていたでしょう? 皆、シャルロッテちゃんと作るのを楽しみにしていたの。この間は慌ただしく帰ってしまったし。今日はまず軟膏作りを体験してみない?」
それはマーサも楽しみにしていた事なので、是非にと返事をする。
ドリスは私と手を繋いで、楽しそうに鼻歌を歌っている。
「こんな可愛い女の子とお散歩だなんて、夢が叶ったようだわ」
亡くした子供を私を通して見ているのかもしれないと思うと、胸がチクリと傷んだ。
この人がアトラクナクアと言う神様とその奇跡を掲げていなければ、きっと私は凄く好きになっていただろう。
女性として苦労しながら村長を務めて、虐待をうける女達の逃げ場を築いて、仕事まで面倒をみているのだ。
それでいて無邪気で、女性の楽しみをふんだんに味わって、なんと素敵な女性だろう。
刺繍工房に着くと仕事の手を止めて女性達が歓迎してくれた。
「うれしいのですが、お仕事の邪魔をしてしまっているのでは?」
困惑する私に、ドリスが自分達で仕事の進みを調整出来るから気にしない様に声を掛けてくれる。
「シャルロッテ様、こんにちは! 私も蜜蝋軟膏を作るのは初めてなの! ご一緒させて下さいね?」
そこにはアリッサが、金属のボウルや器具を用意して待っていた。
「アリッサさんも、大丈夫ですか?」
「ええ、なんだか体が馴染まないのかしら? 少し動くと疲れちゃって、でも今日はまだ気分もいいし大丈夫よ! 蜜蝋の塊なんて市場で見るくらいだから実際に加工するなんて楽しみ」
作業台の上には、茶色の武骨な石の塊みたいなものが、ドーンと置かれていた。
「これが蜜蝋ですか?」
興味津々に眺めていると、女達の1人が説明をしてくれる。
彼女は養蜂を生業としていた家の出なのだそうで、蜜蝋に詳しいので、本日の教師というわけだ。
「蜂の巣から蜂蜜を絞った残りカスを木綿布で包んで、お湯に入れると巣の蜜蝋の成分だけが溶けて浮かんでくるんですよ。もちろん巣には蜂の死骸や、ゴミも混ざっていますけどそれは布に残りますから、蜜蝋だけが浮いてくるんです。それを冷やして固めたものがこれですね。最初はちょっと嫌な臭いがするから野外で行われるんです。それを繰り返していくんですが、その回数が多いほど蜜蝋の値段があがるんですよ。私達が使うのはせいぜい1、2度溶かしたものなのでゴミも混ざってますけど、その分安いからいいんです。市場では大きな蜜蝋の塊をノミで砕いて売ってくれるんですよ」
よく見ると確かに塊の中に細かいクズの様な物が紛れている。
「取り合えず、やってみましょうか?」
お湯を満たしたタライに金属の鍋を浮かべて、そこに砕いた蜜蝋を入れる。
そうするとすぐに塊は鍋に接した面から、ゆっくりと溶けて黄色の液体に変わっていく。
まるで油の様な感じだ。
「溶けたら、濾してゴミを取り除くんです」
亜麻布を掛けた別の鍋にそっと流し込んでいくと、布の上にゴミだけが残る。
養蜂所でこの作業をするか、家でするかの差だけなのだろう。
確かに手間を気にしなければ、安い荒精製の蜜蝋の塊を買った方がいい。
「蝋燭にするなら、ゴミが混ざっていてもいいけど肌につけるものだしね」
そう言いながら、何度かこの手順を繰り返した。
最初はゴツゴツとした茶色の塊だったのが、すっかりゴミが取り除かれて綺麗な黄金の液体になっている。
「ここまで来たら後はもう簡単です。好きな容器に蜜蝋と亜麻仁油を適量加えて混ぜるだけです」
用意してくれていた小さな瓶に混ぜるばかりにしてから渡してくれた。
木のヘラで混ぜると温度が下がるのと一緒に、抵抗が出てくる。
どんどんと固まっていっているのだ。
私は思い出したように、子爵邸でもらっておいたラベンダーとゼラニウムの精油をそこに一滴ずつ入れてみた。
目聡く女性達が騒ぎ出す。
「シャルロッテ様、それは一体何を入れたのです?」
「ちょうど精油をもらっておいたので、入れてみました。ラベンダーは肌荒れや虫刺されの肌トラブルに効果があるし、ゼラニウムも肌のバランスを整えるのにいいと聞きましたの」
足湯で薬草を使ったので、にわかに薬草の知識を仕入れたばかりなのだ。
「後、香りも良いのでいいことばかりかなと思いまして」
私が説明すると、女性達が目を輝かせて私の手元の精油を見た。
「こちらは子爵邸で頂いたものなので、後でトビアス様にお礼を皆様からも申し上げて下さいね」
そういってそっとテーブルの上に精油の瓶を差し出した。
「使いすぎも肌に悪いですから1滴ずつですよ!」
ちゃんと量も言っておかないと、肌にいいと際限なく入れる人が出そうだ。
女性とは、美しさに貪欲な生き物である。
皆に紛れて、マーサもそっと精油を自分の瓶に落としていたのを私は見逃さなかった。




