203話 心のあり方です
さすがにラーラと緩い歩で馬を進めていたら、馬車に追いつかれてしまった。
すっかり気分の治った私を見て、子供の気持ちの切り替えの速さには驚かされるとトビアスが零している。
大人ぶっているが子爵だって、そこほど歳をとっている訳でもないのに。
まあ、心配をかけたのは間違いないのだ。
ここは甘んじて子供でいよう。
「馬に乗って風に当たったのが良かったみたいです。ラーラの馬はとても速く走るのよ! まるで流れ星みたいに」
馬車へ移動してはしゃぐようにそう言うと、マーサも安心したのか微笑んでいる。
「そういえば、シャルロッテ嬢は乗馬は得意なのかい?」
「エーベルハルトの農業区には厩舎があって、いっぱい馬がいるので馬は好きです。世話役のカールさんがそれは大事に育ててくれているの。乗馬も好きだけれどいくら好きでもラーラと比べたら得意とは言えませんわ」
私がこう答えると、トビアスは声を上げて笑った。
「ああ、先程も稲妻のような素早さで君をさらって行ったものね。慣れない村の中をあんなに速く走るなんて馬自体も素晴らしいが、何よりラーラ嬢の技術がすごいよ」
そうでしょう、そうでしょう。
ラーラの素晴らしさもさることながら、あの馬はウェルナー男爵領でおしろさんに襲われても背中のリンディを落とさず守った強者なのだ。
そこらの馬と比べることなど出来ない。
何故だか私が鼻高々であるが、これは大泣きしてしまった照れ隠しかもしれない。
「気分は治ったようだが、明日はどうするかい? 村長との面会が目的と言っていたが、用事は済んだのかな? うちとしてはいくら滞在して貰っても構わないから、体を休めてからまた村に行くのもいいと思うよ」
言われて気付いたが、なんということか礼拝堂の件についてまだ何も伝えていなかった。
ドリスとゲオルグ祭司長についても話をしたいし、蜂蜜軟膏もまだ作っていない!
地下室の老人についてはラーラが推測したように、身内の問題で私が口を出せるものでは無いだろうし、隠していたドリスの秘密を勝手に覗き見してしまったような気分で申し訳なかった。
老人の環境改善を訴える?
その為に寄付をする?
それはありかもしれないが、この世界全てを変えるわけではないのだ。
それをして老人を日の元に晒して、ドリスが世間から偏見の目で見られたり、差別されたら私は責任がとれる?
この世界とこの世界の文化は、私の知っている常識とは違うのだ。
小さい子供が泥雲雀としてドブ川をさらったり、貧しい女性が身を売ったり、それを私はひとりの浄財で何とか出来るかと言ったら否だ。
それを変えるのは国だ。
売春については元の世界でも存在しているし、麻薬や詐欺に犯罪等形が違うだけで、そういったものはどこにでも存在しているのだ。
一個人で全てを救って差別を無くす事など出来ようはずがない。
それをただひとりで変えられる人間はいない。
そんな事を豪語する人間がいるならば、現実を見ていないのだ。
勿論、個人の意識も大切だが、国が舵を取り国民の意識を変えなければならない。
今、手を差し伸べない事は、私の中で棘となるのだろう。
偽善と呼ばれても助けるものがあるはずだと言う者もいるだろう。
そう私を糾弾する人もいるかもしれないがその人自身は、何を成しているのか。
結局、私には何が正解かもわからないのだ。
前もって厳冬が来る事が分かっていても死んでいく人がいるように、全てを救う事は出来ない。
ただ、より良く進む為に声を上げ、文化を後押しするしかないと考えている。
それもおこがましいと言われればそれまでだが。
どうせなら、私の中身がすごい人道家か政治家だったら良かったのに。
この世界には貰うばかりで、私から返すものがないのが歯がゆい。
本当に大人になってから思うのだ。
もっと、勉強しておけば良かったと。
昨夜のショックからか、色々考えてよく眠れなかった。
そんな様子を見て、やはり疲れが溜まっているのだろうとトビアスに今日は休むようにと言われる。
マーサも心配顔をしているので、ここは大人しく子爵邸の図書室でのんびり読書をすることに決めた。
本はいい。
安全で安心で私を脅かすことが無いのだ。
読書に没頭すれば、全ての些事や悩みもその間は頭から追い出せる。
この世界の負の部分を目の当たりにした私は、少しでもそういうものの中に逃げ込みたかったのだ。
子爵家の図書室の蔵書は、やはりシュピネ村があるからか刺繍や紡績の本が多い気がする。
図案集や織物の本は村の工房にも同じものがあった。
本も、そう安いものでは無い。
きっと子爵が、村の発展を願って寄贈したのだろう。
今のトビアスにはそこまでの余裕はないようにみえるし、本も真新しくないところを見るときっと、先代の子爵の手配だろう。
子供の頃からトビアスが村に通っていたのも考えれば、昔から子爵家と村はいい関係を築いていたのがわかる。
まあ、廃村を建て直し刺繍で名を上げてくれたのだから、いくら異教徒といっても無碍には出来まい。
最初は子爵もやんわりと改宗を迫ったかもしれないが、早々に諦めたか地母神教に任せたのかもしれない。
宗教と政治の話は関係を悪くするから、親しい仲でも避けろというし……。
ぼんやりと本を眺めながらそんなことを考えて1日を過ごした。
トビアスには1日中図書室にいたのかい?と大層驚かれたが、私自身は図書室で1週間でもひと月でも入り浸れるし何なら住み込んでもいいくらいだ。
そうやってこの日、私は自分の心のある場所を確認し、平穏に務めることに費やした。




