201話 白馬の王子です
「まあまあ! シャルロッテちゃん! なんて青い顔をしているの?」
用事を終えて帰宅したドリスが、驚いて声を上げる。
この人はこんなに明るくて楽しそうにしながら、地下に老人を閉じ込めているのだ。
そう思うと、顔が引きつって何も言葉が出なかった。
「お嬢様!どうなさいました?」
続いて帰ってきたマーサが、買い物をした荷物をソファに投げ出して私に駆け寄る。
私の日常の象徴たるマーサ。
彼女に触れた途端に、私は声を上げて泣いてしまった。
未成熟なこの体は、恐怖を隠すには幼すぎたのだ。
「あらあら、寂しかったのですか? 私のかわいいシャルロッテ様。マーサはここにおりますよ。大人になったと思っていましたが、まだまだ目が離せませんね」
慈しむような、温かい眼差し。
私を守ってくれる人。
私はマーサにしがみついて、地下室の底冷えする空気を忘れようと必死であった。
「大人っぽいと思っていたが、何だか安心したよ。やはり旅疲れや知らない土地で緊張していたのだね。ひとりで留守番はさぞかし心細かったろうに。屋敷に帰って今日は早く休むといい」
トビアスが買い込んだお菓子の紙袋を両手に、微笑ましそうに私とマーサを見ている。
ドリスも、トビアスもあんな頃があったわねぇと懐かしそうに思い出話をしながら笑っていた。
ラーラは初めて私が本気で泣くのを見たせいか、若干妙な面持ちをしている。
立派な聖女でなくて、幻滅したのかしら?
もしかして、この情けない姿を見て過保護も治まるかもしれない。
頭のどこかでそんなことを考えながらも、子供である体は泣き声をあげていた。
良かった。
子供で良かった。
誰も気付かない。
私が泣いている理由を、問いただす者はいないのだ。
このまま早くこの家から出して。
安全な場所に行かなければ。
「こんなに泣いているのだし、今日はうちで泊まっていいのよ?」
ひゅっと、私の喉の奥が鳴った気がした。
私の顔は、さぞかし血の気が引いている事だろう。
「いや、さすがにそれは……」
トビアスが断ろうとするが、ドリスも引かない。
トビアスの第2の母だと言っていた。
子爵は、村長に弱いと言っていたではないか。
「泣いたシャルロッテちゃんを馬車まで連れていくのは可哀想じゃない? 皆に泣き顔を見られるなんて」
最もらしいドリスの言い分は、皆が納得するものである。
確かに令嬢が大泣きしているところを、村人や騎士団に見られるのは外聞が悪い。
トビアスにしたら失態ものである。
ああ、早く泣き止まなければ。
けれど1度溢れた感情は、止めどもなく決壊しっぱなしであった。
「確かにそうだね。シャルロッテ嬢の名誉の為にも今日はここで休んで貰う方が……」
そうトビアスが言いかけたところに、ラーラが待ったをかけた。
「少々、そうですね。10分ほどお待ち下さい。我が主」
その言葉を残して、彼女は家を飛び出して行った。
どうするというのだろう?
私を泣き止ませる為にお菓子でも買いにいった?
そんな馬鹿な。
でも今までを考えると、ありえなくもない。
真面目過ぎて、少々ずれてるラーラだもの。
ああ、何故私はあそこへひとりで降りて行ってしまったのだ。
後悔ばかりが押し寄せる。
マーサに抱かれているのだけが、今の救いだ。
ラーラさんは一体どうしたのだろうと大人が話し合っていると、バーンと音を立てて扉が開いた。
「お待たせいたしました、シャルロッテ様。ドリス殿、大きめの布かシーツを貸してもらえまいか?」
息せき切ってラーラはそう言った。
皆が頭の上に疑問符を出している。
勢いに押されてか、言われるままにドリスは大きめの亜麻布を2階から持って来てくれた。
「さあ、シャルロッテ様。私と先にフーバー邸へ参りましょう」
ラーラは一瞬でくるりと私を亜麻布にくるんだかと思うと、軽々と持ち上げて家の外へ出る。
人攫いもかくやと言わんばかりである。
驚く事に、玄関先にはラーラの愛馬がいた。
「フーバー殿、マーサ様、お先に失礼致します。周りにはシャルロッテ様が急に具合が悪くなられたので、単騎の早駆けでフーバー邸へ帰宅するとお伝え下さい」
手早くシーツにくるんだ私を馬に乗せると、ラーラも後ろにひらりと跨る。
「シャルロッテ様、舌を噛むと危険ですので気をつけて」
皆がびっくりしている中、颯爽と声を上げてラーラは馬を走らせた。
先ほど連絡していたのだろう。
二重門は開いた状態になっていて何にも邪魔されることなく、私はあの家から離れる事が出来たのだ。
そのお陰で道中、誰も私の泣き顔を見た者はいない。
驚きと安堵と、馬の速さに私は泣くのをやめて目を見張る。
流れる周りの景色と共に、あの恐ろしい地下室はどんどんと遠くなっていく。
それと同時に、安心感が私の胸に飛来する。
村を離れ、林を抜けたくらいでようやく馬は歩みを緩やかにした。
「ああ、ラーラ! あなたって最高よ!」
少々ずれてるとか思ってごめんなさい。
白馬の王子ならぬ、鮮血の凶姫よ、万歳!!
私の声にラーラは、誇らしげに胸を張る。
「それでお嬢様。あの家で何を見たのです?」
その言葉にギクリとする。
「これでも優秀な護衛なのですよ? 広間から抜け出てどちらにおいででしたか?」
そんな素振りは見せなかったのに、なんと言うことだろう。
この女性は、荒事も自分の腕1本で抑える事が出来る様に、過酷な部隊に志願した兵士なのだ。
騎士団をも、ひとりでボコボコにしたのではないか。
私は、ラーラを舐めていた。
彼女は王国一の女騎士ラーラ・ヴォルケンシュタインなのだ。




